第115話 緩やかな上り坂

 

 白く染まりゆく緩やかな上り坂。

 視線の先では、透の家も同じように雪が積もり始めていて、その立派な黒い瓦屋根の色も見えなくなりつつあるようだった。



「………………あっという間だよな、ほんと」



 少し前、それこそ、ほんの一時間前は晴れていて、太陽すら出ていたくらいだ。

 でも、一瞬で、その世界を変えていってしまう。


(……まるで、透と会ってからの俺みたいだ)


 まだ、隣にいなかった頃の記憶が、信じられないような気さえする。

 今はもう、いないことなんて、とても考えられないほどなのに。



「あははっ、そうだね。誠君と一緒に来る前は、いつももっと遠く感じてたもん」


「…………そっか……いや、そうだな。透と一緒だと、ぜんぜん飽きないよ」



 そして、それに返される透の言葉。

 それは、俺の思っていたことと違う、そんなものだったけれど。

 でも、だからこそ、透の世界も変わったのだと改めて感じることができる。


(……透は、心を読まない。本当に必要な時以外は、もう)


 きっと、そのことは透にとって一番の変化なのだと思う。 

 あの日、あの時、一杯になってしまった器の水を零すように泣いていた透の。

 


「ふふっ。飽きさせないからね?私のこと」


「ははっ。飽きないさ…………むしろ、会う度にもっと大事になってくくらいだ」


「っ…………もうっ!ほんと、誠君はっ!」


「あ、っと。これじゃ、歩けないだろ?」



 繋いでポッケに入れられた手。

 それを軸に回るようにして抱き着いてきた透に、行く手を阻まれる。

 


「……もう、ちょっとだけ」


「………………わかったよ。けど、風邪ひくから、ちょっとだけな?」


「……うん」


 

 首元に顔を埋めながら、囁くようにして伝えられたわがまま。

 それに対して俺は、白い息を吐きながら空を見上げると、やがて、いつものように降参の言葉を返した。


(…………いや、違うか。いつも同じなようで、そうじゃない)


 夏、抱き合った時に感じた頭がぼやけてくるような暑さとも。 

 秋、少しずつ強くなっていく肌寒さに、離れる時に一層感じた名残惜しさとも。

 それこそ、毎日のように変わっていて、どれもが大切な思い出になっていく。



「なぁ、透」


「なに?」


「俺達の普通は、こうゆうことなのかな?」


「……ふふっ。どうかな?もしかしたら、まだ見つけられてないかもよ?」



 そして、ふと俺が投げかけた問いかけに、返ってくる楽しそうな笑み。

 俺を揶揄いたくて仕方がないような、そんな見慣れた子供っぽい笑顔に、呆れとともに居心地の良さを感じてしまう。



「そっか……それなら、随分長くかかりそうだ」


「うん。だから、最後まで付き合ってね?ちゃんと」


「ああ、わかってる。それにさ、言ったろ?」



 あの、小高い丘の上で、透が旅行から帰ってきてから伝えた言葉。

 悩みに悩んで、禿げそうなくらいに悩んで、出した答え。


(……透の気持ちが、一番大事だ。何よりも、それこそ、俺の気持ちなんかよりも)


 いつか喧嘩をして、そうでなくても時が流れて、今のようにいられなくなったとしても。

 きっと俺は、その気持ちを尊重するだろう。 

 どれだけ悲しくて、たとえ、体が砕け散ってしまいそうなほどに辛かったとしても。

 俺は昔からそういうやつで、そんな風にしか生きられない。

 


「ずっと、さ。俺の隣にいて、この先を一緒に歩いて欲しいって」 


 

 でも、俺は、やっぱり透にそばにいて欲しい。

 隣で笑って、泣いて、怒って、拗ねて。

 それを一番近くで見られることが、幸せだと、そう感じてしまうから。



「……………………ズルいなぁ、ほんと」


「…………それでもいいさ。それが、透にとって悪いことでないのなら」


「あ、開き直ってるでしょ」


「ははっ。たまには仕返ししないとな」 


 

 そのまま、体を離して、ジト目で睨みつけてくる透。

 俺は、それに笑って返すと、手を引いてまた歩き出した。



「よし、そろそろ行くぞ。このままだと、違う意味で寝正月になりそうだ」


「ふふっ。そうなったら、布団は隣同士だよね?」


「おばあさんがいるのにか?」


「…………うぅ、おばあちゃんは絶対に許してくれないだろうなぁ」 


「なら、風邪なんて引いてられないよな」



 前の夏、これでもかと予定を書き連ねてきたのに比べると、今回の透の計画は優しいものだ。

 餅つきに、年越しに、初日の出に、初詣。

 日数を考えれば、確かにそれくらいしかできないのかもしれないけれど。



「……ほら、早く行こうよ、誠君」


「ははっ。現金なやつだ」


「……今年からの初めては、全部貰わなきゃね」



 そして、足跡の消えつつある後ろを振り返ると、足早に少しだけ前を歩き始める透。

 どこか気合の入った背中は、その手のひら返しの早さと相まって、なんだか面白い。


(新しい一年、か…………楽しいんだろうな、きっと)


 馳せる未来への光景に、もっと楽しい記憶が訪れる。

 俺は、透の吐いた白い息が顔に当たってくるのにされるがまま、その可愛らしく揺れる帽子に、心からの笑顔を向けるのだった。





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