第111話 幼馴染④
蛇に睨まれた蛙、そう喩えるのが相応しいのだろうか。
吸い込まれそうな澄んだ水色がかった瞳に見つめられ、身動き一つ取れなくなる。
そして、その永遠にも感じ取れるような沈黙の中、規則的に机から響く指の音だけが、まるでメトロノームのように時の進みを伝えてきていた。
「………………氷室君に、偽物は相応しくない。どうか、君にもわかって欲しい」
命令するような、懇願するような不思議な声色。
相手が誠君を大事に思っていることは明らかで……だからこそ、何と返せばいいのかわからない。
それに、自分が周りを偽り続けてきたのは――騙し続けてきたことは、否定のしようがないことだ。
(…………人が持つはずのない力を、私は持っている)
化け物だと、そう呼ばれてもおかしくない力を持ってしまっているのだ。
たとえ、誠君がそれを認めてくれているのだとしても。
「……………………………確かに、貴方の言ったことは正しいのかもしれません」
誠君が、本当に自分に相応しいのか、釣り合うのかという考えが過る時もあった。
心の中を見られても構わないと、私も被害者だと、そう言ってくれるような。
包み込むような優しさに溢れた素敵な人だから。
「そうかい?なら――」
「でもっ!……それでも、私はっ!……………………諦めることなんて、できないんです」
親友のことを思って言ったその言葉のほとんどが、正しくて、当然の心配だということも理解できる。
もしかしたら、誠君にはもっと相応しい人がいて、私といるよりも幸せになれる可能性があるかもしれないということも、わかってる。
だけど、もう私には、身を引くことなんてできない。
誰かが隣にいることを、笑顔で見送るなんてことは決してできないのだ。
「彼は、君が幸せになれると思ったら、身を引くことを選ぶと思うけど。君には、それができないと?」
確かに、誠君ならそうするだろう。
彼は、誰よりも……それこそ、私よりも私のことを大事にしてくれる人だ。
一瞬の迷いもなく、そうしてくれることは想像に難くない。
「…………頭では、わかってるんです。でも、今の私にはきっと、できない。想いが通じ合えて、恋人になれて、奇跡としか言いようのない幸せを、手に入れてしまったから」
「それは、本当の愛と呼べるのだろうか。君の愛は、自分にとって都合が良過ぎるんじゃないかな?」
突き刺すような正論が重ねられ、息が詰まりそうになる。
昔から私は、自分勝手で、傲慢だ。
こんな重くて偏執な愛が、本当の愛と呼べるのかも、正直わからない。
「……………………そうかもしれません。でも私は、誠君を誰にも渡せない、渡さない。たとえ、誰に何と言われようとも。それが今、はっきりとわかりました」
抑えきれない暗い炎を、相手にぶつけるようにして言葉を絞り出す。
もう退けないのだと、誠君無しではいられないのだと、伝わるように。
「ははっ。これは、大層な子を捕まえたものだね」
「………………気に入りませんか?」
どちらにしろ、私の答えは変わらない。
もし、相手がその気になって、ぶつかったのだとしても。
「あははっ、うん。いいと思うよ。むしろ、それくらいで丁度いい」
「…………どういう、ことでしょう?」
先ほどまでの敵意が嘘であったかのように霧散し、むしろ友好的な態度を取り始めた相手に困惑する。
(……本当に、何を考えているのか、わからない)
まるで、雲を掴まされているような気分だ。
誠君は、なんだかんだ、考えていることがわかるらしいので、すごいとしか言いようがない。
「…………僕はね、思うんだ。素晴らしい何かを掴もうとする人は、誰よりも痛みに耐え抜ける人でなくちゃいけないって」
「痛みに耐え抜く、ですか?」
「うん。たとえ、どれだけ辛い目にあっても、歩み続けられる人でなくてはいけないんだ」
自身の記憶と照らし合わせているのだろうか。
その言葉は不思議なほどの説得力を持って、こちらに伝わってくる。
「ごめんね、変なことを言って。僕は、君の気持ちを試したんだ。僕の宝物を預けるに足りる強さがあるか、それが知りたいと思ったから」
「………………本心じゃ、ないと?」
「いや?言ったことに間違いはない。相手を騙すには真実と嘘を混ぜ合わせなければいけないからね」
「…………………………私、貴方の事、あんまり好きになれないかもしれません」
「ははっ、僕もさ。君みたいな人は、あまり好きじゃない」
その言葉に、お互いが初めて本当の笑顔を見せ合う。
ある意味、ひねくれもの同士なのだろう。
だからこそ、真っ直ぐな誠君に、どうしようもなく惹かれた。
「あーそれと。自信があまりないようだし、一つだけ伝えておくよ」
「…………なんですか?」
「ははっ。そんなに嫌な顔をしないでくれ、今度のは応援の言葉さ」
これまでがこれまでだ。
また、嫌なことを言われるのかと警戒するも、相手は両手をあげ身の潔白を伝えてくる。
「僕の親友は、最高だ。そして、そんな彼は、君を選んだ。君自身が隠したい部分も、好きになれない部分も、全部含めて」
「…………そんなの、言われなくてもわかってます」
「あはははっ、そっか。なら、余計な一言だったかな」
その笑い声とともに相手の指が止まり、ふと時計を見るときっちり十分。
そして、出入り口についたベルが、誰かの入店を――私達にとって大事なその人が戻ってきたことを、高らかに教えてくるのだった。
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