第110話 幼馴染③

 

 周りから見たらなんて事のない、それでも、私にとっては幸せ過ぎる土曜日のデートの翌日。

 その落差もあって、なおさら不安に思う気持ちを奮い立たせて出かける支度を整える。



「………………誠君の、大事な人だもんね」



 自分の気持ちを大事にすればいいと、誠君は言ってくれたけれど。

 それでも、できることなら、仲良くなりたいと――お似合いの二人だと思って貰いたいと、そう強く願っている。

 


「…………どんな人なんだろうな」 



 もしかしたら、心を読めば上手くいくのかもしれない。

 しかし、今の私にとって、それはあり得ない選択肢なのだ。

 それこそ、誠君に相応しくありたいと思えば思うほど、その大事な人に対しては真摯でありたかった。



「…………よしっ。大丈夫」

 

 

 メイクも服も、臨戦態勢はばっちりだ。

 私は自分の頬を一度だけ軽く叩くと深呼吸して外へと歩き出した。










◆◆◆◆◆





 

 こじんまりとしていて、あまり物のないシンプルなところがお気に入りの家の近くのカフェ。

 事前に頼んでおいた奥の個室の中では、綺麗な金色がかった髪が、暗めの照明の中でも淡い光を放ち続けていた。


 

「はじめまして、素敵な笑顔のお嬢さん」


 

 静かで、ゆっくりとした。それでいて、耳を向けずにはいられないような不思議な雰囲気を持つ声。

 誠君の隣、私の斜め前に座っている背の高い男の人は、見た目だけでは性別を間違えてしまいそうなほどに、綺麗な顔立ちをしている。



「はじめまして。それと、褒めてもらってありがとうございます」


 

 特に意識したものではないのかもしれない。

 でも、その強すぎるほど真っ直ぐな視線を、少しだけ頭を下げることで躱し、僅かばかり気持ちを落ち着かせる。


(…………何を考えているのか、よくわからないな)

 

 大抵の人なら、力を使わなくても表情、しぐさといったもので読み取れることも多い。

 笑顔の目尻が引くつく、飲み物を頻繁に口に入れる、髪をよく触る。

 しかし、目の前の相手は本当に何も分からなくて……逆に、その澄んだ水色がかった綺麗な瞳を覗き込んでいると、こちらが全てを見透かされてしまうような居心地の悪さがある。

 それこそ、綺麗に着飾った私の中にあるズルさや小ささ、そんな隠したいものを掘り起こされているような気分にさえなるほどだ。



「ははっ、気にしないで。思ったことを言っただけさ」

 

「そうですか?」


「ああ」



 その言葉を境に、再び交差する視線。

 笑顔の私と、笑顔の相手。それでもどこか、壁のある空気を誠君は感じ取ったのだろうか。

 ほんの僅か、怪訝そうな顔をしているのが、視界の端に映り込んだ。



「ねぇ、氷室君」


「ん?なんだ?」


「十分だけでいい。僕に時間をくれないかな?」



 そして、自己紹介をするでもなく、唐突に出される要望。

 置いてけぼりになって笑顔を固まらせる私と、それとは反対に呆れたような誠君がどこか対照的だった。



「はぁ…………透が、それでいいなら」


「じゃあ、決まりだね」


「おい、話聞いてたか?」


「彼女は、断らないよ。ねぇ?」



 どこか挑発するような笑顔に含まれた真意がなんなのかはわからない。

 それでも、確かにその言葉通り、私には断るという選択肢はなかった。


(…………何もせずに終わるわけには、いかないよね)


 根拠はないものの、これは最初で最後の機会なのだという確信があるのだ。

 乗ってこなければそれで終わり、この人は今後も決して私を認めないのだろうという確信が。



「そう、ですね。少しだけなら」


「……ほんとに、大丈夫か?」


「うん。大丈夫」


「…………わかった」



 視線で真意を聞いてくる誠君に強く頷いて見せると、彼は釈然としない顔ながらも、そのまま席を立って外へと向かっていく。

 そして、出入り口についたベルの音がここまで聞こえ、店にいないことが分かるや否や、目の前の相手はそれを待っていたかのように口を開き始めた。



「正直なところ、僕の思う氷室君の理想の相手は、君じゃなかった」


「………………それは、どういう意味ですか?」



 相応しくないと、そう暗に示すような言い方に僅かばかり怒りを覚える。

 貴方が何を知っているのかと、名前すら名乗り合っていない私のことをどれほど理解しているのかと思って。



「笑顔を見て思ったんだ。偽るのに慣れた顔だなって」


「っ…………初対面なら、作り笑いくらいするんじゃないですか?」


「まぁ、これでもそれなりに名が知られていてね。いろんな人を見てきたんだ。それこそ、うんざりするくらいにね」


「…………その経験で、私の笑顔がそう見えたと?」


「いや?見えたんじゃない。確信したんだ。だって、君のは、海千山千の大人達以上に偽り慣れていたから。きっと、人生のほとんどをそうやって生きてきたんだろう?」

 


 核心をつく指摘に、思わず言いよどむ。

 確かに、それは事実だ。

 お手伝いさんのいた幼少期の実家でも、小学校でも、中学校でも。

 心の読める私は、一部の例外を除いて、私というものを取り繕ってきた。

 どんな表情をすれば、どんな受け答えをすれば、最適なのかと、相手の答えを盗み見ながら。



「無意識なのかもしれないけど、だからこそ余計に君の笑顔は完璧過ぎたんだ。眉毛の角度、目の細め方、口元の上がり具合、ある種彫刻的な美しさすら感じるほどに」

 

「私は――」


「そうじゃないって?本当に?」


「…………………」



 静かな問いかけに、思わず言い返しかけた口がキュッと結ばれ、それきり動かなくなる。

 ぐうの音も出ない事実に、自分自身が納得してしまったから。



「ふふっ、よかったよ。残りの時間が下らない言い訳で終わってしまうかと思った」


「っ……………………」


 

 唇を噛みしめ、悔しさを堪える。

 そして、沸き上がってくる感情ととともに相手の顔を睨みつけると、そこにあったのは先ほどの軽い口調は嘘だったのかと思えるほどの真剣な顔だった。



「もう一度言うよ。僕の思う氷室君の理想の相手は………もっと純粋で、真っ直ぐな………つまり、君みたいな人ではなかったんだ」


 

 飄々とした態度を取り続けていた、どこか掴み所のなかった相手。

 それでも、その言葉は、どうしようもないほどに本気で。

 それだけ誠君が大事な存在なのだと、そう物語っているように、私には感じられた。 








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