第107話 いつも、見守っていて
一回家に戻ってから訪れた透のアパート。
バイクのキーを抜いて立てかけると、ヘルメットを脱いだ。
「さすがに、まだ暑いか」
乗っていたのはほんの十分程度のはずだが、廃棄熱のせいもあって汗がにじみ出る。
特に、密閉された頭部分は顕著なので額に張り付いてしまった髪をどけながら、エントランスの方へと向かっていく。
「…………こういうときって、どうすればいいんだろうな」
ふとスマホを見ると、怒った顔の猫のスタンプが連続で送られてきていた。
何と言えばいいのかよくわからず、とりあえず最初の方にごめんとだけ返しておいたが、運転中もそれは続いていたようだ。
「まぁ、いいか。どうせ、もうすぐ会うんだし」
ひとまずそう結論付けると、部屋番を押し反応を待つ。
≪…………………………………………はい≫
「透か?誠だけど」
長い沈黙の後に続いた、声。
そういえば、いつも一緒に入っていたから鳴らすのは初めてだなと、どうでもいい事を考えながらそれに答える。
しかし、不機嫌なのが丸わかりなその声は、ある意味感情の起伏の激しい透らしいなと苦笑しかけてしまった。
≪………………………………貴方は、私の誠君ですか?≫
「ん?」
≪………………………………それとも、他の子の誠君ですか?≫
「ははっ。なんだよ、それ」
なんだろう。その湖の精霊モドキのような問いかけは。
思わず笑いだしてしまったその会話に、しかし透はどうやら冗談で言ったつもりはないようで、ただの沈黙が返される。
(他の人がいなくて、よかったな)
見ず知らずの人に、こんなアホみたいな会話を聞かせてしまうわけにはいかない。
というか、もしそうなったらすぐに順番を譲るだろう。
「透のかはわからないけど、俺が好きなのは透だけだよ」
≪………………………………≫
「とりあえず、会いたいんだ。開けてくれないか?」
≪…………………………うん≫
その言葉の後。ようやく開かれるエントランスの扉。
最悪、床の隙間から何か差し込んで開けてしまおうかとも思いかけていたが、そうならなくてよかった。
きっと、このまま顔を合わせずにいれば、透はまた自分の中で色々とこんがらがってしまうだろうから。
「意外に、天邪鬼だもんな」
綺麗に磨かれた床が、バイク用のブーツに当たってコツコツと音を響かせる。
そして、階段を登り切ると、僅かにだけ開いていた扉が、そっと閉じられるのが一瞬視界に映り込んだ。
(…………ははっ。らしくない)
何でも卒なく、それでいて完璧にこなす透っぽくないそのヒントは、なんとなくわざとではないのだろうなとわかる。
いや、むしろ……いたずらのための悪だくみはしても、ほとんど感情のままぶつかってくる透が今さらになってそんな駆け引きをしてくるとは思えない。
特に、学校が始まって外では仮面を被らなくてはいけないからこそ、余計に。
「……まぁ、慰めてあげなきゃいけないよな」
頑張っている姿を、何となく目で追いかけていた。
前よりはよくなったのだとしても、笑顔の下で色々なことを我慢していることにも、気づいていたのだ。
だから、今は本当の笑顔を見たいと。
俺はそう思って、チャイムを鳴らした。
◆◆◆◆◆
部屋に入ると、いつも以上に距離を保ちながら、透が上目遣いに睨みつけてくる。
しかし、それでも歩み寄って行くと、本気で逃げるつもりはないようで、だんだんと距離が縮まっていった。
「……………………透。ごめんな?」
「っ!」
何が正解で、どうしたら機嫌を直してくれるのかはわからない。
でも、自分の中で申し訳なくなっていることがあって、手を伸ばして透を抱きかかえると、それを最初に謝ることにする。
「たぶん、不安にさせたんだよな」
「……………………うん」
不安にさせるつもりも、傷つけるつもりも当然なかった。
それに、透にもそれがわかっていて、だからこそ直接言葉で伝えることはしてこないのだろう。
(…………きっと、頭が良すぎるんだ。理性と感情が、全然違う答えを出してしまって、どうしようもなくなる)
個人的にはこれまで、我慢してきてしまったのも、それが原因だと思っている。
もっと早く爆発できれば、そこまで抱え込むことも無いのに、それができないから千切れそうなほどに翻弄されてしまう。
「安心してくれ。今までしてきた約束は全部守るから」
「……………………うん」
そもそも、自分の中ではもう変えられないところまで来てしまった。
一緒にいたいと、大好きだと。口にはあまり出せないけど、透と同じくらいに思っている。
「でも、一つだけごめん。透が一番大事でも、俺は全部の関係を無くすことは、やっぱりできない」
区切りはしっかりとつけていて、必要以上に踏み込むことをするつもりはない。
けれど、何も悪いことをしていない人を、透と一緒にいるために傷つけることなんてできない。
無視なんてありえないし、文化祭のように輪を維持することも必要だと思っている。
「……………………うん。わかってる」
「ありがとう」
人の気持ちを気にし過ぎる透がそれを理解できないはずもない。
少しだけ、寂しそうな笑顔をこちらに向けながらも、透は力強く頷いて見せてくれた。
「今日は、頑張ったな。お疲れ様」
「…………ん。私、頑張ったよ」
「ああ。見てたよ、ちゃんと。無理はしないようにな?」
「ふふっ。また見てるなーって、気づいてたよ」
「そっか。それは、ちょっと恥ずかしいな」
慰めるように頭に置いた手を両手で握ってくる透。
二人の温かさが混じり合って、今目の前にいるという当然のことを改めて理解していく。
「……これからも、見ててね?私だけとは、言わない。でも、私のことを、一番」
「ああ。穴が開かない程度に、見つめとくよ」
「ふふっ。貰ってくれるなら、めちゃくちゃにしてくれてもいいよ?誠君の好きなように」
若干本気の、でも、からかいの色がはっきりと見て取れる表情に、調子が戻ってきたことを理解する。
「しないさ」
「どうして?私じゃ、不満?」
「いや。十分過ぎるくらいだ」
「十分?点数にすると、何点くらい?」
点数なんて意味がない、満点だ、色々な答えはあると思う。
でも、やけに食いついてくる透と、からかいの中に混じった不安。
何と答えれば一番安心させてあげられるのだろうと、一瞬考える。
「…………二人で、百点かな」
「あーっ!もう、大好きっ!!」
「っ!おっと」
そして、俺達は新しい日常を自分たちなりに受け入れていくことを選んだ。
もしかしたら、もっといいやり方があるのかもしれないけど。
無理せず、お互いを大事にしていけば、それでいいって、そう思えたから。
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