第102話 氷室 誠 逢瀬⑨裏
ちょうど顎の下当たりにある透の頭が揺れる度、最近では馴染みつつある甘い香りがこちらに漂ってくる。
改めて意識すると、なんだか変態っぽいなという感想を抱きつつも、ビーズクッションに深く押し込まれ、さらには全身で寄りかかって蓋をされてしまっているので、動きようもない。
そして、そのままシーンが移り行く中、透の琴線に何か触れる部分があったのだろうか。
不意に、俺の腕が掴まれ、まるでジェットコースターのシートベルトのように腰の辺りに回されてしまった。
(無意識か?けど、ほんと細いよな)
別に、病的というわけではないし、最近読んだ早希の雑誌に載っていたモデルさん達を見るに、これくらいが理想にされているようにも思う。
でも、俺からしてみれば折れてしまいそうに細くて、少し心配になってしまう。
ちゃんと食べられているだろうか、ちゃんと寝られているだろうかとそんなお節介染みたことを考えてしまう程度には。
(………………忘れてしまうことと、忘れられないこと、どっちが辛いんだろう)
今見ている映画のヒロインとは違い、透は日常の些細な部分まですぐに記憶していってしまう。
それこそ、俺がそんなこと言ったっけとなることでも、一言一句覚えていたりするし、挙句の果てには、その時着ていた服の組み合わせまではっきりと思い出せてしまうほどだ。
そして、だからこそ嫌な記憶もずっと残り続けるし、それに苦しまされ続けてきたのだと思う。
(…………いや。今は、いいか。また、今度二人で考えればいいことだ)
元々、頭の中で考えを深く掘り進めていってしまうタイプで、こういったことはよくあった。
しかし、二人で背負う、なんとなくその言葉が頭に浮かんできたことで、意識を映画の方に集中させる。
(思ってることを、ちゃんと伝えていこう。きっと、それが一番いいしな)
二人の物語は、片方だけが頭を悩ませる物語にはしたくない。
だから、何でも話して、共有していく。
少なくとも、俺たちは記憶を積み重ねていけるのだから。
◆◆◆◆◆
やがて、物語が終わりに近づき、これからどうするんだろう、という疑問は浮かびつつも、すぐにスタッフロールが流れ始めた。
「観たことないジャンルだったけど、なかなか楽しめたよ」
昔は、どちらかという退屈……というより自分の中に通じるものがなかったからだろう。
リビングで流れている恋愛もののドラマを、隣でついでに見ていても、面白いとは思えなかった。
でも、今は前よりはわかるようになったようだ。
一人でそのジャンルを借りて観るかと言われると、ちょっと疑問はあるけれど。
「………………うん。よかった」
「泣いてるのか?」
「……ちょっとだけね」
しかし、少しだけ涙声になっている透には、俺以上に響くものがあったらしい。
言葉数少なく、寄りかかってくるだけだった。
「………………でも、毎日が新鮮って、難しいよね」
「そうだな、人は慣れる生き物だから。きっと、不幸にも……幸せにも慣れるんだって思うよ」
そのまましばらく沈黙が流れ続け、やがて不意に発せられた言葉。
それは、どこか寂しそうで、悲しそうで、辛そうで。
それが勘違いではないことを、微かに強くなった握る手の力が物語っていた。
「そう、だよね」
これ以上無いほど密着した距離のせいで、表情を窺うことはできない。
でも、その声にはやっぱり不安という気持ちが垣間見えている。
こちらを心配させないようにと、平坦な声になってしまっているからこそ、余計に。
「……………………俺さ、家族のことどうでもいいって思ったことないんだ」
だからだろう、そんなことを言い始めたのは。
どんなことを伝えればいいか、そもそもこれが答えなのか、よくはわからなかったけど。
それでも、何も言わずにはいられなくなってしまったから。
「え?」
それに、何となくこう思っているんだろうな、というのがわかるのだ。
明確に言葉で表さなくても、家族の気持ちがわかるように。
「でも、大好きで片時も離れたくないっていつも思っているわけじゃない」
「……………………うん」
人と人との繋がり方には、俺が知らないだけでいろんな形があるんだと思う。
もしかしたら、いつも側にいるのが、本当の家族だという人もいるかもしれない。
でも、俺にとってはそうじゃない。
親父が、大事な人を守ろうとするなら、ただ変わらず愛せばいいと言っていたように、俺もそれが正解だと思うのだ。
「たぶん、そういうことなんだと、思う。俺達が、作っていく関係は」
だから、俺達はその単純なことさえ貫けばいい。
ずっと一緒にいなくても……すれ違っても、喧嘩しても、たとえ今の関係とは変わってしまったのだとしても。
難しいようで簡単で、簡単なようで難しいそのことだけを。
「……………………それが、冷めないハートってこと?」
「まぁ、そうだな。だから、不安に思うことなんてないんだ……俺も、付き合うの初めてだから、こんなこと言うのはおかしいかもしれないけど」
改めて尋ね返されるとちょっと恥ずかしい。
それに、思うまま、伝えてみようと言ってはみたが、今一うまく伝えられたか疑問だった。
「…………可愛いっていったら怒る?」
だが、透も同じように俺のことを理解してくれたのだろう。
すぐさま調子を取り戻し始め、こちらに元気よく体を向けながらそう言ってくる。
「怒らないけど、怒る」
「あははっ。なら、ありがとう」
「どういたしまして」
「感謝の印に……これも、ちゃんと語録に書き残しておくよ」
忘れられない透のメモ帳。
そこに書かれれば二度と消えないと考えると、かなり嫌だ。
どうせ残すなら、リテイクさせて欲しい。
「それは、やめてくれ。ちょっと、何言ってるかわからなくなってたから」
「そう言われると、余計に書き残したくなってきちゃうなー」
「意地悪なやつだ」
その顔には、揶揄いたいですとはっきりと書いてあって、相変わらず、子どもっぽくて、いたずら好きな性格だなと、苦笑してしまう。
「ふふっ。誠君専用だけどね?」
細められた目、その瞳の奥には、燃え上がるような執着が微かに顔を見せている。
それこそ、独占欲とも言えるような荒々しい感情が。
(………………これも、大事に思うってことだよな?)
若干、危うさは感じるも、まぁ、今はこれでいい。
俺達の関係は、俺達で決める。
今、笑えているのなら、きっとそれが正解だから。
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