第101話 蓮見 透 逢瀬⑨表
食事の後、お皿を片付け綺麗にすると、借りてきた映画のDVDを取り出す。
そして、初めて使うボタンを押してそれを差し込むと、始まるまでの間にあるらしい広告の動画が流れ始めた。
「ほら、誠君はここに座って」
「ん?俺は、別にここでいいぞ?」
「いいから。ね?」
「あ、ああ。わかったよ」
ただでさえ物の少ない私の部屋には、元々誰かを招くと思っていなかったのでソファなんてないし、食べてすぐに横になるのもつらいと思って、大きめのビーズクッションに誠君を押し込める。
「ふふっ。じゃあ、私はここね」
「あ、おい」
そう言って背もたれのように体を預けると、少し焦ったような声が、耳元すぐそばから聞こえて、何とも言えない感覚が体をじんと痺れさせていくのがわかった。
(…………こんなことで、幸せになれるなんて、すごいよね)
それは、以前本を読むのに丁度いいと買ったものではあったものの、まるで誠君の存在に全てを包まれているような居心地の良さに、そうしてよかったと改めて思う。
「温かいね」
「……なんか首元がくすぐったいけどな」
頭一つ分違う身長のおかげで、首元に来ている髪の毛のことを言っているのだろう。
特に、意味を持って伸ばしていたものではないものの、ふと考えてみるとそろそろ美容院に行ってもいい頃合いだ。
この機会に、好みを聞いてみるのも悪くないと思った。
「誠君は、ショートとロング、どっちが好き?」
「うーん。特にどっちってのはないな。透なら、両方似合いそうだし」
その言葉は、とても嬉しい。
両方に似合いそうだというのはもちろん……何より、芸能人や、モデル、そういった自分以外の誰かをイメージしているのではない。
どこまでいっても、私の姿でそれを考えてくれているのが分かったから。
(…………他の女の子のこと、少しも考えて欲しくないってのは、わがままなのかな?)
他のカップルはどうなのだろうと、どうでもいいことを思う。
彼氏がいても、彼女がいても、テレビや雑誌、他にもコンサートなどで見る誰かに熱をあげる人がいるのは知っているし、それが仕方がないことだというのも理解している。
でも、私はそれでも誠君が他の誰かのことを可愛いとか、綺麗だとか、そう思っていると考えるだけでも我慢できそうにない。
さすがに、テレビや映画、あげくの果てにゲームもダメという狂気じみたことは言わないけど。
「お、始まったな」
「あ、うん」
その言葉に、ぼーっと違うことを考えつつあった思考を振りほどき、映画と、後ろから感じる温もりに集中する。
少しだけワクワクしたようにも聞こえるその声を、何となく可愛いと思いながら。
◆◆◆◆◆
事故の影響で、次の日まで記憶を保てなくなってしまったヒロインに、主人公がアプローチを繰り返す。
まるで、底の抜けたバケツに水を注ぎ続けるようなものだというのに。
誰に言われても、辛い思いをしても、諦めずに。
(たぶん、昔の私だったらあんまり理解ができなかったことなんだろうな)
家族愛、友愛はわかる。
でも、それに近いはずの男女の愛というものは理解できず……いや、理解したいと思うほどに興味を抱けなかった。
それはきっと、ある種敵意に近いものを異性に感じていたからだと思っている。
(だけど…………今は、わかる。それが、すごく嬉しい)
背中から伝わってくる鼓動に、温もりに。
耳元で聞こえる息づかいに、幸せを感じる。
そして、もし、この映画にいるのが私と、誠君だったらと想像すると、思わず涙が零れてしまうほどに、心を揺り動かされてしまった。
(誠君なら、こうしてくれる)
もっと穏やかな、包み込むようなやり方だと思うけど、私がもしこうなったとしても、彼は想い続けてくれるだろう。
私の抱えた重い暗闇でも、大したことないと笑ってしまうような人なのだ。
それは、きっと間違いない。
(こう考えてみると、ほんと嘘みたいな関係だよね)
心が読める女の子と、それを気にせず愛を捧げてくれる男の子。
私達の物語は、映画みたいに素敵なんだと、何となく思った。
やがて、物語が終わりに近づき、主人公たちなりのハッピーエンドで締めくくられると、スタッフロールが流れ始める。
「観たことないジャンルだったけど、なかなか楽しめたよ」
「………………うん。よかった」
「泣いてるのか?」
「……ちょっとだけね」
切なさと強さと、温かさ。
それに、物語の随所に薄っすらと散りばめられた現実。
そんなところに泣けてきてしまった。
でも、たぶん男の人と、女の人では感じ方が違うのだろう。
こういった映画で、あまり泣いているというのはイメージできないから。
「………………でも、毎日が新鮮って、難しいよね」
「そうだな、人は慣れる生き物だから。きっと、不幸にも……幸せにも慣れるんだって思うよ」
そして、毎日新しいアプローチを考える主人公を見てふと思った。
ずっと、こんなことは続けられない。
それこそ、マンネリって言葉もあるように、どんなにいいことでも、慣れてしまう。
それで、別れるカップルもいると、時たま聞こえてくるように。
「そう、だよね」
恐らく、それは避けられないことだ。
出会ったときから続く、灰色の人生を塗り替えてくれたような、物語のような恋を一生続けていくことはできない。
今はすごく嬉しくて、毎日が飛び跳ねてしまうほどに楽しいけれど、いつか一緒にいることのほうが長くなって、普通になっていってしまう。
今が幸せすぎる分、それが、ほんの少しだけ怖かった。
「……………………俺さ、家族のことどうでもいいって思ったことないんだ」
「え?」
しかし、そんなことどうしようもないことを考え、思考の深みに嵌まろうとしていた時。
不意に誠君が、ゆっくりと頭の後ろから語りかけてくる。
「でも、大好きで片時も離れたくないっていつも思っているわけじゃない」
「……………………うん」
それは、私も同じだ。
いつも大事に思っているけど、それでも、四六時中一緒にとまで考えているわけではない。
ある意味、一人暮らしを始めたのがいい証拠だろう。
「たぶん、そういうことなんだと、思う。俺達が、作っていく関係は」
「……………………それが、冷めないハートってこと?」
「まぁ、そうだな。だから、不安に思うことなんてないんだ……俺も、付き合うの初めてだから、こんなこと言うのはおかしいかもしれないけど」
いつも、はっきりとした物言いをする誠君にしては、どこかたどたどしい言い方。
頭の上に手を乗せた誠君の顔を覗うと、彼は若干気恥ずかし気に頬をかいている。
きっと、何と言っていいのかわからずに、言い出したことがちょっと慣れないことだったからだろう。
あまりない表情に、余計に体を押し付けたくなった。
「…………可愛いっていったら怒る?」
「怒らないけど、怒る」
「あははっ。なら、ありがとう」
「どういたしまして」
「感謝の印に……これも、ちゃんと語録に書き残しておくよ」
「それは、やめてくれ。ちょっと、何言ってるかわからなくなってたから」
「そう言われると、余計に書き残したくなってきちゃうなー」
「意地悪なやつだ」
「ふふっ。誠君専用だけどね?」
最初、抱いていたマグマのような激情は、だんだんと落ち着いて煮えたぎるお湯くらいまでには扱いやすくなってきている。
でも、それはきっと愛が冷めたからじゃない。
居心地の良い温度に近づいてきたのだと、そう思う。
(………………また、新しいページが増えていく。そして、それはこれからもずっと)
それに、変わったのはそこだけじゃない、積み重ねたものはどんどん深く、重く変化している。
なら、それでいい。
今、私達が笑えている。ただそれだけで。
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