第97話 氷室 誠 逢瀬⑤

 途中でバスを降りた後、少し歩くとどこか見覚えのある目立つ看板が見えてくる。



「……すごいな。うちの近所のとこはこんなに広くないぞ」


「ふふっ。多すぎて悩んじゃうよね」



 文房具や雑誌、そのコーナーを抜けるとすぐに、背の高いたくさんの棚が俺達を出迎えるように立っていた。

 まるで、森。

 所狭しと並んだ作品たちは、それを眺めてだけでも一日が潰せそうなほどだ。



「誠君は、何か見たい映画とかある?」

 

「んー、特にはないかな。透は?」


「えへへー、私もない」


  

 そう言って、腕に抱き着いてきた透はとても楽しそうだ。

 しかし、先ほどからこちらばかり見ていたので、もう候補は決まっているのだろうと思っていたがどうやらそれは俺の勘違いだったらしい。

 


「あっ、でもあっちっ!あっちの棚とかいいと思う」


「あー……まぁ、いいけど。完全に未知の領域だな」



 指の示す先にあるロマンスという文字。

 それは、慣れ親しんだアクションやSFの世界からは遠く離れた存在で、どんな作品があるのかまるで知らない。

 というより、男女二人が並んでいるケースはどれも同じように見えてしまい、違いがあまりわからなかった。


(…………どれが面白そうなのか、さっぱり不明だな)


 『泣ける』、『泣かずにはいられない』、『全米が泣いた』

 借りるものを選ばないといけないとはわかっているものの、謎にレパートリーに富んだキャッチフレーズの方に気を引かれてしまうくらいには、どうやら俺のセンサーは機能していないらしい。



「透は、どれが…………どうした?」


「…………ううん。何でもないよ」

 


 そして、今回は任せようとふと隣を見た時、透が俺の腕に隠れるようにして俯いていることに気づいた。 


(…………甘えている、のとは違う…………体調も、大丈夫そう……………………ああ、なるほど)


 そこに、先ほどまで見えた笑顔はない。

 何より、時折前髪を顔の前まで引っ張るような仕草、そして、不自然なほどに寄せられた体に、その理由を何となく窺い知ることができた。



「これ、いいと思う」 


「……え?」



 そして、強引に半身を被せるようにして動かし、目と鼻の先まで近づけたケース。

 そんなものでも覆い隠せてしまいそうな小ぶりな顔が、その上の端から覗き込むようにこちらを見つめてくるのが分かった。



「あらすじ、読んでみてくれ」


「…………うんっ!」


 

 テキトーに時間を稼ぐための苦渋の試みは一応うまくいったのだろう。

 何となく背中に感じていた視線が遠ざかり、やがて微かな話し声すらも聞こえなくなると、いなくなったその空間にさり気なく目を向ける。


(……知り合いではないっぽいけど)


 そういった雰囲気ではなかったことから、お互い初対面であるはずだ。

 しかし、俺達と似たような男女の二人組、その片割れが相手のことを放っておいてこちらを向いているということに対して、思うところがある。


(…………透は、見世物じゃない)


 それに、透のことを見る目が無性に嫌だった。

 その顔を、その体を、透の気持ちも考えずに見ようとするその独りよがりな目が。



「…………あー。思い返すと、なんか微妙だった気もする。もう一回考えるか」



 気づかれないよう息を吐き出し、燻る怒りを沈めながら話しかけると、透は僅かに唇を噛み締めたあと口を開いた。



「…………ううん。これにする」


「いや、もうちょっと探してもいいんだぞ?」


「……これが――これじゃなきゃ、いやなんだ」


「そうか?」



 あらすじなんて一文字も読んでいないものではあったが、面白そうな作品だったのだろうか。

 それを胸に抱え込むようにした透が、穏やかな微笑みを向けながらそう言ってくる。



「うん」


「なら、決まりだ。外れだったらごめんな?」


「ふふっ。心配しなくても大丈夫だよ」


「あれ?もしかして見たことある作品だったか?」


「ううん。見たことないけど、これは当たりなの。絶対に、当たり」


「なんだよ、それ?」


「ふふふっ。なんだろうね?」



 まるで謎かけのような不思議な台詞に、呆れてしまう。

 しかし、透はそれすらも楽しいようで、俺が先ほどしたように目と鼻の先までケースを近づけてきた。



「ほら、ほら。どう?当たりでしょ?」


「はいはい」


「もうっ!もっとかまってよ」



 目の前でぶんぶんと振られるケースを見ながら、レジに向かってゆっくりと歩く。

 奇妙な光景に関心が集まり、やがて透の方に視線が集まっていくも、どうやら今の彼女は違うことに夢中で気にしている様子はないようだった。



「はぁ。また、後でな」


「…………わかった。でも、お預けにした分、いっぱい甘やかしてくれる?」


「……………………………………美味い料理分は、期待に応えるさ」



 百点満点の上目遣い。

 叩こうとした軽口は行き場を失い、もはや全面降伏することしかできない。


 そして、こちらの考えているのがなんとなく理解できたのだろう。

 透は、そのしおらしい態度を一転させて、小躍りしそうなほどにはしゃぎ始めた。



「やったっ!じゃあ、決まり。ほら、早く行こうよ」



 まるで小悪魔のような愉し気な笑顔には、計算通りというような意図が若干透けて見える。


(こりゃ、嵌められたな)


 もしかしたら、少しくらいは反撃してもいいのかもしれない。

 でも、その嬉しそうな顔を見ていると、ついつい何でも許してしまいたくなる。

 そして、それとともに思うのだ。

 やっぱり透と一緒にいることが、自分のしたいことだって。



「…………わかったよ。でも、転ぶと危ないからゆっくりな」


 

 この時間が、早く過ぎ去ってしまうのは惜しい。

 俺は、そんな想いを抱きつつ、急かす透を宥めるようにそっと頭に手を置いた。
















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