第98話 氷室 誠 逢瀬⑥


「誠君は、お昼に食べたいものとかある?」


 

店を出てすぐ、今にも鼻歌を唄い出しそうなほどに機嫌が良さげな透が、こちらを見上げながらそう尋ねてくる。



「うーん、なんだろ。例えば、何が作れるんだ?」


「ふふっ。この世にレシピがあるものかな」


「なんだよ、それ。逆に難しいやつじゃんか」


「ずっと一緒にいてくれるなら、満漢全席とかでも作っちゃおうかな」


「いや、それはさすがにやめとこう。せめて、日帰りできる料理にはしたい」


「あははっ。じゃあ、何がいいの?」



 楽し気な笑い声とともに伝えられた言葉は、ある意味贅沢過ぎるもので逆に悩まされてしまう。 

 正直、これだというものはなかったし、料理の上手い透ならきっと何でも美味しく作ってくれるに違いないのだ。

   

 

「あー、ならオムライスとかどうだ?」


「え、そんな簡単なものでいいの?」



 だったら、別に手の込んだものでなくていいはずだ。

 ありふれていて、何の特別感のないものでも。

 むしろ、これからの道をずっと歩いていくなら、お互いが背伸びもせずにいられるのが一番いいと個人的には思っている。



「いいんだ。透の作るものはなんでも美味いからな」


「…………私に、気を遣ってない?ほんとに何でもいいんだよ?」



 心の奥底にこびり付いた闇のせいだろうか。

 かけた手間を、尽くした時間を、透が無意識に気にしているのはなんとなくわかっている。

 きっと透自身は、そんなつもりは微塵もないんだろうけど。

 


「……早く作れるものの方が、それだけ一緒にいられるだろ?俺には、そっちの方が大事なんだ」



 だから、俺は伝えていかなくちゃいけない。

 一緒にいるのが、他でもない、俺自身の願いだってことを。

 心の中に留まり続ける雲が晴れて、やがて晴れの日しかなくなるまで、ずっと。

 

 


「………………なら、時間のかかるやつは一緒に作る。どうせなら、誠君が一番食べたいもの食べさせてあげたいもん」


「ははっ、そっか。でも、戦力外通告はちゃんとしてくれていいからな?」


「ふふっ、大丈夫。そんなに難しいことは、頼まないよ」


「そりゃ、助かるよ。俺じゃ皮むきすら手間取るかもしれないし」



 片づけくらいは手伝ったことはあるが、料理なんてものはほとんど作ったことはない。

 それこそ、猫の手で包丁を握ったくらいで一仕事終えた気分になるくらいの初心者だ。

 恐らく、邪魔にならないようにしていた方が却(かえ)って早く作れると思う。



「うん。誠君の一番の仕事は、私を甘やかすことだからね。そのための体力は、ちゃんと残しておいて貰わなきゃ」


「………………なんか、そこまで言われると怖くなってくるんだが?」


「あははっ。そうかな?でも、もう逃げられないから覚悟してね?こんなに私をたぶらかしたんだもん。責任くらいは取ってもらわないと」



 逃げるつもりなんてない。

 きっと――いや、何があっても絶対に。

 

(……自分で、決めたんだ。なら、迷うことなんてもうない)


 今の二人の関係は、透が俺にとってどんな存在なのか、自問自答し続けて出した答えだ。

 そして、良くも悪くも真っ直ぐな自分であるからこそ、記憶が丸ごとなくなってでもしまわない限り揺らぐことはないという自信がある。



「はいはい。その代わり、とびっきり美味しいオムライスを頼むよ」


「あははははっ。相変わらず、誠君は安あがりだね」


「透みたいにお高くないからな」


「ぶーっ。そのいい方ってちょっとひどくない?」



 お互い冗談を言い合いながらスーパーの看板の方へと歩いていく。

 近づいた距離、それでも話していることは、最初の頃とあまり変わらないようにも感じる。


(……変わらないってのも、悪いことじゃないよな)


 もしかしたら、違うことを思うべきなのかもしれない。

 でも、俺にはそれが何となく嬉しかった。



「あっ!でもさ、でもさっ!それならあれだよね。二人で半分こしたら、ちょうどいいやつだよね」


「ははっ。そうかもしれないな」



 よく用いられるようになったそのフレーズは、透にとってのお気に入りのものなのだろう。

 ことあるごとにそう言ってきては、俺が納得するまで言い続けるのだ。

 


「でしょ?」


「ああ」


 

 そして、そんなことを言い合っていると不思議と頭に浮かんでくるものがある。

 それは、透のおばあさんが良く言っていたこと。

 古風だけれども、やけにしっくりとくるような、そんな口癖が。

 


「……今、誠君が思ってること当ててあげようか?」



 不意に告げられた内容は、彼女の背景を知っていれば勘違いしてしまうようなものだ。

 でも、今の透が心なんて読んでいないことは明白だ。

 いや、むしろ、そんなことをする必要なんて一切ない。



「奇遇だな。実は俺も当てられるんだが?」



 だって、俺にもわかる。

 透が、今の会話にどんなことを思ったのか。

 


「へー、じゃあお互い答え合わせしてみる?」


「いいぞ」



 だから、特別な力なんてなくても、俺たちはちゃんとわかりあえるのだ。

 一緒に紡いだ時間を重ねていけば、今みたいに。

 


「「いい塩梅だ」」


「「……………………」」


「「あははははっ」」


 

 まるで一つの音のように響く笑い声。

 俺はそれを聞きながら、幸せな記憶の一ページに改めて想いを書き足すことにした。


 俺にとって特別な、普通の女の子。

 透に出逢えてよかったと、本当に幸せだと。


 言葉では伝えられないほどの感謝とともに。

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