第95話 蓮見 透 逢瀬③

 駅の構内、朝も早い時間から抱き合う二人に周囲の視線が集まっているのがわかった。

 微かな笑い声や、揶揄するような声。


 たくさんの人たちの関心が集まっている状況に、きっと昔だったらつい癖で心を読んでしまっていただろう。 

 そして、何度繰り返しても学ばない私は、嫌悪感や頭痛、そんな必要もないものを自分から拾いに行ってしまうのだ。


  

(……温かいな)



 でも、今は違う。

 大きな体が全身を包み込んで、あらゆるものから守ってくれる。

 どれだけ関係が変わっても、最初の頃と同じ澄み切った心のままで。



「誠君」


「なんだ?」


「好き」


「ん?あー……ありがとう?」

 


 伝えた好意に、誠君は不思議そうな顔をして首をかしげている。

 彼は、いつもそうだ。

 私がどれだけ救われて、どれだけ感謝しているか、ぜんぜんわかっていない。


 それこそが、誠君なのだと思ってしまうほどに、全く。



「大好き」


「あ、ああ。俺もだよ」


「…………大好きっ!大好きっ!!大好きーっ!!!」


「ちょ、わかった!ほんと、わかったから」


 

 子供じみた感情が口から溢れ出していくと、さすがに焦ったような誠君が私の口を塞ぐように一層強く抱きしめてくる。

 でも、その息苦しさでさえも嬉しさを感じてしまい、自分が立っているのかすらわからなくなるほどの幸福感が体を支配していった。



「あ、おい。大丈夫か?」



 そして、崩れ落ちそうになる体に添えられる手を、絡みつくようにして抱えるとその綺麗な瞳を下から覗き込んだ。

 


「………………抱っこ」



 欲と理性、その天秤はあまりにも簡単に振り切れてしまって、もはや上の空でただただわがままを言うことしかできない。


 恐らく、自分が子供の頃でもなかったような醜態。

 普通であれば、こんなことは絶対にしない。

 でも、誠君がくれる不思議なほどの安心感が、その背中を押し続ける。

 

 彼は、何でも許してくれる。私のしたいようにさせてくれる。

 それが何よりもわかるから。



「……はぁ。今日の予定変えてもいいか?」

  

「………………何するの?」

 

「落ち着くまでどっかで休もう。さすがに、このまま叫ばれてたら通報されそうだ」


「………………デートは?」


「最悪、明日すればいいさ」


 

 苦笑したような雰囲気とともに置かれた手が、宥めるように頭を撫でてくる。


(……なんか、ずるい)


 きっと、早希ちゃんに対して日頃からこんなことをする機会があるのだろう。

 その手は心地よい位置をずっと動き続けていて、慣れているのがすぐにわかった。



「んーでも、どこ行くか。ゆっくりできそうなところとなると――」 


「…………私の家、来る?」


「ん?別にいいけど。いいのか?また戻る感じになるけど」


「うん」


「なら、そうするか」


 

 そして、燻り出した嫉妬心は独占欲に変わっていき、邪魔の入らない二人きりの場所へ行くことを選ばせる。

 初デートとしてはもしかしたら相応しくない場所なのかもしれない、でも、今の私にとってはそれが何よりも正解であるように思えた。


(なんだか、どちらかの家ばかりにいる気もするけど)


 たとえそれが事実であっても、お互いが楽しめているのなら、それも些細な問題なのだろう。

 それに、明日も出掛けてくれると約束してくれた。

 なら今は二人でいられる時間を何よりも大事にしたい。

 


「ふふっ。楽しみだね」


「自分の家だろ?」


「でも、楽しみなんだ」


「ははっ。安上がりだな」


「そうでもないよ?誠君の時間がお代だからね」


「なら、やっぱり安上がりだ。もう、半分あげたようなもん……って、おっと!」



 そう言って朗らかな笑みを向けてくる誠君のせいで、自分の制御がまるで効かなくなる。

 ずっと一緒にいたくて、もっと近くにいたくて、どうしようもなくなる。



「あんま頭ぐりぐりしてるとそこだけ薄くなるぞ?」


「…………そしたら、嫌いになる?」


「いや、それはないけど」


「…………なら、やめない」



 たぶん、これは本能的な行動なのだろう。

 自分の香りを、存在を、もっと刻み込みたいと強く思ってしまう。

 誰にも渡さないように、誰も近づかないように。もっと。


 

「ほら、もうすぐバスくるみたいだからさ」


「…………知ってる。次のバスは、六分のでしょ?」


「ははっ。なんか、しっかりしてるのか、そうじゃないのか判断に悩むところだな」


「…………誠君は、どっちが好き?」


「俺は、透がしたいようにできてるのが一番いいかな」



 相手の好きを求めたがる私にとって、誠君のその言葉は何よりも価値があるものだ。

 彼は私に何も求めない、理想の姿も、理想の振舞いも、理想の言葉も。


 ただ、どんな私でも、受け入れてくれる、そんな人だから。



「あ、待った!叫ぶのは無し」



 次々に溢れる想いが口の前で行列を作り、声となって出ていきかけたのがわかったのだろう。

 珍しく焦ったような彼が再び頭を抱え込んでくる。



「…………他の方法で塞いでもいいんだよ?」


「…………ここでは、勘弁してくれ」



 胸に振動を与えるようにして伝えた言葉に、少しだけ照れた声が上から返ってくる。

 お互いに言外に匂わせたその意味は、今の私達の関係を何よりも感じさせてくれていた。



「ふふっ。家に行くの、楽しみだね?」


「…………はぁ。透には、かなわないよ」


 

 ずるい誠君に、たまにくらいは勝たせて貰わないと、おばあちゃんが言ういい塩梅とやらにはならないだろう。

 

 だって、全部半分こ。

 私たちの関係は、ずっとそんなものであって欲しいから。










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