第62話 背中合わせ

 しばらく川の中で遊んだ後、大きな石に背中を合わせながら座る。

 水に入れた足先がひんやりとしていて気持ちが良かった。



「明日、ほんとに楽しみだなぁ」


  

 たぶん、パタパタと足を動かしているのだろう。

 微かな体の振動に合わせて、水を跳ねさせる音が微かに聞こえてくる。

 


「確かにな。それに、俺はなんだかんだ町の方に行くのも初めてだしな。俺達がもともと来た方とまた違うんだろ?」


「ふふっ。海と家の往復ばっかだったもんね。方角的には反対側にある感じだよ」


「ふーん。遠いのか?」


「そんなに遠くないよ。電車で一時間くらい」



 どこへ行くのにも時間がかかるここらへんの交通事情にしてみれば、確かに近い気がしてくる。

 どうやら、だいぶ俺もこの環境に染まってきてしまったらしい。



「なるほどな。けっこう大きいのか?」


「うん。大都市ってわけでは無いけど、それなりに大きいよ」


「じゃあ、出店とかもあるのかもな」


「確か、あったと思う。最後に行ったのはだいぶ前だから変わってるかもしれないけど」


「そっか」



 予想通りというべきか、やはり透はこういった人の集まるイベントは避けてきているらしい。

 海の時も基本、海の家にいるか、祠の二択で人混みを避けがちだったのでなんとなく分かってはいたことだが。



「…………人混みが辛かったら、遠目に見るだけでもいいんだぞ?」


「ふふっ、誠君はほんと優しいね。でも、大丈夫」


「無理しなくていいからな?」


「本当に大丈夫だから。心配し過ぎだよ」


 

 正直、あの秘密を教えられた日から、透がそのことで苦しんでいるように見えることは無かった。


 だけど、確かに彼女はあの日泣いていたのだ。悩んで、苦しんで、それでも誰にも言えなくて、泣いていたのだ。叫ぶような声をあげながら。


 だったら、俺はそれを気にしてあげるべきだと思う。抱え込みがちな彼女が、自然とそれを吐きだせるように。

  


「……それなら、いいんだけどな」

 

「あははははっ」



 愉快そうな笑い声が後ろから響く。そして、その笑い声が収まった後、急に静かになった透が背中にもたれかかってきた。



「………………前はね。心を見てないと不安で、ずっと見てた」


 

 過去を思い出すようにゆっくりとした声が川の流れる音に紛れるようにして響く。



「小さい頃はコントロールできなかった力が、だんだんとできるようになってきて、当然最初は見ないでおこうとしたんだよ?」



 これまで、そういった力はあるとだけ聞いていたが、それを詳しく聞くことはしてこなかった。

 透が話したいというわけではないなら、正直それ以上聞く必要性はあまり感じなかったから。



「でもね、それがないとうまくいかなかったんだ。たぶん最初は、違和感から始まった気がする。私の言ってることがあんまり伝わってないの。説明すればするほど、みんな変な顔をしていくの」



 思考が大人に寄り過ぎていたんだろう。

 人はある程度同じレベルの人としか話せない。いつ頃の話かはわからないが、もしかしたら幼稚園児に高校や大学の話をするようなものだったのかもしれない。



「まぁ、ハル姉が笑いながらフォローしてくれてたんだけどね。でも、いなくなってからは、やっぱり心を読むことが必要になった。正直、何がわからないのかすら、私ではわからなかったんだよね」


 

 遥さんなら、そうするだろう。あの人は、自分が分からなくても、自分と違っていても、それを良さと考えて逆に褒めてくれる人だ。



「そして、みんなの思考に近づいたなと思ったら、また離れてったの。女性と男性、その違いが出始めた頃から」



 透の外見ならば、あまり好ましくない目で見られるのは想像に難くない。

 それに、その変化が出始める頃には、人は性の違いだけじゃない、社会の中で生きていくことを学び始める。



「当然、いい人もいたよ?だけど、やっぱり、それは移ろいやすくて。突然、繕うような嘘を見せるようになったり、露骨な好意を見せるようになったり。最悪の場合は、笑顔で私のこと陥れようとしてたりして、あんまり信用できなかったんだ」



 関係性によって、態度や接し方は変わっていく。それは、人ならば仕方が無いことだ。

 

 だけど、彼女はそうではない人を知っていたから余計に辛かったんだろう。

 おばあさんに、遥さん、そんな素晴らしい人たちに囲まれていたから。



「だから、少し前まではね。心を見てないと不安で、ずっと見てたんだ」



 想いの吐露に、言うべきことは、言いたいことはたくさんある。

 だけど、何となく今は聞いて欲しいというだけのような気がして、ただ、黙ってそれを聞き続ける。



「でも、今は違うの。誠君は、何があっても、どんな時も、誠君で。心なんて見なくても……ううん。見てない方が、幸せにしてくれることがわかったから」



 一瞬の重さの消失と回された腕に彼女が体勢を変えたことが伝わってくる。

 髪の毛が背中に当たる感触が少しこそばゆく、それでいて、心地よかった。



「私は、無理してないよ。だから、大丈夫」


「…………なら、いいんだ。無理して無ければ、それでいい」



 その声色に、透が大丈夫なのは何となく理解できる

 それでも、恐らく俺は心配をし続けるだろう。それこそ今は、何をしてても透のことを無意識に考えてしまうから。



「たぶん、私は、これからも心を見ることがあると思う。それをしなくちゃ、生きていけないような世界もあるから」



 目立ちやすい彼女は、悪意を集めやすいはずだ。

 ほとんどそういったことに興味の無い俺の耳にも入ってくるくらい噂が立っているほどだったし、俺が知らないだけで辛いこともたくさんあっただろう。

 


「だけど、私はもう、何があっても大丈夫なの。だって、自分が自分のまま、自由に生きていける世界を見つけられたから。誠君の隣に」


 

 その言葉に嬉しさと同時に悔しさを感じる。

 守ると言い切れない自分が悔しかった。無力な自分が悔しかった。



「………………俺は、もっと頑張るよ。透から見たら、一歩にも満たないくらいの頑張りにしかならなかったとしても」


「ううん。それが、すごく嬉しいの。誠君が、私のためにそうしてくれることが、何よりも嬉しいの」


 

 回された腕の温もりを離したくなくて、その手を掴む。

 ずっと一緒にいたい。本当に、そう強く思う。



「ありがとう」


「ふふっ。こちらこそ」



 俺の中の答えは、もうほとんど出ている。

 だからこそ、一度聞いてみたいと思った。


 俺の理想とする家族の形、親父と母さんのその形を。


 どうしたら、守り切れるかを知りたいと思うから。

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