第42話 隣の席

 昼食を食べた後、バスがまだ到着していないこともあり、ただぼーっとして過ごす。



 青々とした木々。


 周囲を取り巻く蝉達の声。


 空にそびえ立つ巨大な入道雲。


 

 そんなものに、これ以上無いほど、夏を感じさせられる。



「夏だなぁ」


「夏だねぇ」


 

 時折吹く強い風が暑さを少しだけ攫(さら)っていってくれてとても気持ちがいい。

 俺たちは、時計を見るのが馬鹿馬鹿しくなるようなのどかな風景の中、ただただ何もせずに時間を過ごしていた。

 


「来ないなぁ」


「来ないねぇ」



 腹が膨れたこともあり、眠気が滲(にじ)むように堆積していく。

 瞼に力が入らず、今にも閉じてしまいそうだ。



「ふふっ。眠いの?」


「めちゃくちゃ眠い」


「あははっ、ほんとに眠そう。それなら、ほら、横になって」



 透が自分の膝をポンポンと叩きながら、腕を引いてくる。


 なんだろう。膝枕でもしてくれるのだろうか。だけど、弁当を作るために早起きしているはずなので俺一人だけ寝るのはさすがに気が咎める。



「いいって。透こそ今日早かったんだろ?バス来たら起こすから寝てろよ」


「私は大丈夫だから。誠君が寝ていいよ」


「俺はいいから」

 

「私も大丈夫だから」


「いや、ほんとに」


「私だって」


「「いやいや」」



 話は平行線。お互いが譲らないまま、黙って睨み合う。


 目の前には眉間に皴を寄せた変な顔の透。


 そして俺は、その下らない姿に思わず吹き出してしまった。



「ぷっ」


「ふふっ」



 だが、どうやら透の方も同じようなことを考えていたらしい。

 お互いがほとんど同じタイミングで笑い出し、その二つの声がしばらく響き続けた。









「この歳になって、こんな下らないことで喧嘩するとは思ってもみなかった」


「そう?私は楽しかったけどね」


「透って意外にガキだよな」


「知ってた?ガキっていう方がガキなんだよ?」


「……やめよう、また同じことになるから」


「そうだね……あっ」


 そして、お互いが落ち着き、小休止を挟もうとしていた時、急に透が何かを思いついたようにニヤリと笑った。


 俺は、また変なことを思いついたんだろうなと少し警戒する。



「だったら交代で寝ようよ。最初は誠君、次に私ね。はい、もう決まり」



 まるで子供のような言い分だ。


 勝手に話し出して勝手にルールを決めてしまった透に俺が呆れていると、相手は得意げな顔で再び膝をポンポンと叩いた。



「ほら、早く」


「………………はぁ、透にはかなわないよ」


「えへへ、やった。なら、ね?早く」


「はいはい」


 

 とても楽し気な顔を見ると張り合う力が抜けてしまう。

 逆らってもまた同じような問答になるか、透が不機嫌なるかしかなさそうなので、言われた通り横になりそっと腿のあたりに頭を乗せた。 


 意外に、うん、あれだな。


 たぶん足が細いからだろう。その感触は思ったよりも固い。


 だが、それ以上に相手が前かがみになって聞いてくるので、髪が当たってくすぐったかった。



「どう?気持ちいい?」


「くしゃみ出そう」


「あっ、そうだよね。ごめん」



 俺がそう言うと、透は髪留めを取り出して髪を後ろでまとめ始める。

 いつも、髪を下ろしているので、首元が見えるのは少し新鮮な気もする。どちらがいいかは甲乙つけがたいところだが。

 


「これでどう?」


「似合ってると思うぞ」


「へ?……そっ、そうじゃなくて!」


 

 相手が急に上げた素っ頓狂な声に、自分の回答がズレていたことに気づいた。

 


「ああ、そっか。大丈夫、くすぐったくない」


「……もう、誠君はほんとに油断できないよね」


「そんなつもりはないんだが」


「そうだよね………………もしそういう人だったら、たぶんここまで仲良くなれてないと思うし」


「え?なんだって?」


「ほら!もういいから早く寝て」


「なんで怒ってるんだよ。まぁ、いいや。十分くらい経ったら起こしてくれ」



 怒られてしまい、釈然としないながらも目を瞑る。


 呼吸に合わせて動く体に、何とも言えない一体感を感じた。


 なんか、悪くないな、これ。


 そして俺の意識は、優しく、甘いような香りに包まれながら、ゆっくりと静かに沈んでいった。


 

 

 

 

◆◆◆◆◆





 何処か聞きなれたカシャっとした音に目が覚める。


 なんだかんだ深く眠ってしまっていたらしい。頭が少しぼんやりとしていた。



「おはよう。ふふっ、可愛い寝顔だったね」


「…………おはよう」


 

 目を開けると、透がスマホを片手にこちらに笑いかけてきていた。

 もしかしたら、涎のついた顔でも撮られていたのかもしれない。



「交代か?」


「ううん。バス来るのが見えたから」


「え?」

 

 その言葉に驚いて体を起こすと、少し離れた距離からバスが近づいてきているのが見えた。



「悪い、俺だけ寝てて。けっこー寝てたんだろ?」


「ぜんぜんいいよ。私が起こさなかっただけだし」


「いや、代わりにバスの中で寝てくれ。確か、七番目のバス停だったよな。そこで起こすから」

 

「いいの。正直、そんなに眠くないから」


「ほんとか?」


「うん」



 確かに、あまり眠そうには見えない。

 まぁ、乗っているうちに眠くなるかもしれないので、そうなったら寝かせておこう。


 そして、ついにバスが俺達の目の前に停まった。



「じゃあ、乗ろっか」


「そうだな」



 扉が開き、運転手以外誰も乗っていないバスの中に二人で乗り込む。

 そして、広々とした車内の中、たくさんの席があるにも関わらず今までどおり隣り合って座った。誰に言われたのでもなく、くじで決められたのでもなく、自然と自分達の意志で。

 


「そう言えば、写真撮ってただろ」


「あははっ、バレたか」


「ちゃんと消しとけよ」


「やだよー。あれは膝枕代だもん」


「……はぁ、大人な蓮見さんはもうどこにもいないんだな」


「誰かさんがしたいようにすればいいって言ってくれたからね」



 下らないことを言い合いながら、喧嘩し、仲直りし、笑い合う。

 

 そして、そんな中で俺はふと思った。




 俺達の関係は隣の席から始まった。そして、今も隣通しに座っている。


 だけど、それはぜんぜん同じものなんかじゃなくて。


 もっと深くて、もっと強くて、もっと素敵な。今の関係は、きっとそんなものなんだって、そう思った。

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