ベビーシッターの自供と依頼人の告白
「突然電話してしまい、申し訳ございません。ベビーシッターをやめさせてください」
「まだ預かり時間中ですよね? 突然困りますよ。うちの子が何か悪さをしましたか?」
「いえ、まさか。○○ちゃんはとてもお行儀よくしてらっしゃいます。私がいけないのです」
「と、いいますと? うちの子がけがでもしましたか?」
「いえいえ、○○ちゃんは至って元気にしております」
「では、どうしたのですか? 報酬は相場の2割増しでお支払いしているので、待遇は決して悪くはないと思いますが…」
「申し上げにくいのですが、魔が差してしまうのです。いつもリビングの机の上に置いてある宝石を盗みたい衝動に駆られるのです。これまでは何とか感情を押し殺して押し殺して、見て見ぬふりをしてまいりましたが、いよいよ理性のダムが決壊しそうなのです。欲望に抗えなくなってしまったのです。今にでもすーっと手が伸びて、ポケットに忍ばせてしまいそうなのです」
「変わった人ですね。あくまで胸の内で抱いていたにすぎないことを、当事者に白状してしまうなんて」
「自制がきかなくなった今、こうするしかなかったのです」
「ともかく、今日は私が帰るまで娘を見てやってください。警察にですって? 通報なんかしませんよ。あなたにはいてもらわないと困るんですよ。むしろ、これまでの何倍も報酬を弾みたい。ともかく、帰ったらゆっくり話しましょう」
依頼主から予想外の返答をされたシッターは、キツネにつままれたような顔をして電話を切った。気持ちが落ち着くはずもなかったが、それでもどこかほっと胸をなでおろす自分がいることが自分でもおかしくなり、かすかに苦笑いを浮かべた。
「お金に困っているんですか?」
「いえ、本当に魔が差しただけです。何というか、盗みたいから盗みたい。それにどうせ盗むなら、高価で盗みがいがあるものを盗みたい。別に借金があるとか、急にまとまったお金が必要になったとか、そんなことではないんです。宝石だってたいして欲しいわけではありません。いけないことをする、人の道に外れたことをするというスリルが、私を誘惑するのです」
「嗜好が独特な方だ。まあ、人のことは言えないか」
「………?」
「実は、宝石はあなたの目につく場所にわざと置いておいたのですよ。他でもないこの私がね」
「どういうことですか?」
「白状しますが、先に魔が差したのは私の方です。人間の葛藤を観察したい。罪悪感と欲望の間で揺れ動く人間というものを、リアルタイムでじっくり見てみたい、そう思ったのです。方法はいくつか考えましたが、予め隠しカメラを設置しておけますし、子どももこちらで仕込めるのでベビーシッターをターゲットにしたというわけです。ええ、そう驚かないでください。子どもには、あなたの目にできるだけ宝石が入るようにふるまうよう訓練させておいたのです。もちろん、私も仕事になんか本当は行っておりません。数年前にFIREした身ですから、お金も時間もたっぷりあるのです。実のところ、あなたの仕草や表情、声色に至るまで、隠しカメラでずっと観察していたのです。あなたがどんな行動を取られるのか、いろいろなパターンを想定していましたが、いやはやまさか自供されるとは。全く想定外で、今日あなかたから電話を受けてからずっと興奮しっぱなしです。電話口ではもう少しで取り乱しそうになって、平静を保つのに必死でしたよ。あなたのおかげで人間の新しい局面を見ることができました。さあ、あなたは何にも悪いことなんかしていませんよ。この宝石は記念に持って帰ってください」
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