リモコン争奪戦

里岡依蕗

KAC20222


 「はいっ! はいっ! はいっ! 」


 夕方から何の騒ぎだ、うるさい。まさかとは思ったが、自分の家に近づくにつれて、声は大きくなってくる。外からも聴こえるこの声の主は、よく分かっている。今日はバイトが休みだったんだな。また盛りやがってやがる、相変わらずだ。


 「ただいま! 」

 「うぉおおっ、はいっ! うぉおおっ、はいっ! 」

 「……だめだ、聴こえてないや」


 リビングに行くと、テレビ越しの推しに向けてペンライトを両手に持ちながら、タオルを首にかけ、野太い声で掛け声している現行犯がいた。

 「ただいま。ねぇ、うるさいよ」

 「……はいっ! ……はいっ! 」

 だめだ、こうなったら声には声で抵抗するしかないな。リビングに置いてあった球団公式メガホンを手に取り、思いっきり息を吸って、さっきから話を聞かない野郎に呼びかけた。

 「スゥ……声が大きいんだよ‼︎ バカ兄貴‼︎ 」

 「うぉああ、びっくりした! いきなり叫んだら鼓膜破れるだろうが! びっくりしたなぁもう」

 「兄貴こそだよ。掛け声するなとは言わないけどさ、野球部の声出し隊長が腹から声出して叫んだら、三軒先まで聞こえるよ? 恥ずかしいからやめて本当に」

 兄貴は高校まで野球部で、大学に入ってからは居酒屋でバイトをしている。気は小さいのに声だけは無駄に大きいのだ。

 「お前だって人の事言えないだろ? 球場で応援しに行ってから声が俺並みに出るようになってんぞ。メガホンなんか要らないくらいにな」

 「それは努力の賜物だからいいんだって! 一生懸命な応援が選手の力になるなら、喜んで喉だって潰してやるわ」


 親の影響もあるけれど、小さい時から生活が野球にありふれていた。キャンプに遠征しに行ったり、休みの日は球場に行ったり、食器もタオルもあらゆるものが球団グッズで、自然と一人でも試合を観に行くようになってしまった。

 それで、兄貴も野球を始めて、甲子園予選直前まで進むも、涙を飲み、引退してからは野球に前よりかはのめり込まなくなった。その代わり、いつからか分からないけれど、アイドルの推しが見つかったようで、さっきみたいに日々推し活を楽しんでいる。野球一色だった部屋は、今半分以上は推しグッズに変わっている。


 「喉は大事にしろよ、潰したら連日試合の時に笑われるからな。日頃のケアが大切なんだぞ」

 「何美容みたいな事言ってんの、ウケる。それ言うなら兄貴もでしょ、バイトで声出せなかったら致命傷じゃん」

 まぁ、そうだな! ハッハッハ! と笑う兄は、今はこんなに明るくなったけど、部活引退後は真逆だった。目標を失ったせいで、暫くは勉強もせずに、ずっと仲間と遊びに明け暮れていた。それが、いつしかいつの間にか受験勉強に励みだし、無理と言われていた大学に合格した。

 「ねぇ、兄貴」

 「ん? 」

 邪魔されたからか、観たい曲が終わったからか、ライブDVDを機械から出して、丁寧にケースにしまい始めた兄貴は、声だけ反応した。

 「なんでさ、兄貴っていきなりガリ勉し始めて今のところ受かったの? 」

 「あぁ、そりゃあ簡単だよ」

 「え? 」

 何か覚えやすかった秘訣とか、参考書でもあったんなら、教えてもらいたい、そう思って質問してみた。

 「推しの出身校だからだよ、それ以外に何かあるか? 」

 「は? ……あぁ、そう。なるほど」

 質問して損した。まぁ、推しの力は偉大なんだという事は分かった。勝てば次の日は気分良いけど、負けた日はむしゃくしゃする。だけど、推しが頑張った日は推しの頑張りに元気を貰うから、なんとか頑張れるっていうあれか。まぁ、負けた日はどちらにせよ悔しいけど。


 「それで、何? その推し、ライブ近いわけ? 」

 「いや、もう終わった。今度いつかはまだ分からないな」

 「それなのに掛け声練習してたの? はぁ、本当に勘弁してよ、恥ずかしいから! 」

 「わ、忘れないようにだよ! 練習大事だろ? 」

 「嘘つき、予約してたやつ届いたから観てたらヒートアップしたんでしょ? それは分かったからどいてよ、試合始まるから」

 「後で再放送観ればいいだろ、推しが今日歌番組のゲストなんだよ、スタンバっときたいんだよ」

 「今日は推しがスタメンだから生で見なきゃ意味ないんだって! まだそっち時間あるんでしょ、野球にしてよ! 」

 「休みの日くらい観させてくれって! 」

 「今日勝ち越すかが大事なんだから野球がいいの! 」

 「アプリで実況やってんだろうが! 実況でも見とけ! 」

 「いやだぁあ! 」



 「何やってんのあんたら」

 リモコン争奪戦の最中、冷たい声が飛んできた。仕事帰りの母だった。鞄やマイバッグを食卓机に無造作に置いて、ため息を吐くと、母は奪い合いしていつの間にか放り出していたリモコンを取り、ボタンを押して操作し始めた。

 「……これでいいじゃない」

 歌番組を視聴予約設定をして、野球中継の放送に切り替えた。

 「毎週奪い合いして騒がれたらたまったもんじゃないから、シフト確認して被る時はこうしなさい、分かった? あと番組終わったらすぐ野球にしてよ、私も観るから」

 「「……はい、失礼しました」」

 母はレジ袋から某カード付きウエハースを三パックくらい取り出し、お菓子袋にすぐ隠した。母は野球以外にも推しがいるからなぁ……

 「ちなみに、昨日勝ったから今日ハンバーグね」

 「おっしゃ! 」


 改めて思う、推しの力は偉大だ。

 

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リモコン争奪戦 里岡依蕗 @hydm62

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