第7話 開けてはいけない箱


 蘭子が車に乗って去った後すぐに、ななせを連れて2階へと向かった。

 2階は4部屋に分かれており、一つはリョウの部屋で一つは倉庫代わりの和室。残りは両親の和室と姉の洋室だ。両親よりも姉の方が帰って来る可能性が低いだろうと考えて、ななせには滞在中姉の部屋を使ってもらうことにした。


「ここ使っていいから」

「うん、ありがとう」


 ななせを連れて入った姉の部屋は、落ち着いた色合いの壁紙に包まれている。家具はベッドと机だけ。後は備え付けのクローゼットがある。

 就職して引っ越しした時に部屋にあった物は、ほとんど持っていったか処分したこともあってどこかがらんとした印象を受ける部屋だった。


「でも、本当にいいの? お姉さんたまに帰ってくるんでしょ?」

「気にしなくていいよ。帰ってくるのも年に数回くらいだし。今住んでる部屋もあるから帰ってきてもそんなに長くはいないから。もし帰ってきたときは空いてる場所で寝てもらえばいいよ」

「そっか、ありがと」


 少しだけ不安そうな顔だったななせが笑顔を見せてベッドにお尻から座る。マットレスが優しく受け止めてくれて、ななせの形に少し沈んだ。


「布団は一度干してから持ってくるね。ななせはこれからどうする?」

「あー、ちょっと寝足りないからもう一度寝るかも。リョウちゃんは?」

「ボク? ボクは……」


 時計を見ると時間は12時近い。


「うーん、お昼ご飯食べてから配信かな」

「あ、そうか今日土曜日だもんね」

「そ、お昼配信」

「配信かぁ~」


 そう言ってぼんやりとした視線で天井を見上げるななせ。何となく、寂しそうで。


「やっぱり配信、したい?」


 立ち去り際、ななせは蘭子と相談して配信は1日か2日ほど休むことにしていた。

 ななせはすぐにでも再開したい様子だったが、色々あったことも考慮してまずは疲れを取るようにとのことだ。きっと自分での気が付かない疲れをため込んでいるだろうからと。

 蘭子の言葉にななせは休止の発表をした手前もあり、しぶしぶ休むことにしたのだった。


「うーん、ていうよりもこの半年くらい配信以外何もやってなかったから何をやったらいいのかさっぱり思い浮かばないっていう感じかな」

「あー、それはちょっと分かるかも……」


 リョウ自身も、配信を数日休みにしたときなどはすぐにやりたいことがなくなって窓際で太陽に当たってぼーっとしていることが何度かあった。


「もしこのまま数日配信しなかったら禁断症状が出て死んじゃうかもしれない」


 顔の前でぷるぷる手を震わせながら冗談を言うななせ。

 だがリョウはそんなななせが少し心配だった。


「怖くはないの?」

「配信が? 全然そんなことないよ」

「……そっか」


 尋ねるリョウに対してきらきらとした目を向けて来るのを見て、リョウは安堵した。


「ま、配信再開するまではゆっくりするといいよ。半日もしたら白橋さんが荷物を持ってきてくれるだろうし」

「そうだね。それじゃ、リョウちゃんのASMRを聞きながら寝ようかな」


 ななせの言葉にリョウは顔が熱くなってくるのを感じた。


「うぇっ!? 直接向かい合って言われると、恥ずかしいよ」

「え、でも知り合いのVTUBERさんから反応とかよく貰うんでしょ?」

「んーでも、直接会って話した人はいないから」


 基本的に同業者と話すときはチャットかボイスチャットだけだった。ウェブカメラを使ってリアルの顔を映して話をしたこともない。直接会うなどもってのほかだ。


「そ、そっか。初めてなんだ。えへへ、リョウちゃんの初めてもらっちゃった」

「キモイよ、ななせ」


 頬を両手で包んでくねくねもだえる姿はありていに言ってキモイ。

 だがすぐに何かに気が付いたような表情になって訊ねて来る。


「そう言えば、リョウちゃんってコラボ配信はすごい積極的にやるのにオフコラボとかはやらないよね? やらないことにしてるってさっき言ってたけど何か理由があるの?」

「そ、それは……」


 男だとバレるわけにはいかないから、とは言えない。

 ここは遠回しに話すしかない、とリョウは思った。


「その、ちょっと自分の容姿(男なのに女みたいな外見)にコンプレックスがあって……」

「コンプレックス? こんなに可愛いのに?」


 目を丸くするななせに「だからだよ!」って言いたかったが何とかこらえる。


「えっと、この年でこんな外見なのはちょっとね……」

「年? あれ、リョウちゃんていくつだっけ」

「今年で23歳です……」

「23!? 年上!? その外見で!?」


 ななせの視線がリョウの体をあたまのてっぺんからつま先まで高速で上下移動を繰り返す。目玉が今度こそころんと落ちそうなほど見開かれていた。

 リョウの外見はどう見ても10代の女の子だった。だから性別と年齢の話をすると大抵こういう反応をされる。現代のようにリモートで仕事が出来る環境でなければとても生きづらい生活になっただろうことは簡単に想像できる。

 ちなみに余談だが、外に出ることも人に会うことも極端に少ないリョウが一番こういう反応をされるのは職質をしてくるお巡りさんである。


「ななせは?」

「去年で20でーす」

「あ、配信上の設定と同じなんだ」

「そ、誕生日も一緒にしてあるんだー。じゃないと忘れそうだし」


 配信上のキャラクターと設定を合わせることにはそんな利点もあるのか、と合理性に納得してしまう。


「リョウちゃんは123歳だっけ。じゃああたしと同じで年齢設定は同じなんだ」


 実年齢に100足しただけだと言うことにななせは気が付いたらしい。


「良く知ってるよね」

「ガチ恋マスターですから! 他にも好きな飲み物とか、いつ何してるのか大体わかるよ」


 むん、と胸を張ると人並み程度の胸が主張する。

 確かにすれったーにおはようコメントを書く直前に、何故か『そろそろリョウちゃん起きたかな』といったななせのコメントを見かけたことがある。

 本当に生活リズムまで把握されていそう怖い。


「じゃ、じゃあボクは隣の部屋で配信の準備始めるから!」


 会話をぶった切ってリョウは部屋を出る。

 その背中に、


「うんー、配信聞きながら寝るねー」

「う、うん」


 若干の気恥ずかしさを覚えながらも、こうして直接に配信を楽しみにしてもらっている人がいると分かるのは本当に嬉しいことだ。

 ななせに手を振りながら部屋を後にし、隣の自分の部屋へと移動する。

 扉を開けると真正面に扉。

 大枚はたいて購入した防音室だ。視線を右にずらすとベッドと小さな本棚がある。部屋の中は防音室によって窓が遮られて半分薄暗かった。


「さてと、と」


 防音室の扉は開けたまま、中に入ってパソコンを起動する。

 そのままチャットツールであるコンコードとメーラーを起動して、それぞれ知り合いのVTUBERや担当者さんからのメールに返信をして時間を過ごす。

 内容は業務連絡3割雑談7割といった雰囲気だ。

 リョウは活動方針として可能な限り多くの同業者と関わろうと思っている。単純にコラボすることで新規の視聴者の獲得というだけではなく、新しい刺激を得られると言うことも大きなメリットだった。


「こんなもんかなー」


 返信を返し終わるともう昼の部まで一時間くらいしかない。

 普段リョウは一日に複数回の配信を行っている。多い時は朝昼晩の3回行動だ。金曜深夜の定期ASMR配信の翌日、つまり土曜日は朝の配信はお休みしているため、昼と夜に配信を行っている。ちなみに月曜日を定休日としている。


「……ちょっと何か食べておこうかな」


 思い返してみれば朝起きてから何も食べていなかった。配信まであまり時間もないことだし、カップ麺か何かで簡単に済ませようと考えながら防音室、部屋の扉と開けたまま急ぎ足で階段を下りて行った。

 背後で隣の部屋の扉が開いたことには気が付かなかった。


   ◇


「ふぅ、間に合ったー」


 カップ麺を食べてトイレに行ってから部屋に戻ってくると放送開始時間までは本当にすぐだった。

 間に合ったことに安堵しながら自室の扉を開けて――あれ? と思う。

 出た時に扉は開けたままにしなかっただろうか。扉を開けながらよぎった思考だったが、手は止まらずすぐに部屋の中の光景が目に入って来る。


「何してるのさ、ななせ」

「あ、リョウちゃんおはよ~」


 わずかに寝癖を付けた様子のななせが部屋にいた。それも何故か防音室の床に寝転がってだ。

 リョウの部屋の小型防音室はデスクトップパソコンとゲーミングチェア、それからいくつかのゲームハードを入れていて中はかなり狭い。せいぜい一畳分程度のスペースだ。だからななせも防音室に入っているのは体の半分くらいで、細い足が防音室の外の床に飛び出している状態だった。


「もう一度聞くけど、何してるのさ。寝るんじゃなかったの?」


 本当に何がしたいのかよくわからなかった。リョウの言葉にななせは首だけ少し持ち上げてリョウを見ると、にまぁとした笑みを少し見せた。


「いやぁ、何かお宝でもないかと思いましてねぇ」

「お宝って、別に何もないよ。機材とかはもちろんあるけど。あとお互いの生活には極力干渉しないっていう約束は?」


 リョウの言葉は聞き流された。


「うーん、確かにあったけど思ったより少ないね……じゃなくて、学生時代の写真とかかわいい人形とかエロ本とかだよ!」

「最後のはおかしいと思うんだ」


 答えながら頭の中はフル回転していた。

 この部屋の中にななせに見られたらまずいものが残っていただろうか。ほとんどの物はとりあえずクローゼットに突っ込んである。

 学生時代のアルバムなんかはもってのほかだ。ブレザーにスラックスをはいているのを見られれば流石に性別がバレる。

 だがそれ以上に下着なんかはどうしようもない。服はユニセックスな物を好むリョウだが、流石に下着は男性ものだしブラジャーは着けていない。

 そしてななせは確実にやるタイプだろう。

 以前の配信で、オフコラボで他のVTUBERの部屋に行った時にわずかな隙をついて衣装箪笥を開けて怒られている切り抜きを見たことがある。

 あの時はその配信者からボロクソに言われて終わっていたが、もしそんなことをされればこっちが社会的に終わる。

 部屋に入るのを禁止にするべきか。いや、だが相手は女同士だと思っている。そんなことをすればかえって疑われる可能性があるだろう。とすればどうすればいい?


「ねぇ、この中何が入ってるのかなー?」


 いつの間にか起き上がったななせがベッド下の引き出しに手を掛けている。

 中に入っているのはまさしく今考えていたブツ――!


「えへへ~御開帳~♪」

「ななせ」


 にへらと笑いながら引き出しを動かそうとしたななせの背中に語り掛ける。


「もし、」


 引き出しを数ミリだけ手前に引き出した手がその声で止まる。


「その引き出しを開けたら」


 ななせの首がギギギと固い動きで振り向く。何故か笑顔がひきつり汗が頬を伝っていた。


「絶対に許さないから」


 目が合った瞬間、ななせがぴしりと音を立てて固まったのがわかった。


「もう絶対にコラボなんてしないし、この家にもいていいけど完全に別々に生活することになる。顔を会わせないように生活するし、部屋にも鍵を取り付ける」

「えっ、えぅあぅ」


 リョウの淡々とした口調で滔々と語られる内容に、ななせは口をパクパクとさせて混乱している様子だった。

 最後まで感情を殺した声で、釘を差し込む。


「わかった?」


 その言葉にななせが首を上下に何度も振る。

 顔色が悪いままで。

 じっとその目をのぞき込み、額から一滴汗が流れ落ちるのを見てからリョウは目に込めていた力を抜いた。


「そう、良かったよ」


 笑みを向けたがななせはまだ同じ動作を繰り返していた。


「じゃ、ボクは配信があるから静かにしててね。万が一配信にななせの声とか乗ったら大変なことになるからね」


 コクコクと首を変わらず縦に振るななせを見ながらリョウは防音室へと入った。

 あの様子ならばきっと大丈夫だろう。そう思って。

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