第4話 マネージャー襲来
軽やかなメロディに鼓膜を叩かれて、リョウの意識は浮上した。
瞼の裏に陽の光を感じて目を開ける。
「っつ……!?」
ぼんやりとした視界が数瞬の後像を結んで、口から出かかった叫びを無理矢理に抑えなければならなかった。
視界一杯にななせの寝顔が映っていた。
瞳は白い瞼に伏せられ、薄く開いた唇から寝息が漏れている。あどけない寝顔が視界一杯に広がっていて、リョウは息が止まった。
寝る前にななせは布団の真ん中にしっかりと寝かせていたはずだった。リョウ自身は布団の隣で畳の上に横になっている間に寝入ってしまったようだった。
だがななせはいつの間にか布団の端まで寄ってきていて、リョウの顔に寝息がかかるほど近くまで顔を寄せてきていた。
(し、心臓に悪い……!)
ぶるりと体を震わせながら起き上がろうとすると、蒲団の裾から出したななせの手のひらがリョウの服をきつく握っていた。まるでどこにもいかないで、と言うかのように。
「昨日会ったばかりの人に心許し過ぎでしょー……」
そう呟きながらもリョウは手を放そうとはせずに顔を上げる。壁にかかった時計は既に10時を回っていた。少し目を瞑っているだけのつもりだったが、ずいぶん寝てしまっていた。
そこまで確認してから、音の源を確認する。
音は布団の中、おそらくななせの服のポケットにあるスマホだろう。メロディに聞き覚えがある。かなり古いアニメの主題歌だ。くぐもっているが、テンポの良い曲だ。
「ななせ、ななせ起きて。スマホ鳴ってるよ?」
「うぅん……やぁだー」
ななせはそう言って丸くなるばかりでスマホを取ろうとするどころか、目を開けようとすらしない。
「えー? でもずっと鳴ってるよ?」
肩を揺すって再び起こそうとするのだが。
「すーすー」
ななせの寝息が聞こえてきてリョウは肩から力が抜けてしまった。
どうやらななせ、一度寝るとなかなか起きないタイプの様だった。
だがそれでもスマホは鳴りやまない。
目が覚めてから既に2分以上は鳴りっぱなしだ。もしかしたらかなり急を要する電話なのかもしれない。そう考えるとリョウ深く息を吸って腹を決めた。
「な、ななせが悪いんだからね? ボクは起こしたからね?」
そう言いながら布団の裾からゆっくりと手を忍ばせる。
「んひゃっ、冷たっ!?」
短い悲鳴を上げたのはななせ、ではなくリョウの方だった。
布団の中で触れたななせの手が冷たかったのだ。末端冷え性とかそういったものかもしれない。気を取り直してななせの体、スウェットのズボンを目指す。
もぞもぞと動かした手が、柔らかい物に触れる。
一瞬びくりと硬直させて、すぐに落ち着きを取り戻す。触れていたのはななせのお腹だった。服越しにでもわかる、柔らかいがあまり肉が付いていないお腹だ。痩せている、そう感じた。
手はそのままズボンの方へと伸びて行って、
「あった」
ポケットの中で音と振動を奏で続けているスマホをどうにか引っ張り出す。
可愛らしいデザインの手帳型カバーを開くと、画面には『蘭子さん』という発信者の名前。
着信は未だ切れる様子がない。
リョウは意を決して着信マークを受話にスライドさせた。
「もしも――」
「ななせさああああああああああん! 今どこにいるんですかああああああああああ!」
スマホのスピーカーから聞こえてきたのはそんな耳をつんざく絶叫だった。
女の人の声で、鼻をずびずび言わせながらまくし立てて来る。
「休止ってどういうことなんですか何かあったんですかやっぱり例の件ですか今どこにいるんですか変なところにいないでしょうねお腹は空いていませんかちゃんと今日は寝れましたか寝てたなら仕方ないですけど起きたならもっと早く連絡をくれても良かったじゃないですかどうしたんですか声を聞かせてくださ――」
「あのっ!」
一切呼吸を入れることもなく喋り続けていた声の主が、わずかに弱まった瞬間を狙って声をねじ込む。ハッとした空気がスマホ越しに聞こえて、一瞬無音の時間が流れた。
「あ、れ? 誰、ですか?」
きょどきょどとした空気が伝わって来る声だ。
ようやく落ち着いて話せそうだと思って息をつく。
「えと、すみません。ボクはななせの――友達です。ななせを預かっている者です」
わずかに間が空いたのは、自分から『友達』などと言うのが本当に久しぶりだったからだ。その上直接出会ってまだ間もない。本当に友達と言っていいのか言い切ってからもじわじわと不安がにじみ出て来る。
「お友達の方でしたか……ななせさん無事ですか?」
リョウの自信なさげな言葉だったが、通話の相手を安心させるには十分だったようだ。
安堵のため息が聞こえて来た。
「ええ。朝の6時までは一緒にゲームしてましたが、今は寝ていますよ。全く起きそうにありません」
「あはは……ななせさんは一度寝るとなかなか起きませんからね」
苦笑が伝わって来る。どうやらその部分では手を焼かされている雰囲気だ。その雰囲気からなんとなく相手の事を察した。
「ああ、申し遅れました。わたくしVTUBER事務所『株式会社あすとらる』所属『WORLD.LINK』九曜ななせの担当マネージャー白橋蘭子と申します。よろしくお願いします」
その言葉でああ、とリョウは納得した。
雰囲気からそうではないかと思っていたのだ。
だがマネージャーだと言うのならこちらも何も隠すことはない。
「同業の関係者の方なら安心して話せます。ボクは形代リョウといいます。個人でVTUBERをしています」
「え!? 形代さんですか!?」
「ああ、ご存知でしたかー。ありがとうございます」
「い、いえ! あの、いつもうちのななせさんがすみません……」
「ああ、そちらもご存じで……」
配信上やすれったー上での絡みも知っていると言うことだろう。
まぁななせは絡みのあるVTUBERに対してはかなり距離感が近くなる傾向のようなので、マネージャーである蘭子の心労もかなりの物だろうと予測された。
「それにしても、形代さんはななせさんとリアルでも付き合いがあったんですね。ななせからは聞いたことありませんでしたけど」
「いえその、昨日うちの近くで会ったと言いますか、拾ったと言いますか」
「……その話詳しく聞かせてもらえますか?」
リョウは蘭子にななせと遭遇した時のことを詳しく話した。
するとスマホの向こうで鼻をすすっていた蘭子の雰囲気が変わっていく。
もちろん、怒りへとだ。
「形代さん。すみませんが、差し支えなければご住所を教えていただけますか? 今からそちらに伺います」
「は、ハイ!」
豹変、と言っていい雰囲気の変わり方だった。リョウが思わずスマホを耳に当てたまま居住まいを正してしまうほどに。
簡潔に住所を伝えるとメモを取っている雰囲気の後「分かりました」と、声が聞こえて来る。
「今私がいるあすとらる事務所からそちらまでは3駅分程度の距離なので、着くまでにさほど時間はかからないと思います。すみませんがそれまでななせさんをよろしくお願いします」
「わ、わかりました」
リョウが頷きを返す途中で通話は切れていた。
ツーツー、という電子音だけが空しく聞こえて来る。
「大変なことになったかも……」
◇
ピンポーンという家のチャイムが鳴ったのは、通話を終えて30分も経たない頃だった。リョウが玄関を開けると、地味目な雰囲気の女性が立っていた。襟付きのシャツにパンツルックのスーツをきっちりと着ている。だが黒縁の眼鏡が重たげで、どこかやぼったい。
そんな彼女がドアを開けたリョウの顔を見て固まっている。つり目気味な目は驚きで見開かれていた。
「……あの」
「あ、す、すみません」
リョウが声をかけると、女性は意識をようやく再起動させたようだった。ぱちぱちと瞬きを繰り返し慌てた様子で言葉を続ける。
「形代さん、でいいんですよね? 改めてご挨拶を、白橋蘭子と申します」
「あ、これはどうもご丁寧に」
軽く頭を下げてから差し出して来た名刺を受け取る。名前や連絡先の他、あすとらるとWORLD.LINKのロゴが目に付く。玄関に立つ蘭子の背後には白い車が見えていた。タクシーなどではなく自分で運転して来たらしい。
「取りあえず、中へどうぞ」
「すみません、お邪魔します」
リョウの言葉に蘭子は頭を下げながら中へ入る。その後ろでリョウは扉を閉じたのだが、その様子をやはり蘭子がまじまじと見ていた。
「あの、何か?」
「あ、いえいえ! その、形代さんの姿があまりにも配信しているアバターと雰囲気が似ていたもので驚いてしまいまして。すみません」
その言葉にリョウはああそう言うことかと納得する。
今まで鎬意外とリアルで同業にあったことはなかったからあまり意識してこなかったが、客観的に見てどうやら玲はリョウとよく似ているらしい。鎬の腕がいいとも言えるが。
「デビュー時に色々ありまして……鎬君がちょっと」
「ああ、ウチの鎬が暴走したんですね」
そう言って蘭子が遠い目をする。
よくよく考えてみれば鎬カタナはWORLD.LINK所属のVTUBERだ。マネージャーである蘭子が知っているのは当然と言えば当然だ。
蘭子の様子から、どうやら箱内でどういう扱いを受けているかは想像することが出来た。
「それで、ななせはどこにいますか?」
「あ、はい。こっちです」
リョウは蘭子を家へと上げて案内する。
ななせを寝かせているのは玄関からすぐ左の居間だ。
ふすまを開けると、一番に居間の真ん中で布団の上に寝ているななせの姿が目に入る。
蘭子が来るまでの間リョウは何とか起こそうとしたのだ。肩を揺すったり耳元で叫んでみたり軽く叩いてみたり……だがななせは起きなかった。終いには暑くなったのか足で布団をはだけてしまいどことなくあられもない感じだ。もちろん下にスウェットは履いているのだが。
「すみません、起こそうとしたんですけど――」
そう弁明しようとするリョウの隣を抜けて、蘭子が部屋に踏み入る。
ななせは口の端からよだリョウを垂らしたまま寝息を立てている。起きる気配はやはりない。
蘭子はななせの隣に膝を折って腰を下ろした。
「ななせさん、白橋です。迎えに来ましたよ。起きて下さい」
「ううんん~」
しかしななせ、全く起きる気配がない。
ぼりぼりとスウェットの上から腹を掻いている。
ななせのそんな姿を数秒黙って見ていた蘭子だったが、おもむろにかけていた眼鏡をはずした。口をななせの耳元へ寄せる。
「いつまで寝てんだこのダボが。いい加減目を覚ましやがれ」
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