第2話 美少女VTUBER九曜ななせ、だが変態だ
「リョウちゃん、だよね?」
フードの下の顔を覗き見ようとするかのような視線が突き刺さる。
だがリョウはそれどころではなかった。
(何故!?)
全身をだらだらと冷や汗が垂れる。心臓がバクバクと跳ね上がり、頭の中を無数の思考が意味をなさず閃光のように現れては消えた。
(いや、そもそも誰だこの人!?)
目の前でこちらを見上げている女性には全くと言っていいほど見覚えがない。
年齢は恐らく20歳くらいだろうか。黒髪をショートに切りそろえており、目は切れ長でシャープな印象を与えられる。しかし今彼女の目は興奮に染まっており、もし尻尾があれば力強くぶん回されていることだろう。
一体目の前の人物は誰なのか。
リョウは自分が男であるという事実を隠すため、オフコラボをこれまで3年間したことがなかった。それゆえに容姿でリアルバレすることはあり得ない。
息をのみ、何も話せないでいると女性の目にようやく理性の光が戻った。
「あ、ごめん。あたしは声で分かったけど普通は分かんないよね」
そう言いながら女性が立ち上がる。
すると視線が相手の方が上になる。だがこれはリョウにとって別に珍しいことではない。リョウの身長は143センチしかない。リョウが小さいのだ。
「あたし、あたし! 九曜ななせだよ。初めまして、リョウちゃん!」
そう言ってにっこりと笑みを浮かべると同時、いきなり両手を広げてリョウに抱き着いて来たのだ。
「うぇっ!?」
一瞬で柔らかな感触と甘い匂いに包まれる。
背中から両腕でぎゅうっと包まれて、意識が飛びかける。
混乱の中頭に浮かんだのは姉以外にこんなに抱きしめられたのは久しぶりだ、という感想だった。
だがそんな混乱も一瞬で引く。
「ちょ、ちょちょちょっと待って。ななせさん? さっきまで配信見に来てくれてた!?」
リョウが力を籠めて引きはがそうとすると、見上げたななせは笑顔で頷いていた。
「うん、そうだよ。初めて会ったけど、このあたしがリョウちゃんの声を聞き間違うわけないもんね。すぐわかったよ」
「いやいや、普通わからないでしょ……」
この界隈声が特徴的な人が多い。もちろんボイスチェンジャーを使っている人や、意図的に声を高くしたり低く話している人もいるがリョウはほぼ素のままの声で配信を行っている。
普段滅多に外で話したりしないリョウだが、それでも一応人の目は気にするようにしてきた。だがいったい誰が深夜の駅舎で偶然出会った相手に気づかれるなどと考えるだろうか。
「はぁ~、やっぱり生で聞くリョウちゃんの声、いいわぁ~」
そう言いながら再び腕に力を入れてリョウの頭に鼻を近づけて来る。
何をするつもりなのか察知して、リョウは無理矢理に体と体を引き離した。思ったよりも簡単に体は離れる。性別の差はあるだろうが、ななせの腕の力がほとんどなかった。
「あうんっ、もうちょっといいじゃん」
「だ、だだダメです!」
指をくわえて、獲物を眺めるようなななせにリョウは荒い息で答えた。
(この人、ヤバい!)
まるでただの限界化したオタクだったが、リアルにそんな存在が現れるとここまで身の危険を感じる物なのか。背筋に走った戦慄を押さえることが出来なかった。
未だ視線を感じながら、何か話題を逸らそうと思ってようやく思い出した。
「そ、そんなことより――すれったー見たよ? 活動休止って、いったい何があったの?」
その一言にななせの動きが止まる。
こんな深夜にこんな場所にいることと無関係ということなどないだろう。
九曜ななせはリョウにとって同業者だ。頻繁に配信のコメント欄に現れてはコメントを残していってくれる相手――リスナーでもある。だから彼女の配信を何度か見に行った事はあった。
だが、それだけの関係だった。
出来ればコラボをしたいとは思っていたし、実際動く直前だった。
だから、心配したのは本当だ。
その言葉に、ななせは目を泳がせて頬をかく。
「あー、そのー。端的に申しますと家に帰れなくなったと言いますかー」
「帰れない? 追い出されたとか、鍵を無くしたとか?」
「そういうわけじゃないんだけどちょっとイロイロありましてー」
そういいながら口をもにょもにょさせている。
どうやら事情があるらしい。
「じゃぁ家に帰れなくなった結果、配信を休止することにしたと?」
「さすがにそのままは言えないから家の事情ってことにしたけどさ」
どうやらそう言うことだったらしい。
まだ疑問は残るが、これ以上は話したくない様子。リョウはそれ以上の追及をやめることにした。
代わりに現実的な話をする。
「で、この後どうするつもりなの?」
「このあと?」
「こんなところに朝までいたら風邪ひくよ?」
駅舎は屋根はもちろんあるものの、入口に扉はなく風がびゅうびゅう吹いている。
「始発が動き出したら電車であすとらるの事務所まで行こうかと思って」
株式会社あすとらるの事務所はこの駅から二駅ほど隣の街にビルがあることはリョウも知っていた
だが――
「始発が動くまでまだかなり時間あるよ?」
今はまだ2時を過ぎたばかり。電車が動き出すまで3時間程度は間があるだろう。
「うーん、少し落ち着いて来たしファミレスにでも移動しようかな」
そう言いながらポケットを探っていたななせが「あ」と口を開けて固まる。
どうした と思って見ているとぎぎぎ、と首を動かしてこちらに視線を向けた。
「お財布、忘れてきちゃった」
「え?」
涙目になるななせ。
一体どういう状況でこんなことになっているのかまるで想像もできない。
だがお金も持たずにこんなところにいるなど普通の状況ではやはりないだろう。
(ど、どうする……?)
流石にこのまま放ってはおけない。
さりとて家に連れて行けば男だとバレる可能性が強まる。
VTUBER形代リョウの中の人が本当は男だと言うことを知っているのは本人を除けば元々顔見知りの鎬だけだ。他のVTUBERからの質問にも基本的にははぐらかすようにして明言を避けて来た。恐らく察した上で聞いてこないでいてくれている者もいるだろう。
そして何よりもこんな時間に若い女の子を家に連れ込むこと自体が犯罪的に思えて仕方ない。万が一にもVTUBER九曜ななせが実は男の形代リョウの家に連れ込まれたなんてことになれば社会的にも配信的にもお終いだ。
そんな葛藤を見透かしたのだろうか。
ななせが取り繕うような笑みを浮かべて慌てて言った。
「あ、大丈夫大丈夫! スマホはあるし、最悪会社まで歩いていくから!」
そう言って立ち上がる。
「ゴメンね。変な話聞かせちゃって! んじゃ、あたしはもう行くから」
「あ……」
そそくさと脇をすり抜けていく瞬間、手の甲が一瞬だけ触れる。
とても冷たい感触だった。
それを理解した瞬間、リョウの手は勝手に動いていた。
「リョウ、ちゃん?」
立ち止まったななせが、リョウに掴まれた手のひらに視線を落としている。
細くて、冷え切った手のひらだった。
ななせの冷たい手のひらに、握ったリョウの手から熱が伝わっていくのを感じる。
冷たい手のひらが、どうしても放っておけなかった。
「あの、ウチに来ますか?」
◇
「ど、どうぞ」
鍵を開けてななせを家に招き入れる。
リョウの提案を、ななせは最初断った。
迷惑になるから、と。
だがリョウは折れなかった。その結果ここにいる。
「お邪魔しまーす!」
そう言ってななせは家に上がる。その様子にはつい先ほどまで遠慮していた様子はかけらもない。遠慮していたのは最初だけだった。
ドアの鍵を閉めながら、リョウは思っていた。
(やばいよー! こんな深夜に女の子連れ込んじゃったよ!?)
なるべく顔に出さないよう努めながらも、心の内では焦りまくっていた。
もし自分が男だとバレたらと思うと冷や汗が止まらない。
目をつぶれば、男だとバレたとき蔑んでくるななせの顔が思い浮かぶ。
もしそんなことになれば社会的にもメンタル的にも絶対に立ち直れない。
バレてはいけない。
そう決心しながらかぶっていたフードを降ろす。
そう、バレなければいいのだ。
朝まで隠し通せばそれでいい。
「リョウちゃん……」
「え、ひぅっ!?」
いつの間にか目の前にななせの顔があった。
目を大きく開いて、真正面からリョウの顔を覗き込んでいる。顔面全体にかかる圧がものすごい。
やっぱり無理だったのか? バレたのか!?
そう思った瞬間、顔が柔らかい物に包まれた。
「やだー! リョウちゃんかわいい! 配信のアバターも可愛いけど本物もそっくりでかわいい!」
そう言いながらななせは自分の胸にリョウの頭を掻き抱いていた。
「髪綺麗だね! シャンプー何使ってるの? 飲んでいい? めっちゃいい匂いすんね! ハスハス!」
どうやら自分が男だと言うことに気が付いたわけじゃないのは良かったのだが、リョウはもちろんそれどころではなかった。
バレていなかったことに安堵するやら、良い匂いと顔に当たる柔らかさで心臓と頭がどうにかしそうだった。
「ちょ、ちょっと! 離れてよ!?」
「あぁ、ゴメンゴメン。可愛すぎてついやっちゃった」
そう言いながらパッと体を離す。
ようやくリョウは大きく息をすることが出来るようになった。だが、心臓の鼓動は全然落ち着いてくれない。服の上からではわからなかったが、意外とあった。あと、多分つけていない。
ようやく呼吸が落ち着き始めてななせの様子を改めて見ると、自分の服に着いたリョウの匂いを嗅ごうとしていた。
「あ、やめてよそんな顔。気持ちよくなっちゃうじゃん」
リョウの蔑むような視線を浴びて、ななせがくねくねと身をよじらせる。
配信やすれったー上で絡んでいた時からなんとなく察していた。
(この女、変態だ!)
だが、まぁいい。今夜一晩寝床を貸すだけだ。
とりあえずは両親の寝室でいいだろう。客間の布団はしばらく干していない。そう思って声をかける。
「もう遅いし布団用意するね」
「えー? もう寝るの? だったら一緒に寝よ?」
「断固拒否します」
添い寝など絶対不可だった。
もし万が一にでも男のあれとかに触られでもしたら一発アウトである。
「えー? でもあたしまだ眠くないし。一緒にあそぼーよー」
確かにここまでくる間、ななせは眠そうなそぶりを全く見せなかった。
「そう言えばななせさんって――」
「ななせでいいよ! もしくはななせちゃんで!」
「……ななせは夕方から深夜らへんの放送が多いもんね。いつも朝まで起きてる人?」
配信者の中には同接人数が少なくなる昼間は寝ていて、リスナーが家にいる夕方から朝方にかけてで放送をする配信者が多い。結果として生活リズムが完全に昼夜逆転している配信者もいるのだった。
「うんー。普段寝るのは朝の5時くらいかなー」
「よくそれで体おかしくならないね……」
ため息をつきながら仕方なく居間へと案内する。
8畳の和室の電気をつけて座布団を勧めた。
「お、でっかいテレビだ! 普段のゲーム配信とかはこれでやってるの?」
「ううん、部屋の方のモニターで」
「えー、じゃあ部屋に入れてよ」
「ヤダ」
拒否の言葉だったが、ななせはなぜか笑っている。
なんとなくだがこの人の事が分かり始めたリョウだった。
VTUBERには二種類の人がいるとリョウは思っている。
素のままの自分で配信をする人と設定を守って配信をする人だ。
VTUBERはたいていの場合ガワのキャラクターに設定を作るものだ。中には配信者を題材としてガワを発注する者もいるがそれは例外と言っていい。
ちなみにリョウはその例外に該当する。
鎬がアバターを作成した際、発注書を見ずに思うがままリアルのリョウをイメージして作ったのでどことなく雰囲気が似ているのだ。気が付く人間などいるはずもないが、外を出歩くときに気になってしまうのは仕方のないことだろう。
そしてななせはと言えば外見こそ類似点はあまりないものの、キャラクターとしても声もほとんど配信そのままのタイプの様だった。
駅舎で一緒に来ることを提案するまでは、どこか遠慮をしている空気だったというのにここに来る途中からは自然な動作で手を絡めて来る、抱きしめようとしてくるなどほとんど配信上の九曜ななせそのままだった。
しょっちゅう女性VTUBERにセクハラ発言を繰り返し、オフコラボの現場ではかなりねっとりとしたボディタッチをしまくっている。それだけならただの『おじさん』だったが、デビューからの半年でお持ち帰りした女性VTUBERの数が10人を越している。
曰く、
『気が付いたらご飯を一緒に食べに行っていた』
『二人っきりになった瞬間手を絡めて来た』
『胸をもまれた』
など、女性VTUBER限定で手を出しているという。
そのためについたあだ名がWORLD.LINKの『レディキラー』。デビューからわずか半年にもかかわらず、女性にはほとんど見境なくかなりの数を手にかけているともっぱらの噂である。
テレビをつけてチャンネルを回しているななせを見ながら改めて自分の性別がバレてはいけないと思うリョウだった。
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