5-6 怨嗟に差す一条の光
そこには暗闇だけがあった。そこで俺はかろうじて自分の存在だけは認知出来ていた。
周りはどこまで行っても黒が広がり、自分がどこを向いているのかさっぱり分からない。完全に遮断されたこの空間に、ただでさえ折れ切った心が軋みそうになる。
しかし、それよりも悍ましいモノが心を砕かんとやってきた。
――私は――俺は――ボクは――アタシは――。消えちまえ――死ねよ――やめて――逝かないで――連れていくな――返せ返せ返せ――羨ましい――あぁぁぁぁ―――いやぁぁぁ――何でアイツだけ――俺に――私にも――寄こせ寄こせ寄こせ。
―――――『『『全てが憎いぃぃぃ!』』』―――――
「――ッ!?」
縦横無尽に反響する怨嗟の声。恨みつらみ妬み嫉みが、俺の魂を掻き毟ってくる。
すると怨嗟とは違う、冷めきった声が聞こえてきた。それは意識を失う直前に聞こえてきたあの声。どこか聞き覚えもある。
――そうだ、これは俺の声だ。怨嗟の中には俺の声もあった。
【どうだこれが人の無意識の集合体の一つだ】
【俺】が俺に言う。
【欲深く、醜いだろう? 人を羨むばかりで自分じゃ何も成し遂げられないとなると、途端に醜い感情をのさばらせる。大罪にも等しい行いだ。これが神に対抗する手段の一つなんだから呆れたものだよ全く。こんな醜い力がお前は欲しいのか?】
自虐じみた声色で問いを投げかけてくる【俺】。そのせいか自己嫌悪と同族嫌悪が同時に襲ってきた。
まるでこれは自問自答。その先で俺の中にある罪の意識を明らかにするかのようだった。
俺の罪……。それは――
【それはお前の過去だ。良く覚えがあるだろう。ほら、思い出せ。目を逸らすな。お前が抱いた感情だ――】
【俺】がそう言うと、景色が途端に変わる。それはどこかの山の中。【月】が照らす中、小さな木の家の前で二人の子供が、老若男女問わず村人たちから石を投げつけられていた。
黒髪の少年が白髪の少女を庇っていた。俺とアンリだった。
『や、やめ……!』
『アンリ……大丈夫だから……!』
『村から出て行け【忌子】ども!!』
『神が来たらどうする!』
『黒は消えちまえ!』
俺がアンリ以外の人間を【獣】だと思っていた時の記憶。両親が死んで以降、嫌がらせは毎日受け、罵倒と暴力は頻繁に降り注いでいた。死にかけたことだって何度もある。
アンリがいじめられていたらすぐに駆け寄って俺が守る。けれど、守ると言えば聞こえは良いがその実、突き付けられるのは現状を何も変えられない無力さだけ。その度に俺は俺を恨み、【獣】を恨んだ。そして普通の人を嫉み、強者も嫉んだ。
【――その感情を向ける対象はお前自身だけじゃないだろう?】
【俺】が問いかける。そうだ。もう一人だけいた。
――場面が変わる。家の中、アンリと二人きりだ。
『おにいちゃんだいじょうぶ?』
『うん……。アンリは……?』
『ちょっといたかったけど、わたしはおにいちゃんがまもってくれたからだいじょうぶだよ。そうだ! きょうはおいしそうなきのみをみつけてきたんだ! それたべてげんきだそうよ!』
同じくらい嫌がらせを受けてきたのに、前だけを見続けるアンリの心の豊かさ。時が進むにつれて明らかになる、
――あぁ、そうだ。これが、俺が一番嫉ましかったモノだ。
俺には無かったアンリの心の余裕と力。そのことに苛ついたこともあっただろう。
それを無意識に宿らせながら自覚もせず、へらへらとアンリに笑顔を振り向いていた俺。気持ち悪くて吐き気がする。
アンリが苦しんでいるにも関わらず、妹に抱いていた醜い嫉妬もそうだ。アンリを守ると、どの口が言う。
【おひさま】を一緒に見る?――俺のどこにその資格がある。
嫉妬の濁流が俺を飲み込み、溺れさせていく。本物の肉体が今ここにあれば、首を掻き毟って指と首が血に塗れていたことだろう。
そんな願いを叶えるかの様に、目の前に槍が現れた。切っ先は俺の心臓を捉えている。俺の意思で動かせそうなこの槍は、俺が死を望めばそのまま魂を破壊するだろう。
それもいいかもしれない。俺は槍を迎えようと——
「——いいわけ、ないじゃないですか!!」
「――ッ!?」
突如聞こえてきた、悲痛が混ざった怒りの声。少し舌足らずな言い方で、幼く見られたくないからと丁寧な口調にしているその声の持ち主。
絶望に墜ちていく俺の手を掴み、暗闇を照らす明るい
「まったくもう……! なに私を置いて死のうとしているんですか!? 誓いのこと忘れたとは言わせませんよ!?」
「アン、リ……? お前なんでここに……。というか、お前の魂は……」
砕けたはず。この場所にいるどころか、この世から消えていてもおかしくないのに……。
「私にも何が何だか分かりません。兄さんを助けようと思ったらってここにいて、そしたら兄さんが死のうとしていたんです。間に合って本当に良かった……」
ほっと胸を撫でおろしたアンリ。もしかしたら【
ただ、今それはどうでもよかった。アンリにまた逢えたことの嬉しさとそれ以上に様々な罪悪感が俺の中を駆け巡っている。
「アンリ……ゴメン……! お前を守れず、約束も果たせず、そのくせずっとお前を妬んでた……! お前はずっと、前だけを向いていたのに……。兄貴失格だ……!」
今アンリが何を思っているのか。恐怖で目を見られない。下を向いていると、重たい溜息が俺にのしかかった。
「兄さん、顔上げてください」
「え――」
アンリが俺の顔を掴んで目を強引に合わせてくる。俺の瞳に映っているのは、優しく暖かな笑顔だった。
「色々と間違っていますよ兄さん。謝る必要なんて一つもありません」
「なに、が……」
手を離し、一歩離れると俺にまた微笑みかけた。
「私だって周りを嫉んで、憎いって思ったことはありますよ。だってそうじゃないですか? 大事な兄さんを傷つけられて、私も理不尽な理由で傷つけられて。そう思わない方が不思議なんですよ。さっき戦っていた時だってその想いに飲み込まれそうになりましたし。――でも、兄さんが私とずっと一緒にいてくれて守ってくれていたから心が無事でいられたんです。前を一心に向けたのも兄さんがいたから。私一人じゃ決して抱けない想いなんですよこれは。兄さんが私に色んな感情を持っていたとしても、その事実は変わりません! 私はずっと兄さんがいてくれて救われていました」
「あ――」
ずっと守ってくれてありがとう。
と俺の手を掴んでアンリは心からの感謝を告げてくれる。
【おひさま】の様に暖かなアンリの心が、昔の様にまた凍り付いた俺の心を溶かしていった。
「それに、私気付いたんです。誰かを妬んだり羨んだりするってのは、こうありたいっていう願いなんだって。それが醜いなんてことはありません」
「願い……?」
「『あの人たちの様になりたい私もなりたい』、『普通に生きていきたい』——そんな想いがあるから私は明日を夢見て生きていけるんだって。じゃなかったら【おひさま】を見たいなんて夢を抱けなかったでしょうし、それに気付けたのもずっと兄さんが私の心を守ってくれてたから」
「アンリ……」
どこまでも柔らかな口調でアンリは俺を諭してくれる。
あの醜い感情を受け入れていいって言うのか。それは許されていいのか?
「良いんですよ全部受け入れても。だって、願いは叶えるためにあるんですから!! そうやって私たちはずっと【おひさま】を求めて生きてきたんでしょう?」
「——!!」
【おひさま】の如き明るさで、屈託のない笑顔を浮かべてアンリは言った。
眩いその姿。そうだ、確かに妬みもしたがこの明るさと温かさに俺は憧れたから今まで生きてこられた。約束したあの時にそう思っていたはずなのに、心の奥底ではそれを忘れていた。
乾いた心が癒されていく。自然と笑顔を浮かべられるまでになっていた。
「相変わらず無茶言ってくれるな」
「【おひさま】を取り戻すっていう一番の無茶やってるんですから今更ですよ」
「確かにな」
お互い笑い合う。
ここはまだ暗闇の中。嫉妬に狂う怨嗟の声もまだ轟いている。そんな悍ましい場所だが、アンリのおかげで今までで一番落ち着けている気がする。
「アンリ、改めて俺は誓うよ。【おひさま】を取り戻して一緒にその下を歩くってことを。アンリの為だけじゃなく、俺の為だけじゃなく、俺とアンリの二人の為に」
「なら私も誓います。これからは私も兄さんを護り、一緒に戦いながら夢を叶えていくと!」
「これからも一緒に来てくれるか?」
「当たり前です!」
今まで以上にアンリと心で繋がった気がする。いや、繋がったんだろう。俺の心は溢れんばかりに温かくなって、今ならなんだって出来そうだ。
「不思議だな。今までの中で一番怖い状況のはずなのに、どうにか出来そうな気しかしていない」
「そりゃそうですよ! なんてたって私たちが揃ってるんですもん!」
俺とアンリは拳を合わせた後、指を開いて手を繋ぐ。離れない様に指を絡めてしっかりと。
「そうだな。俺に出来ないことはアンリが――」
「私に出来ないことは兄さんが――」
足りないところはお互いに支え合う。そうやって今まで生きてきた。
「俺と――「私が――」
暗闇が晴れ、辺りが純白の光に包まれる。
最後に【俺】が笑った気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます