4-7 その身は神のため

「はぁはぁ……!」


 ギルドを出て広いメインストリートひた走る。

 夜空に浮かんでいた炎刃は消え去っており、代わりにあちこちに火の粉が上がっている。

 霊法では決して起きぬその現象。

 つまりはそういうことだった。


「――ッ!!」


 【駆動廻希】によって強化し続けている視覚と聴覚、そして霊力の知覚がソレを捉えた。

 と同時に、翻してその場から後ろに跳躍。

 目の前に一つ炎弾が空から猛烈な速度で落ちてきて石畳を破砕させた。

 

「もう、ですか……!!」


 冷や汗をかきながら暗闇の空を睥睨。

 そこには汚れ一つないアルフェールが悠々と宙に浮かんでいた。それも神の力によるものなのだろう。

 二つの意味で、アルフェールはアンリを見下している。


「わざわざ人の命を背負ってまで戦いに出てくるとは思いませんでしたよ。貴女一人なら余裕をもってここから逃げられたでしょうに」

「私のせいでこんなことになっているのに、私一人が逃げるわけにはいかないでしょう……! あなた達は私が止めます!」


 どのみち、アルフェールたちは逃げたところで追いかけたりはしないのだろう。何もかもを見捨てられないアンリは、今街を救うためなら必ず出てくる。

 その算段があったからこその、吹き荒ぶ炎。ほんの少しだけ目を離しただけなのに、被害を拡大させていた。

 ただ単に、アンリが街から逃げないようにする為だけに。


「その神様の如き高潔さと所業には瞠目しますが、未だヒトの身でそれを成すにはいささか無謀と愚かしさが過ぎるというものですよ」

「だとしても……!」


 今度こそという想いを薪に、込み上げ続ける霊力を燃え上がらせる。今のアンリなら完全無詠唱ですら、【イグニア】の発声が可能だった。

 小さな背に炎弾の円環を作っていくのを見て、けれどアルフェールの瞳に映るのは失望だった。


「あぁ、その愚かしさもまたヒトの専売特許でしたね。——だからこうして、貴女の献身を無駄に終わらせるのですから」


 否、見ていたのは円環ではなくその後方。

 訝しんだアンリはチラリと視線だけを後ろに向け、そして見覚えがありすぎる、短く刈り上げた青髪の男を見て瞳を大きく開けることとなった。


「このクソ白ガキ!! やっぱり災厄を齎しやがったな!! テメェを殺してオレ様が全部終わらせてやる!!」

「サトバさん……!!」


 怨嗟と殺意に塗れた胴間声。右手には鋼色に輝く直剣を持っている。

 今すぐにでもアンリを切り伏せたいのだろう。

 しかしそれよりも早く、アルフェールがより濃い殺意を迸らせた。

 対象は、サトバだ。


【————なり】


 微かに認識できた声。ただ、それにアンリは構っていられない。

 アルフェールの霊力は膨れ上がる一方。今まで起こりを見せなかったのが嘘の様に溢れさせ、右手に渦巻く炎を激らせた。


「え」


 それを感じたのかサトバの殺意は霧散し、ガチリとその場で停止する。吹き出す冷や汗は炎の熱量ですぐに蒸発していた。

 轟ッと、圧縮された炎の渦がサトバに向けて放出。飲み込まれたら骨すら残らないだろう。

 アンリがいなければ。


『【三ノ章四段絶空バリエース!!】』


 サトバの前に躍り出たアンリが、三重の障壁を正面に展開。遮られた炎は分散し、その周辺を溶かしていく。

 一瞬でピキリと障壁に罅が入る。このままでは破られると、槍を捨て全ての霊力を練り上げ障壁へと注いでいく。


『【深淵から護りし願いの叫び! 嵩む想いを胸に迫る脅威を祓い続け給へ!】』


 後述詠唱。

 障壁が補填され、三重の障壁が拡張しアンリとサトバを完全に覆った。

 それでもせめぎ合い、気を抜けば割られて灼熱に晒されるだろう。


「白ガキ……。お前、なんで……!」

「私も知りたいですねぇ。貴女がそこまでして守る価値がその人にありますか? ――そんなボロボロになってまで」


 こふっと吐血し、閉じた口から血が溢れ出るアンリ。皮膚もピシりと裂け、服のいたるところがジワリと赤く染まっていく。

 過剰供給される霊力に肉体が追いついていないのだ。ミーシャを運び、戦闘をしなかったちょっとの間ですら使った分は回復し、容量を溢れさせている。

 ならば常に身体強化をする為に魂の情報を書き換え続けて消費し続けていればいいのだが、途切れることのない霊力が次第に肉体へと馴染みすぎて、【人間】へと戻れなくしてしまう。

 今のアンリはそうならないように抑え込むので一杯一杯。そうして反発させているせいで肉体がボロボロ。瞳から、指の先、腕、背中などあらゆる部分から血が滲み出る。

 これが身体強化を使えぬ理由。紐を授けられた恩師に教えられ、リヴィからも厳守されていた。

 

「ど、どけよ白ガキ!! テメェに守られるくらいならこんな命なんていらねぇよ!!」

「ぐぅぅぅぅ……!!」


 震える手で小さな肩を掴み、悪態をつくもアンリは目の前に集中する。

 そこにあるのは、サトバと守り通そうとする意志。その想いの熱さがサトバの手を伝って心に届き、殺意が解れていく。

 それを実感するも、あれだけ憎悪を向けた相手に対して血反吐を吐いてまで守ろうとするその心意気が理解できず唖然としてしまった。

 ——ただ、震えはいつしか自然と止まっていた。


「そんな価値のないモノなんて見捨てれば良いものを。人類なんて存在するだけで有害です」

「ふふっ……」


 炎の奥から侮蔑の声が飛んでくるも、アンリは笑顔でいなした。

 血塗られた顔だが、とても美しく見える。


「……何がおかしいんですか?」

「確かに私は嫌なことをされ続けました。それこそ死にたくなりそうなくらいに」

「だから見捨てればと——」

「ですが、私は今救われているんですよ。私を大切にして愛してくれている兄さんのおかげで!」


 想いの丈が膨れ上がると共に、霊力が障壁になだれ込んで強固される。

 段々と炎の勢いを押し返しつつあった。


「この——ッ」

「それに私は人を憎んだことはありません。私が持っていないモノを持っている人たちが輝いて見えますし、兄さんの隣でそうあれたらといつも思っています」

「そのような綺麗事を……!」


 憎悪を持って炎の圧力を上げる。周りはドロドロに溶け、生身で熱波を浴びたら発火しそうな勢いだ。

 それでもアンリは争い続ける。


「貴方が何を言おうと、私の“憧れ”を消させたりはしません!」


 裂帛の一声。

 人とは違う姿を持っている彼女だからこその人への強い羨望と憧れ。

 故に希う。それになろうと。

 アンリはずっと先を見ていた。

 【おひさま】を兄と観た後、堂々とその下で憧れた人たちと一緒に楽しく生きていくことを。

 今のアンリは【おひさま】を観るだけじゃ物足りない。

 今まで苦労してきたんだから、いくら願っても許してくれたっていいだろう、と。

——私は今を、明日を兄さんとずっと歩んでいくんですから。


「ならその欲深き思いを貫き通してみてください」


 途端に炎の嵐をかき消したアルフェール。ただしそれは諦めではない。

 障壁の中から胡乱にアルフェールを見ると、より濃く昏く染め果てられた瞳と目が合った。


「――ぅっ……!!」

「ッ……!」


 感情全てを汚くぐちゃぐちゃに混ぜ、一つに塗り固めたような濃すぎる殺意が二人を襲う。

 アンリは吐き気を催し、サトバは心臓を握りつぶされたかのように苦しみに喘いだ。


「さぁ、貴女に全てを守れますか?」

【―――奇跡――なり――】


 ジャンブルの空が赤く眩しく染められる。

 およそ今の人類が見たこともないその光量。目を薄くしながら見上げると、無数の炎の塊――それこそ先のアンリの炎弾とは比べ物にならない量がそこにはあった。

 一つ一つに込められている熱と霊力も甚大。降り注げば、何かを思う間もなく全員が死滅し、一つの都市が消滅するだろう。

 ――これは、守れない……。

 今のアンリはサトバを守ることで精一杯。ジャンブルに暮らす数万人の命を救うなんて不可能だ。


「それ、でも……!!」


 屈しそうになる足を立て直し、跪くことを否定する。

 常に絶望に立ち向かい続けている兄の妹ととして、諦めるわけにはいかない。まだ全てを出し尽くしてはいないのだから。

 そう、アルフェールが言った"アンリが神と同じ存在”だというのであれば、この程度の苦難なんて容易く突破せしめるだろう。

 あるモノは全て使うと言わんばかりに、流れる血涙を荒々しく拭い蒼天の双眸に力を込めて炎空を睨み付けた。


「絶対に守り通してみせます!!」


 その瞬間。

 アンリの魂に【言葉】が届いた。

 同時に認識と理解を終える。

 すると瞳は虚となり、たどたどしく無意識に紡ぎ始めた。

 それは、アルフェールたち【福音教】が使っていた【神傷必罰】の詠唱。

 【祝詞】という神の言葉である。



「【神たる御身に奇跡は必然なり】

「――――――――――」


 バチリと、【アンリ】という存在が天から降りてきたナニカと繋がった。

 それに伴い見た目も変えられていく。碧の瞳は純白へ。可愛らしかった花柄のパジャマは何物も染めぬ無垢な白装束へと変わり、ゆったりとして優雅に揺らめく。

 変わったのは見た目だけではない。魂の質も変化を遂げ、人間のソレとは霊力の濃さが遥かに違う。言葉通り、次元が違っていた。

 損傷していた肉体は修復済み。隅々まで濃厚な霊力が行き渡り、最上の状態を保ち続けている。

 これを【おひさま】があった時代において、神々しいと呼ぶのだろう。


「これは……!」


 畏れか、アルフェールが戦慄く。夜空を覆う炎弾もどこか恐れを成す様に震えていた。

 その炎弾が――


「【ふっ――】」


 小さな口から軽い息を吐く。

 たったそれだけの行動で、一瞬にして全ての炎弾が白い花弁へと変わった。

 無数の花弁はひらひらと舞い散り、ジャンブルに幻想的な風景を作り上げていく。

 それだけではなく、戦闘の痕跡もなくなり炎上していた家屋は鎮火し完全に復元。溶けていた石の道も綺麗さっぱり整えられていた。

 およそ人が出来る行いではない。


「まさしく神様の御業……。流石に終わりにせざるを得ませんね……」


 諦めたようにゆっくりとその身を地へと下ろしていくアルフェール。

 アルフェールが使う術も人並み外れて凄まじいモノではあるが、今の【アンリ】はそれを優に超えている。絶大な力を付けた彼女に勝てる道理はどこにもなくなったというわけだ。

 ふわりと、音もなく花弁だらけの地面へと着地。花弁が少し吹かれる。

 許しを乞うかの様にひざを折り【アンリ】に向けて頭を垂れた。


「――これで、全ての準備が整いました」


 喜色満面を浮かべて悠々と言う。

 意識はあるのか【アンリ】が首を小さくかしげた。


 ぶすり。


「え――」


 生々しい音。口から一筋、血が流れる。

 後ろから心の臓に鋭い直剣が突き刺さり、突き抜けた鋼の刃は朱く染められていた。

 背後に敵はいなかったはず。いたのはサトバだけだ。


「なん、で……」


 こぷり、とサラリとした血が大量に口からこぼれ出し地面へと小さな身体が叩きつけられた。

 直剣が抜き取られる。ただ、血はそれ以上流れず傷はなぜか無くなっていた。

 それでも急所を破壊されたダメージは大きく、意識は落ちていこうとする。

 霞む視界の中でアンリが最後に見たのは、青褪めたサトバの顔とその後ろで怪し気にほくそ笑むシューレイだった。


「兄、さん………」

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