2-8 福音教戦終結《魂の咆哮》

 混じり気の一切ない純度の高いリヴィの殺意。【駆動廻希エクタシス】の効果が切れてもその意志だけで、信者の身を竦ませるには十分だった。

 手足の腱が切れ、身動きを取ることも出来ず眼前に槍の切っ先を突きつけられてては信者ももう動けない。敗北はもう決定付けられていた。


「――ちょうど、あっちも終わったみたいだな」


 既に背後で轟く破砕音は一切しておらず、シャーリーの方も戦闘は終了していた。

 隷機ミニステラの残骸の山の上でシャーリーは呑気に座って足をプラプラさせながらリヴィの方を見ていた。

 リヴィはその視線に気づき、ちらりとシャーリーに目を向けるとシャーリーは一息でリヴィの隣にやって来た。


「リヴィ~お疲れ様~! 見てたよ、やっぱり余裕だったね!」

「余裕じゃねぇよ……。何回も死を覚悟したわ」


 にぱにぱと、曇り一つない笑みを浮かべるシャーリーに一つ大きくため息。

 ほんの少し何かがズレていたら顔面が吹き飛んでいたかもしれなかったこの戦闘。こともなげに打倒したように見えるが、その実精神をすり減らしていた。

 

「まぁそこを覚悟して踏み越えられるってのが流石なんだよ。おねだりして手に入れた力を自分の力と勘違いするコイツとは、込められた意志の重みがまるで違う」

「ごふっ……!!」


 ブーツの踵部分で腹部を踏まれ、信者は呻く。

 埋もれるヒールは内臓を圧迫し、見ているだけでも吐き気が込み上げてきそうになる。


「んでリヴィ、コイツどうする? ここで殺しとく? 霊装と違ってその槍なら、さくっと逝けるわけだし」

「殺さねぇよ、物騒だな。これ以上、向かってくるなら別だけどな。コイツはこのままギルドに突き出して、そのあとの事はライラたちに任せるよ」

「優しいねぇリヴィは」

「殺さないで済むならそれで良いってだけの話だよ。どうせ、敗北したコイツはもう何もできないんだからな」


 信者の生殺与奪の権を手に入れられたならそれで良し。恨みもない相手に無益な殺傷をするほどリヴィの理性は飛んじゃいない。

 シャーリーに信者の体を起こさせ、リヴィは腰のポーチからロープを取り出してその身を拘束していく。

 信者は表情が伺えないほど首を垂れて完全に無抵抗。

 故に二人はもう終わったと思い、油断してしまった。

 人間は諦めが悪いということを、自分たちが一番深く知っていたはずなのに。


「……敗北、私が敗北だと……?」

「そうだよ。だからこうして拘束されてんじゃん」

「本音を見て見ぬふりして建前で戦ってた結果だろ。少なくとも、本音で戦わずに一心で向かってこない限りその拳は届かせねぇよ」


 二人が敗北を諭したその時、信者の口端が大きく歪んだ。


「あぁそうだ。確かに私に我欲があったことは認めよう。神様の為と言いながら自分の為に戦っていた。——だがな!!」

「おい……! お前なにを……!」

「リヴィ! 今すぐそこから離れて!」


 狂気の表情を以て天を仰いだ信者。それと共に濃厚な霊力の奔流が二人を襲う。その域はまるで魂そのものをぶつけられているかの様だった。

 巨波の様な勢いに押される様に二人は信者から跳び離れる。


「たとえ我欲があろうとも、神様に尽くすという想いは本物だ! 私の身命は神様の為にある!」

『【肉体を杯に! 血液を聖水に! 卓に載せるは我が魂!!】』


 絶叫の如き想いの炸裂。

 青い霊力は天へと猛々しく昇っていき、巨大な異門サンピラーを作り上げる。


『【存分にお召し上がりください!!】』

「おいあれ……!」

「やっばいね……。最後の悪あがきをさせちゃった……!」


 詠唱が終わると同時に、信者のその身が砂の様に消え去った。

 代わりに異門サンピラーから隷機ミニステラが降り立ってくる。

 その姿は下級系隷機。今回の戦闘だけで考えるならば、この隷機もエンジェリアだろう。

 けれど、戦闘形態を取った時その予測は霧散した。


下級上位アルケティア……! ここで来るか……!」

「それだけじゃない。肉体と魂を全て贄にしてるから、その分だけ力が増してる。あの信者が中級系隷機と契約してなかったのが不幸の幸いだね。じゃなかったらきっと、中級下位エクスシア程度じゃ収まらない」


 エンジェリアとは違い、顔にあるがリヴィ達を睨んでいる様に見える。

 姿形は変わらずとも階位が上がる度に瞳の数が増して力も増す下級系隷機。単純計算、下級中位アークリアならエンジェリアの三倍となっており、アルケティアならエンジェリアの六倍だ。

 なのにそこに全存在を注ぎ込んでいるせいで、目の前に聳えるアルケティアは中級系隷機にも等しい。

 震え、下がりそうになる足をリヴィは必死に堪える。槍を握る手には血管が浮き上がっていた。

 そして、そんな怯えそうになる心を律する時間をアルケティアは与えてくれない。


「【駆動廻希エクタシス】!!」

「リヴィ!!」


 巨躯とは思えない速度で一瞬で間合いを詰め、右の矛を霞む速度で大きく振り下ろす。

 余裕をもって躱すシャーリーに対し、躱せたのが奇跡に近いリヴィ。対象を失った矛は大地を大きく抉り飛ばし、余波は衝撃となってリヴィを吹き飛ばした。

 同時に弾かれた土と小石がリヴィの体を傷つける。


『深淵に仇なす魂の叫び。矮小なるこの身に無垢なる未来を脈動させ続け給へ』


 宙で姿勢を決死の想いで整え、超速で補完詠唱にて身体強化をかけ直す。

 それが間に合ったのもまた奇跡。けれど躱せたことの余韻に浸る暇はない。

 既にアルケティアは横薙ぎに矛を振るっているのだ。


 ――死んでたまるか死んでたまるか死んでたまるか……!!


 拡張された脳内思考の中、その意志は身体を狂いなく動かす。


「ッラァ!!」


 横一直線で迫る矛に対し、槍を斜めに構えて衝撃の瞬間にその身を回転させて威力の大半を殺すことに成功。

 同時に勢いを利用してアルケティアから間合いを取ることも出来た。


「はぁはぁはぁ……!!」


 地に着き、滝の様な汗をかきながら荒ぶる息を整えるリヴィ。その隣にアルケティアから視線を外さないシャーリーがやって来た。


「今の二撃で死ななかったのはデカいよリヴィ」

「ま、まだアンリにただいまも言えてないからな……!」

「よし、まだ未来を言えるのなら十分。――で、どうする。膂力とかは中級だけど下級に収まってくれてるおかげで攻撃手段は限られてる。わたしなら破壊可能だよ」

「だろうな……」


 大きく一つ深呼吸。アルケティアは余裕綽々とこちらを見ており、その様はリヴィを嘲笑っている様だった。

 それも当然か――とリヴィは思う。ヤツが警戒すべきはシャーリーだけ。この場で一番劣っているのリヴィにわざわざ焦る必要はない。リヴィも、このまま退散してシャーリーに全てを任せるのが正しいのだと理性では理解していた。

 けれど――


「この状況を招いたのは俺の甘さが原因だ。アルケティアは俺が全身全霊を持って破壊する。丁度よく、アイツも俺に対しては油断してるみたいだしな」

「まぁ作戦としては悪くないね。でもリヴィやれるの? リヴィの実力は認めてるけど、ここから先は霊力がモノを言う世界だよ」

「大丈夫……、すべはある。シャーリーはアルケティアの動きを一瞬だけ止めてくれるだけでいい」


 黒い双眸に宿るは何物も貫く強い意志。

 それをシャーリーは躊躇いなく受け入れた。


「あいあい。じゃあ、合図したらトドメは任せたよ!」

「了解!」


 弾かれる様に跳び出すシャーリー。アルケティアの周りを跳び回り、隙を突いては蹴りつけるなど猛攻を繰り広げる。しかし、アルケティアの分厚い霊力の膜がその攻撃を無効化する。

 ただ、それはシャーリーも同じこと。アルケティアの攻撃から生まれる風に乗り、宙を舞いながら。

 瞬く間に、世界は二人の物になりアルケティアの警戒がシャーリーに移っていく。

 その意識の隙こそ、リヴィが求めたものだ。

 両の矛を全速力でアルケティアはシャーリーに振り下ろす。当たれば粉微塵になりそうな勢い。

 それをシャーリーは真っ向から迎え撃った。


「はぁっ――!!」

 

 振り下ろされる十字の矛に対して、それよりも速く蹴り上げる。

 ゴォンと鐘の様な重たい音が轟くと、矛はシャーリーの蹴り上げに負けてアルケティアの隷核を晒した。


「今だリヴィ!」

「うぉぉぉぉぉ!!」


 アルケティアの完全な隙。それを捉えたリヴィはすぐさま間合いを詰めながら詠唱を紡ぐ。

 

『深淵に仇なす魂の叫び! 矮小なるその身に穢れたときを打ち砕く力を与えん!霊法・裏一ノ章【荒魂フェルミリア】!』


 漆黒の霊力が惜しむことなく槍に注がれる。

 それに伴い槍は姿を変えていき、穂先はより鋭く、持つその柄は亀裂が入りながらも禍々しくなっていく。


「うわ、何その詠唱……」


 金色の双眸を見開いたシャーリーが、過ぎ去ったリヴィの背を見ながらぽつりと呟く。

 それは非力なリヴィがあらゆる負担と経験を糧に編み出した、一ノ章を改変させたオリジナルの霊法。

 常に己の霊力を武器に流し続けたことにより、槍にはリヴィの魂の情報が染みついている。それを利用し、駆動廻希エクタシスの要領で槍を強化するというモノ。槍の耐久性を犠牲にし、一撃に全てを賭けたリヴィだけの業だ。

 使ってしまえば槍は砕けてもう戦うことは出来ない為に滅多に使わないが、ここにはまだシャーリーがいる。

 故に霊装アニマにも劣らぬ最上の一撃が放たれた。


「【魂の咆哮ルギトゥス・フェルミリア】!!!」


 唸りを上げて突き出した槍は隷核を完璧に捉え、砕け散ると共にその身を穿ち貫いた。

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