第11輪 追憶の嵐
時間は少し遡る。
勝毘が青いバラを投げた次の瞬間、天井は青く染まった。そして、ぷつんと宮人の視界が真っ暗になる。
噎せ返るようなバラの香りは感じるものの、音は耳に膜が張ったように何も聞こえない。視界も最後の鮮烈な青を残して闇に閉ざされてしまった。
「ヨシ、ノ……?」
広大な闇へポツンと取り残されたような孤独感に、宮人は恐る恐るヨシノを呼ぶ。
次の瞬間、腹を抉るような拳が叩き込まれ、くの字に曲がったまま前へと倒れる。
「ぐ、ぁっ……!」
『転がれ!』
「っ!」
ヨシノの声に、宮人は考えるより先に身体を捻って地面を転がった。次の瞬間、地面越しに振動を感じて何かしらの攻撃を避けられたのだと悟る。
『俺の声は聞こえるようだな。起き上がれ、次が来るぞ!』
感覚が失われた状態で、宮人が頼れるのはヨシノの声だけだった。声を頼りに、言われるまま足を動かす。
『どういう状況だ。俺からじゃよく分からん』
「ヨシノの声以外は何も聞こえない。視界も真っ暗で、あとはバラの匂いがすごい。さっき殴られたお腹も痛いかな……」
『あいつが投げた青いバラのせいだろう。アンダーザローズ、つまり【秘密に】【内緒に】という意味だ』
「バラの能力ってこと?」
『あぁ。古代ローマではバラを天井に吊るした宴での会話は口外しない、という習慣があったらしい。そこから生まれたバラにまつわる言葉だ。おそらく、この空間では視覚と聴覚が奪われるんだろうな。見ることも聞くこともできなければ【秘密】のままだ』
「花の力って、そんなことまでできるの!?」
『言っただろう。花の力はイメージの力だ。イメージと花の力が噛み合えば可能性は広がる。坊主にとって幸いだったのは、俺の声は聴覚を通しているわけじゃないから、こうして会話できることだな』
「こんな状態でどうやって戦えば? スイカ割りだってまともにできたことないのに」
『スイカ割りは知らんが、視覚と聴覚を奪われているのは相手も同じようだぞ』
ヨシノに言われて距離を取った宮人に、すぐ次の攻撃が来ることはなかった。
もし、視覚と聴覚を奪われているのが宮人だけなら、見えているはずの勝毘が立て続けに攻撃することもできるだろう。この天守閣の広さなら、大抵の場所は勝毘の鞭の射程距離だ。転がって避けた時も、立ち上がるまでに時差のあった宮人に追撃ができたはずである。
『考えられるとすれば嗅覚か触覚か、はたまた何かまた別の方法でお前の場所を見定めているんだろう……左に飛べ!』
「っ……!」
左に飛んだ瞬間、先ほどまで自分がいた場所から空気が破裂するような衝撃を感じた。宮人が見ることはできないが、勝毘の鞭だと推測できる。
『うはは! 傾奇者め、笑っているぞ』
「こんな状況なのに?」
『こんな状況だからだろう。まさに茨道だな。戦いが心底好きらしい』
「戦いが、好き……?」
『そういうやつもいるということだ。目の前のあいつは特に、力に固執しているように見えるしな』
「自分だって、痛い思いをするかもしれないのに……」
『暴力というものは、原始的でどっちが上か分かりやすいだろう。だから、力を基準に生きる者たちもいる。あいつは、そういうところに身を置いてきたのかもな』
ヨシノの言葉に、宮人は刀を構え直しながら呟く。
「戦って勝つ以外、この状況を切り抜ける方法ってないのかな……」
『この状況で、よくそんなことを考えられるな。感心する』
「嫌味なら後で聞く」
『違う、素直に感心したんだ。思考を捨てることはいつでもできる。だが、こんな状況で生きることも、戦わないで済む方法を探すことも、どっちも諦めないとは、そう簡単にできるものじゃない』
「ヨシノが言うとやっぱり嫌味っぽいよ」
『うはははは! 何、お前がサクラの代表でよかったという話さ』
妙に優しくなったヨシノの声音は、どこか宮人を認めたような温かみがあった。
そっと背中を押してくれるような言葉が父の姿を思い起こさせて、宮人はむずがゆさを覚える。
「い、今はそんなことより! 勝毘くんは?」
『おっと、目の前だ』
「はっ!?」
咄嗟に身を翻せば、背中を拳が掠め風圧だけでも身体が押される。その場で飛び上がった宮人は、両手で刀を構え直した。
「“桜流し”!」
相手の頭上から水が流れるような軌跡で斬撃を繰り出す“桜流し”。
視界は閉ざされたままだが、目の前にいたはずの勝毘に向かって飛び上がった宮人が、勘を頼りに刀を振り下ろす。
『浅い……!』
ヨシノの言葉通り、宮人にも手応えは感じられなかった。次の瞬間、真横から飛んできた鞭の衝撃に柱へと弾き飛ばされる。
『やはり見えない状況はまずいな……』
「っ……さっきのはヨシノのナビゲートミスでしょ! 頼むよ!」
『しょうがないだろう! あの傾奇者、見た目の重量のくせにすばしっこ……正面!』
「っ!?」
寸でのところで宮人が構えた刀に何かが衝突する。突進してきた勝毘の風圧が後からやってきて、ギリギリと押し込まれていく。
『シンプルな力勝負じゃ分が悪いぞ!』
「分かって、るけど……!」
攻撃をいなすにも、背中が柱に押さえつけられ、目の前の勝毘の圧から逃げられる隙間はなかった。
どうにか均衡を保っていたその時、ガクンと足が何かに払われて背中から床に倒れ込む。
『坊主……!』
上から何かが来る。宮人は直観した。このまま諸に食らえば、自身の身体がただじゃすまないことも。
その瞬間、今までの思い出が走馬灯のように流れてくる。
今日、家を出る瞬間に見た母親の顔。そして仏壇に飾られた父の写真。まだ父が生きていた時、家族で行った花見のこと。家族3人で行った最後の花見は、父の乗る車椅子を母が押しながらの花見だった。
その時、車椅子の隣を歩く宮人の手を握って父は呟いたのだ。
──……父さんの代わりに、母さんのことよろしくな
宮人はまだ幼く、その後に襲ってきた悲しみが強すぎて、その記憶は春の風に攫われていた。
だが、その言葉は桜並木の光景と共に、確かに宮人の中に刻まれていたのだ。
「僕は……!」
上から落ちてきた衝撃を、桜の花びらを纏った刀が受け止める。受け止めた刀は桜の花弁のように散り散りに舞い、つむじ風を起こした。
花の力は使い手のイメージから生まれる。
宮人にとって、桜のイメージは……
「“桜吹雪”っ!」
刀身は花弁に姿を変え、柄だけになった刀を宮人が振り抜く。舞っていた花弁はつむじ風に巻き込まれながら吹き荒れた。
儚い見た目ながら、刀が姿を変えた花弁は鋭い切れ味を持って周りを蹂躙する。それは咲き乱れていた青バラごと天守閣の天井を吹き飛ばしていった。
風が止み、天井の無くなったそこへ陽光が降り注ぐ。
突然、戻ってきた光に宮人は目を瞬かせた。
「はははっ! そんな大技も持ってたのか!」
「っ、戻った……!」
勝毘の声に宮人は聴覚も戻ってきたことを悟った。瞬きを繰り返せば、目の前にはボロボロになった天守閣が広がっている。
「ミヤ!」
「モモさんと天穂くん! いつからそこに!?」
「馬鹿! 目を逸らすな!」
天穂の声に宮人はハッと視線を勝毘に戻す。
天穂と李谷の方も、美甘との交戦を続けていた。そちらのことも宮人には気がかりだったが、勝毘を無視してそちらを気にかけられるほど余裕はない。
『実践は急成長を促すな。見事な“桜吹雪”だった』
「冷静に分析してる場合じゃないから!」
“Under the Rose”の中で、勝毘にも多少のダメージは与えられているようだった。“桜吹雪”による細かな裂傷があるが、勝毘の動きにはまだ余裕が見える。
宮人が刀を構え直すと、勝毘はくっと口角を引き上げた。
「戦わずに、なんて言いだした時は正直ガッカリしたが、意外と骨があるじゃねぇか。見えも聞こえもしない状況になると、大抵のやつは心が折れちまうんだがなぁ。お前の匂いはずっと諦めなかった」
「匂い?」
「お前にはバラの匂いしか感じなかったろうが、俺にはちゃんと桜の匂いが届いてたぜ。妙なブレは感じてたけどな、もう1人隣にいるような薄い匂いがチラチラしてた」
『花の力を匂いで嗅ぎ取れるのか。俺の存在も感じ取れるとは、面白い』
ヨシノが驚いたように呟いていると、勝毘は首をバキバキと鳴らしながら黒い鞭を自身の腕に巻きつけ始める。
「ま、そんなことはもうどうでもいい」
左腕は茨の鞭でグルグル巻きになった。そこから鞭は、植物が建物の壁を覆い尽くすように勝毘の身体を這って巻きついていく。
「お前とはもっと、楽しめそうだ!」
勝毘の全身が鞭に包まれ、本来の勝毘よりもひと回りほど大きな黒い影へと変貌していった。鎧のように勝毘を覆うと、頭には1本の鋭利な角が生えてくる。
「“
「そんなのあり!?」
『くぅ……! やはり傾奇者、カッコいい!』
宮人へと向かっていく勝毘は、もはや人というより猛獣の突進のようだった。鋭い頭の角から一直線に突っ込んでくる勝毘を、宮人は間一髪でかわす。
「おら、もっかい打ってこいよ! さっきのやつをさ!」
勝毘は床を抉りながら方向転換し、再び宮人へと向かってくる。
宮人は勝毘に向かって刀を構え、強く柄を握り締めた。
「“桜ふぶ……、っ!?」
刀が花弁へと姿を変えかけた瞬間、宮人の身体からガクンと力が抜けた。
宮人の身体はすでに限界を超えていた。ここに来るまでの連戦と、勝毘に痛めつけられた身体はずっと前から悲鳴を上げていたのである。
それを気力だけでどうにか乗り切ってきた。そんな身体で、宮人にとって大技である“桜吹雪”を連発することはできず、刀は花弁になりきれずに元の姿へと戻っていく。
『避けろ!』
「っは……!」
宮人が足を動かそうとしても、それは空しく床を擦るだけで推進力とはならなかった。そこへ突っ込んできた一角獣の角が、宮人の肩を貫通しながら柱へと突っ込む。
角を突き立てられた肩からは血が噴き出し、一泊遅れてやってきた激痛に宮人は断末魔のような叫び声を上げる。
「あっ、あぁぁぁ……!」
「せっかく楽しくなってきたと思ったが……まさか、さっきのでガス欠か? 白けさせてくれるなよ」
角で宮人を柱に張りつけた勝毘が、茨に包まれた手で宮人の首を掴む。痛みで顔を歪める宮人に勝毘は吐き捨てた。
「だが、しょうがないよな。結局、弱いやつは強いやつに屈服する運命なんだ」
「ぐ、ぁっ……!」
ギリギリと首を絞めあげられ、宮人の意識が朦朧とし始める。勝毘の腕を掴むも、茨の装甲に宮人の手が傷つくばかりだった。
諦めたくない。諦めたくないのに、この状況を打破する力がない自分に宮人は怒りを覚える。
こんなところで、死ぬわけにはいかないのに。
『おい、坊主』
「ヨシ、ノ……?」
『この傾奇者に殺されるのと、俺に殺されるの……どっちがいい?』
ヨシノの言葉に、宮人はキッと目の前で浮かぶヨシノを睨む。
「どっちも、やだ……!」
『潔し! なら、俺の手を取れ!』
差し伸べられたヨシノの手を宮人が掴む。
掴んだ手から、身体が宮人の意思から切り離されていくようだった。
頭から爪先、毛細血管まで余すところなく底知れぬ巨大な力に満たされていく。宮人では持て余すほどの力を御すのは、乗り移ったヨシノだった。
首を勝毘に掴まれたままだった宮人の口元に、ふっと不敵な笑みが浮かぶ。
「なんだ? 命乞いなら聞かねぇよ」
「いや……」
次の瞬間、宮人の首を掴んでいた腕の装甲は切り刻まれ、勝毘自身の腕が露出する。その腕にも数多の切り傷が走り、鮮血が迸った。
腕ごと持っていかれるような錯覚に、勝毘は瞬時に宮人から飛び退る。
「っ、おいおい……急に雰囲気、変わりすぎだろ」
柱から解放された宮人は肩からドクドクと血を流しつつも、すらりと刀を構え一分の隙もなくその場に立っていた。
黒髪だった宮人の髪は、風に撫でられながら淡い桜色へと染まっていく。同じく桜色に輝く瞳は、刀のような鋭さで勝毘を見据えた。
「時間がないからな。次で決めようか、傾奇者よ」
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