第10輪 キャンディータフト

 李谷は能力のおかげでそれなりに回復していたが、天穂は技を連発したことによる疲労が限界近くまで溜まっていた。


「人を呪わば穴二つ……だな。もう技を出せるほど体力は残ってない。だけど、ここまで来て、宮人を置いて城から出るわけにもいかない」

「その意見には賛成だな」


 ふたりは天守閣へと続く階段を上る。宮人と天穂で一度罠をかいくぐってきたおかげか、幾分楽に登れた。


 中を伺いながら天守閣を覗き込んだふたりは、天井に咲き乱れた青いバラに息を飲む。明らかに先ほど見た時とは様子が変わっていた。

 その部屋の中心で傷だらけになりながらも立っている宮人と、余裕の笑みを浮かべ、汚れひとつない真っ白な薔薇の特攻服を纏った勝毘が対峙している。


「ミヤ!」


 李谷が呼びかけるも、宮人がこちらを振り返ることはない。それは勝毘から視線を逸らさないようしてるというよりは、単純に聞こえていないように見えた。


「あいつ、ボロボロで……! ヒーローの俺が助けないと!」

「待て、様子がおかしい」

「おかしいって、何が!」

「勝毘も、まるで俺たちに気付いてないみたいだ」


 先ほどの李谷の呼びかけに、勝毘がふたりに気付いていてもおかしくない。

 しかし、勝毘も宮人もふたりだけの世界に隔離されたように、こちらを気にする様子はなかった。


「天井の青バラで、何か能力を発動してるんじゃ……」


 その時、真横から銃声が響き、咄嗟に李谷が大太刀で弾く。

 銃弾が飛んできた方向へふたりが視線を向けると、部屋の隅で壁にもたれかかるように美甘がリボルバーを向けていた。


「勝毘くんの、邪魔はさせない……っ!」

「お前、顔真っ青じゃん。それ以上、動いたら……」

「うるさい……!」


 李谷の言葉を遮るように美甘が叫ぶ。


「僕は、勝毘くんのためにここまで来たんだ……ここで役に立たないで、いつ、立つって言うんだよ……っ」





 鈎美甘は元来、引っ込み思案だった。

 自身がイベリスの花の一族であることは早くに認識していたが、同じく花の力を開花させた母親が大嫌いだった。


 イベリスの力は戦闘向きではない。しかし、魅了による人心掌握という点では現代社会において非常に有効な能力であった。母はイベリスの能力によって、権力者たちの寵愛を一身に受けることに成功したのである。

 豪勢な家はどこぞの地主から譲り受けたもの、身に付けるものはどこぞの政治家から貢がせたもの、そして美甘自身もどこぞの権力者との子供だった。


「よかった、私に似て美人で」


 美甘の顔を見る度に、母は自身の成果を誇るようにうっそりと笑った。そうして弧を描いた赤い唇が美甘は大嫌いだった。

 美甘が好きなのは、枕元で子守歌を歌ってくれていた母の優しい唇であり、男に媚びる紅を引いた唇ではない。


 母の能力は同時に複数人に使えるものではなく、近所での母の評判はすこぶる悪かった。都心が嫌いだという母は茨城の片田舎で暮らしていたが、そういう場所での娯楽は近所のゴシップなのである。

 今日も鈎家の屋敷からは違う男が出てきた、と噂されても母は知らん顔。

 それが面白くない親たちは家で愚痴を零し、その愚痴を子供は意味が分からないままいじめの道具として使った。


「アイジンの子! ケガらわしい女の子供!」

「女みたいな顔しやがって! 親子そろって足開くのかよ!」


 最初は母のことも自分のことも悪く言われることが辛かった。

 それがやがて十歳を超える頃には、美甘は自分自身を周りが言う通りの存在だと思って否定もしなくなっていった。そんな美甘の悟った無反応さが、余計にいじめをエスカレートさせたとも言える。


 しかし、花の一族の短命さは母も同様だった。美甘が小学校を卒業する前に母は亡くなり、美甘ひとりが生活するのに十分すぎるほどの遺産が手に入った。

 生活に不安はなかったが、嫌いな母の遺産なしに生きていけないことが美甘には屈辱的だった。


 そんな美甘が中学に上がってからもいじめは続いた。


「遺産で裕福な生活送ってんだって? 俺たちにも恵んでくれよ」


 中学に上がると、大抵はそうして金をせびりにくることが多くなった。

 ある日、毎度そうやってせびりに来る彼らへ美甘は純粋な疑問を口にする。


「……汚らわしいって言ってたくせに、その女が手をつけた金は欲しがるんだ?」


 美甘は別にお金が惜しいわけではなかった。むしろ、あんな母親の遺産で良いならくれてやる、くらいの気持ちだった。

 いじめっ子たちは始め、今までほとんど口応えしなかった美甘の言葉に面食らった。だが、そんな驚きはすぐに苛立ちへと塗り替えられていく。


「いいから、さっさと寄越せっ……!」

「そんなひょろいやつを大人数で囲ってダッセーなぁ!」


 突然、美甘の元に飛んできた張りのある堂々とした声。その場にいた全員が、その声の主に目を奪われた。

 美甘でも名前を聞いたことがある有名な不良の同級生──それが、茨勝毘だった。


「っ、……お前には関係ねぇだろ!」

「あぁ、関係ねぇな。力こそ正義、弱い奴は強い奴の前にひれ伏すだけだ」

「だろ? 金が欲しいならそう言えって……」

「金はいらねぇ。それより、もっと楽しいことしようぜ?」


 勝毘はいじめっ子たちにちょいちょいと指を曲げてみせた。明らかな挑発に、いじめっ子たちは顔を険しくする。

 自分たちが勝毘に喧嘩で勝てるのか、という迷いがいじめっ子たちの間に広がっていた。


「そのひょろいのから金を奪えるくらいには強いんだろ? だったら、その力で俺にかかってこいよ。ちょうど暇してたんだ」

「この……なめやがって!」


 美甘は勝毘が不良として有名であることとは別に、彼がバラの一族の本家の生まれで、花の力を開花させたことも知っていた。

 花の力は、その花を身に付けることで常人には使えない能力を使うことができる。だからこそ、美甘の家には常にイベリスの花が生けられていた。


 この勝毘という不良も、バラの力を使って己の力を誇示しているのだろう、と美甘は考えていたのだ。

 母親と同じでくだらない。と美甘は心底、軽蔑してしまう。

 そもそも花の力こそ、嫌いな母の権化のようで一番の忌避の対象であった。


「──……なん、で」


 目の前の光景に、美甘の口からそんな呟きが零れる。


「ったく、全然歯ごたえねぇなぁ」


 勝毘はいじめっ子たちを素手で瞬殺してみせた。花の力は使わず、ただただ己の力のみで圧倒したのだ。

 美甘にとって、それは衝撃だった。花の力を使うことでしか生きる術を持たなかった大嫌いな母とは、目の前の彼が対照的な存在に見えた。

 倒れたいじめっ子たちの中に汚れひとつなく立つ勝毘の姿は、美甘にとって神々しく見えた。


「じゃあな、ひょろいの。身体鍛えたら、俺様みたいになれるかもな!」


 勝毘と美甘が会ったのは、地元ではそれが最初で最後だった。

 勝毘が愚煉薔薇隊を立ち上げ、なかなか学校に来なかったこともある。

 それに加え、勝毘に触発され筋トレを始めた美甘だったが、体質のせいかほとんど筋肉がつかなかった。ひょろい姿のまま勝毘に会っても相手にされないだろう、と自分から出向く勇気を持てなかったのだ。


 ところが、美甘の元にイベリスの代表として御前試合に参加するようシオンが通達に来た。聞けば、バラ代表として勝毘のところにも行くと言う。

 そして、青木ヶ原樹海で美甘は真っ先に勝毘の元へと走った。


「僕が勝毘くんの力になります! だから、愚煉薔薇隊に入れてください!」


 勝毘は美甘のことを覚えておらず、美甘は大嫌いな母と同じイベリスの能力を使うことになる。

 それでも良かった。花の力は大嫌いだけれど、おかげで勝毘の役に立てると分かったから。

 美甘にとって勝毘と肩を並べられるだけで、それ以上の幸福はないのだ。





 勝毘はタイマン勝負を好む。その邪魔をしようとする李谷と天穂を美甘は睨んだ。

 天穂の呪いのせいで呼吸はうまくできず、思考もままならない。全身が痛くて苦しいけれど、勝毘のために何もできないまま死ぬ恐怖の方が勝った。


 しかし、この身体で李谷と天穂に弾が当たるとは美甘には思えなかった。震えそうになる手でリボルバーを握り、そして美甘は思いつく。

 思いついた瞬間、勝毘の役に立てるという希望に笑みが零れた。


「おい……何してんだよっ!」


 美甘がリボルバーを自身のこめかみにあてる。

 李谷はそれを見た瞬間に美甘へと手を伸ばすが、美甘が引き金を引く指の方が早かった。


「“キャンディータフト”」


 銃声が、美甘を貫く。

 届かなかった手を伸ばしたままの李谷の前で、自らの頭を打ち抜いた美甘はニッと笑みを深めた。


 そして次の瞬間、呆然としたままの李谷の腕を蹴り飛ばす。


「頭を銃で撃ったのに!? しかも、見た目の割に蹴りが重い!」

「イベリスの能力だ! おそらく、自分で自分に洗脳をかけた……!」

「はぁ!?」


 天穂の推理は的中していた。美甘は自身の身体へ無意識にかかるストッパーを無理矢理洗脳によって取り払ったのだ。

 身体に負担がかかりすぎないよう留めるストッパーも、痛みや苦しみで動きを止めそうになるストッパーも、全て。


「勝毘くんの、邪魔、させないよ……!」


 敵を見据える美甘の目は、煌々と強い光を放っていた。

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