第3輪 旅は道連れ

「さすがに遠いね」

『存外、落ち着いているな』

「そりゃ緊張はしてるけど、ひとりでの遠出にちょっとワクワクしてる、かも?」

『うはは! 下手に緊張疲れしてないようで何よりだ』


 電車を乗り継ぎ、宮人は河口湖駅まで辿り着いた。

 駅のトイレで一息つき、この後はバスで向かうと決めている。


「ん?」

『どうした?』


 宮人は手洗い場の鏡の前に、ちょこんと置かれたお守りを見つけた。拾い上げてみると、フェルト生地で出来た手作り感満載の赤いお守りだった。


「忘れ物かな? 駅員さんに渡しとけば、持ち主が取りに来るかも」

『人が落としたお守りを拾うなんて縁起が悪いだろう』

「大丈夫だよ。それに大事なものかもしれないし」


 そうして宮人がトイレを出るのと入れ違いに、フードを被った男とすれ違う。


「……バスに気を付けろ」


 すれ違いざまに呟かれた言葉に、はっとして宮人は振り返る。しかし、そこにはすでに先ほどのフードの男はいなかった。


『おい、坊主。届けるなら早くしろ』

「うん……」


 ヨシノに急かされ、宮人が視線を戻したその時だった。


「ないっ! ないないないない、なぁぁぁい!!」


 人目も憚らず、その長身の男──李谷すももだには弓なりに背を反って叫びだした。

 宮人は白髪を振り乱して叫ぶ李谷を呆然と見守っていたが、次の瞬間、バチリと視線が交わる。

 李谷が宮人の手にあるお守りをその荒んだ瞳に映すと、その長い脚を活かしずんずんと宮人に歩み寄った。


「お前、さては……お守り泥棒だな!?」

「えっ、あ、これ!? 誤解です!」

『だから言っただろう。縁起が悪いと』


 メンチを切ってくる李谷に、ヨシノは呆れるように溜息を吐いた。180cmはあろうかという彼に上から睨まれると、なかなかに迫力がある。


「誤解だと!? じゃあ、その手に持ってる俺のお守りはなんだ!」

「今、駅員さんに預けようと思ってたところで……! トイレの鏡の前に置いてありました!」

「トイレー……?」


 訝し気に首を左右に揺らしながら、李谷は視線をふらふらと彷徨わせた。そして、はっと思い出したように手を叩く。


「手を洗う時、ポケットのハンカチと一緒に出てきて、濡れないよう鏡の前に置いたんだ! ってことは俺、とんでもない勘違いを……!? ごめんなさいっ!」


 ぶおん、と音が鳴る勢いで腰を直角に折り曲げて李谷は謝る。何度もぺこぺことお辞儀してきて、先ほどとはまた違う意味で周囲から視線を集めていた。


「誤解が解けたなら大丈夫です……そろそろバスの時間なので、僕行きますね」

「バスって、どこ行くの?」

「えっと、青木ヶ原まで……」

「じゃあ俺と一緒じゃん! 旅は道連れって言うし、一緒に行こうぜ!」

「え、いやでも……!?」


 その時、ようやく宮人は李谷の腰に飾られた自分と同じオーニソガラムのコサージュを見つけるのだった。


 バスで隣同士に座ると、ほどなくしてバスは発車する。4列シートのバスはお世辞にも広いとは言えず、李谷は窮屈そうに脚を曲げていた。

 李谷から先ほどの険は消え、頭の後ろでちょんと結ばれた白髪が機嫌よく揺れる。そんな彼は、朗らかな笑顔で鞄からビーフジャーキーを取り出していた。つり目でキツい印象を与えるが、大きな口を開けて笑っている顔には親しみやすさがある。


「移動って腹減るだろ? お前もビーフジャーキー食う?」

「お構いなく……あの、もしかして、お兄さんも参加者なんですか?」

「あ、やっぱりお前も!? そう! 俺はヒーローになるんだ!」

「ヒーロー……?」


 同じ参加者、つまり対戦相手になるかもしれない人だと分かった瞬間、宮人は自然と身体を硬くしていた。

 しかし、予想外の言葉に首を傾げる。


「自分が花の一族? なんてこの前知ってさ。そしたら、何か超能力みたいなの使えるって言うじゃん? そういうのすっごい憧れてたんだよなぁ! で、その力で悪い奴をぶっ飛ばす!」

「な、なるほど?」


 宮人が聞いていた御前試合のイメージと、彼が語るイメージとのギャップに曖昧な返事をしてしまう。

 李谷は李谷で、宮人の返事には満足したようで、にこにこと笑っていた。

 が、彼は突然ハッと宮人に向き直る。


「そういえば、名前聞いてなかった! あぁ待って! 名乗るならまず自分からだよな。うん、ヒーローとして名乗りは大事だ! 俺は李谷太郎、よろしく!」

「李谷さん。よろしくお願いします」

「気軽にモモって呼べよ。俺、モモの一族の代表らしいからさ」

『うははははっ!』


 突然、笑い出したヨシノに宮人はビクリと肩を跳ねさせる。


『こいつ、馬鹿だとは思っていたが本物の馬鹿らしい。自分が何の代表か教えるなんて、手の内を明かすも同然だと言うのに』


 李谷にもヨシノの姿は見えていなかった。目線の動きや反応から宮人はそれを察し、わずかな視線の動きだけでヨシノの言葉に疑問を投げる。


『言っただろう? 花の一族の能力は、花言葉やまつわる物語に由来する。お前やこのノッポのように血の薄れたやつらはともかく、中には一族の命運を背負わされ幼い頃から英才教育を受けてきたエリートも試合に参加するんだ。

 同じ花の一族が来ると分かっていて、何も対策しないわけがないだろう。そういうやつらからすれば、絶好の鴨だな』


 なおもケラケラと笑うヨシノの横で、宮人はじっと李谷を見上げた。


「……モモさん」

「ん?」

「自分が何の代表かって、あんまり言わない方がいいみたいです」

「えっ!? あー……確かに師匠にそんなことも言われてたような? ま、言っちゃったのは仕方ないか!」

「だからモモさんには、僕がサクラの代表だって言っておきますね」

『おい、坊主……!』


 宮人の発言に李谷は目を丸くする。これにはヨシノも声を荒げ、人魂の形でぼすぼすと宮人の背中に体当たりした。

 ヨシノを無視し続ける宮人に、李谷はその大きな手で宮人の口を覆う。


「い、今お前が自分で言わない方がいいって……! このバスに他にも参加者乗ってるかもしれないだろ!?」


 李谷はヒーローを目指すと言うだけあって、心根の真っ直ぐな人だった。宮人にとっては未知の御前試合という場で、初めて出会えた参加者が李谷で良かったとホッとする。

 ヨシノはやがて諦めたようにやれやれと肩を落とした。


「だって、僕も知らなかったとは言え不公平ですし。スポーツみたいにルールがあるような試合じゃないって散々聞きましたけど、でも、後味悪いのってなんか嫌だから」


 李谷の手をずらしながら、宮人は響かないよう小声で囁いた。

 そっと手を離していく李谷はまだ心配そうに眉尻を下げていたが、次の瞬間にはぱっと顔を明るくする。


「よし! 俺、この御前試合でお前のヒーローになるよ! ヒーローになるのが、俺がここまで来た目的だからな!」

「一応、僕だって戦えますよ。あんまり自信はないけど……」

「あっはっは、どっちだよ! そうだ、お前の名前は?」

「西園寺宮人です」

「サイオンジミヤヒト……じゃあ、ミヤだな!」

「その呼ばれ方は新鮮ですね」


 その時、バスは突然急カーブを切った。慣性の法則に従って窓に押し付けられると、どうにも外の景色の様子がおかしい。


『このバス、青木ヶ原から離れていってないか?』


 ヨシノの声に、宮人が窓の外を見遣る。流れていく景色の中に、青木ヶ原への案内の矢印が宮人たちの後ろを指しているのを見た。

 時計を確認すれば、正午まであと10分。開始時間までに樹海に入らなければ、コサージュの毒で死ぬ。

 そんな恐怖に、ぞわりと宮人の背筋が粟立った。


「あの、運転手さん! 僕たち、青木ヶ原に行きたいんですけど!」

「ちょっと、聞こえてますー?」


 李谷も声をかけるが、全く反応はない。代わりに、肌を刺すような殺気が2人を取り囲んだ。

 ただの観光客に扮していた周りの大人たちが、ぞろぞろと座席から立ち上がる。その手には、ギラリと鈍い光を弾く刃物が握られていた。


「何……?」

『なるほど、そもそも参加させないつもりか』

「え!?」

『自分たちの一族の代表が勝てるよう、こうして健気に妨害工作をしてるわけだ』


 ヨシノのおかげで状況を掴んだ宮人だったが、その間にもバスは逆方向へと走り続ける。鼓動の音が、爆弾のタイムリミットを刻むようにこめかみで響いた。


「おぅりゃっ!!」


 先に動いたのは李谷だった。

 前の座席の背もたれに足をかけ、そのまま運転席に向かって突進する。抵抗する運転手を引きずり出し、代わりに李谷がハンドルを握った。


「モモさん!?」

「俺が運転するから、ミヤはそいつらどうにかしてくれ!」


 ハンドルから引き剥がされた運転手が李谷にナイフを持った腕を振り上げる。

 それが見えた瞬間、宮人は李谷に倣って飛び、運転手を抑え込んだ。ナイフを取り上げ、バスのドア付近へと投げ捨てる。


「離せっ、このガキ! これは、我が一族のために……!」

「ごめんなさい! でも、僕にも負けられない理由があるので……っていうか、モモさん運転できるんですね!」

「バスは正直、ちょっと分からん!」

「えっ!?」


 李谷はそう言いながらもハンドルをグルグルと回し、Uターンを始める。バスが大きく振られて、宮人へ迫る人々もぐらりと身体を傾けた。


「バスの免許は持ってないけど、親方に取らされた大型特免ならあるから多分大丈夫!」


 李谷は大工見習いであり、建築現場で利用する乗り物の免許は一通り持っている。大型特殊免許もそのひとつだが、宮人は車の免許のことすらよく知らなかった。


「よく分かんないですけど、信じます!」

「おう! 任された!」


 信じると決めたからには、他の乗客たちを李谷に近付けさせるわけにはいかない。

 宮人は覚悟を決め、乗客たちと向き直る。


『青木ヶ原に近いここなら、この花の力も使えるかもしれんな』

「この花って?」


 ヨシノが宮人の胸元のオーニソガラムをつつく。

 宮人がヨシノにつられるように手を翳すと、花をふわりと包むように光が溢れた。


『オーニソガラムの花言葉は【才能】。この花から放たれる光は、所持者の才能を具現化する。イメージしろ、お前の力を』

「!」


 宮人がコサージュから振り抜くように手を払う。手の動きに合わせて光の軌跡が生まれ、それが徐々に形を成し、宮人の手の中で反りの浅い日本刀へと変わった。


「これが、僕の……?」

「おぉ! かっけーな!」


 運転席から呑気にも聞こえる声を李谷が上げる。それを掻き消すように、ヨシノが低い声で一喝した。


『来るぞ!』


 宮人に向かって乗客たちが押し寄せてくる。抑えていた運転手を彼らに押し付け、一瞬できた隙に宮人は刀を握り直した。


『花の一族とは言え、こいつらの力はほとんど一般人と変わらない。俺が直々に鍛えたんだ。油断しなければ勝てるぞ、坊主』


 御前試合に出ると決めてから、宮人はできうる限りのことをしてきた。基本的な筋力トレーニングと、そしてヨシノによる剣術指南。

 ヨシノは実体を持たないゆえに、宮人の身体に憑依することができた。宮人に憑依した状態で剣に見立てた棒を振るう。

 それは時間がない中で、無理矢理宮人の身体に戦いの動きを染み込ませるヨシノなりの修行方法だった。


「でも、これ……真剣、だよね? これで切ったら……」

『死ぬだろうな。普通に』

「!」


 そういう戦いだと、修行中ずっとヨシノが宮人に教えてきたことだ。

 やらなければ殺される。


 今、宮人が握っている刀は練習で使った木の棒きれなんてものより、よほど手に馴染んだ。初めて持ったとは思えない感触だ。

 しかし、ギラリとした鋭利な光を他人に向けることに、普通に生きてきた宮人が全く臆さないわけがなかった。


『目を背けるな』


 ヨシノの声ではっとした宮人に、乗客たちは刃物を振り下ろす。


「我が一族のために……!」


 宮人が攻撃を刀で受け、押し返すように振り払う。その動きは、初の実戦とは思えないほど滑らかだった。ヨシノの動きが、確かに宮人の身体に叩き込まれている。

 だが、そうして薙いだ切っ先が相手の腕を掠め、鮮血が散った。痛みに顔を歪める表情と血の匂いに、ぎゅうっと宮人の心臓が縮み上がる。


「僕、は……っ」

『お前がここで倒れたら、ノッポも道連れで死ぬぞ』

「!」

『それとも、ひとり窓を破って樹海まで走るか? この距離なら正午にギリギリ間に合うかもな』


 宮人は横目でハンドルを握る李谷を見た。


『甘さは捨てろ、生きて母の元に帰りたいなら』

「分かってるよ、でもさ……」


 傷ついても、乗客たちはなおも宮人に斬りかかる。

 宮人は刀でいなしながら、体勢が崩れた相手の身体を蹴り飛ばし距離を取っていた。


「分かってても、人間そう簡単に切り替えられないんだよ……!」


 ヨシノが宮人に授けたのは、基本的な剣術の動作。そして、サクラの一族が編み出してきた剣技だ。

 腰を落とし、宮人が刀を身体の横に構える。その瞬間、ぶわりと宮人を包み込むように桜の花が舞い踊った。


「“桜前線”……!」


 床を蹴った瞬間、宮人は一陣の風のようにバスの車内を突き抜けた。バスは衝撃で揺れ、風と共に刀は乗客たちの身体を打つ。

 宮人が駆け抜けていくその様は、まさに南から北に向け春を告げる桜の圧倒的な息吹のようだった。


 乗客たちは崩れ落ち、バスの中に静寂が広がる。初めての実践、そして、花の力を使った攻撃に宮人は肩で浅い息を繰り返していた。


『峰打ちとは、甘いなぁ。坊主』

「この人たちは参加者ってわけじゃないなら……生かそうが殺そうが関係ないよね?」

『だから、生かす方を選ぶと……精々、足元を掬われんことだな』


 その時、宮人の手にあった刀がオーニソガラムの形を取り戻し、激しく輝き始める。それは運転席にいた李谷も同じようだった。


「ミヤ、掴まれ!」


 突然の李谷の叫び声に、宮人は近くの座席を掴んだ。

 同時にバスは激しく揺れ始め、明らかに道路以外を走っていく。


「な、何……!?」


 宮人が状況を飲み込む間もなく、バスは目の前に迫った木に衝突して動きを止めた。身体が吹っ飛びそうな衝撃をどうにか耐えた宮人は、恐る恐る前方へと視線を向ける。

 大きなフロントガラスはヒビが入ってひしゃげ、床に倒れていた人たちは前方へと吹っ飛んでいた。


「バスごと樹海に突っ込んだんだ……でも、モモさんは!?」


 李谷は運転席にいたはずだ。この状況では間違いなく一番衝撃がかかるところだ。

 バスの前方へと進みながら、何度も名前を呼ぶ。

 すると、バスの外から声がした。窓から見下ろすと、追突する直前で車外へと逃げ出した李谷がピンピンした様子で宮人に手を振っている。


「ミヤ、大丈夫だったか!?」


 衝撃で割れた窓から飛び降りた宮人は、李谷に頷き返す。

 ふたりが降りたその場所は、すでに青木ヶ原樹海の中だ。時計を見遣れば正午を過ぎており、御前試合にはギリギリ間に合ったと言える。


 鬱蒼とした森の中は、頬を撫でる風が外とは違った。普段の風よりもどこか冴え冴えとして、それなのに今まで感じたことのないような熱が身のうちから込み上げてくる。


「なんか、変な感じ……」

「ん、そうか? 俺は全然普通だけど!」

『緑が多いせいだろう。花の力が活性化されて、悪くない状態だ』


 宮人が顔を上げると、そこには人魂ではなく人の姿になったヨシノがいた。1本に括られた長い髪を靡かせ、心地よさそうに頬を緩める。

 自宅近所の桜が散って以降、ヨシノがその姿に戻ることはほぼなかった。見せたとしても今朝のように一瞬だったが、それだけこの樹海の中は花の力が増幅されるらしい。


 バスが走ってきた轍の先、樹海と外を遮るように黄色い光の幕が降りている。その向こうに見える景色は、どこか朧げで遠い異国のようだった。


「もしかして、もう外に出られない的な……?」

『御前試合は始まっている、ということだな』


 樹海の奥から、風を切る音がした。

 そして、次に呼吸をした時には、宮人の目の前に立ちふさがった李谷が弾き飛ばされる。


「モモさん……っ!?」

「人の心配をしてる場合か?」

『坊主!』


 次の瞬間、身体に衝撃が走る。

 目の前の男が刀を振り抜く瞬間も、宮人には見えなかった。

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