第2輪 旅立ち
『そうだ! 光栄に思え。なんたって、俺と同じサクラの一族の末裔だからな!』
「……多分、人違いだと思うので失礼します」
宮人はぺこりと一礼し、そのまま家へと全速力で駆けていく。
花の一族、末裔……よく分からない単語を出され、挙句の果てに『俺と同じ!』なんて言われると、ここまで怪しい男の話をこれ以上聴いてもいいことはないと宮人は判断した。宗教の勧誘まで始まったら堪らない。
駆け出したものの、その宮人の横を並走するように怪しい男は隣を飛んでついてくる。羽のようなものが生えて羽ばたいているというわけではなく、ただすいーっと浮いたままついてくるのだ。
「こ、来ないでください!」
『自己紹介がまだだったな。俺のことはヨシノと呼んでくれ。もっと親しみを込めて、大おじいちゃんと呼んでくれてもいいぞ?』
「せ、先祖とか僕……信じてないので!」
『えぇ~せっかく会いに来たご先祖さまに冷た~い。ようやく薄れに薄れた一族の血を辿って苦労してお前を見つけたのに、お願いのひとつも聞いてくれないとは』
「お願い? お金ならありません!」
宮人はさらに訝し気な視線をヨシノに向ける。しかし、そんな視線を散らすようにヨシノは顔の前でぶんぶんと手を振った。
『違う違う。坊主には桜の代表として戦って欲しい』
「もっと無理です!」
『即答! さすが潔い!』
そう叫んだ瞬間、ヨシノはボンッと音を立てて煙に包まれた。突然の小さな爆発音に思わず宮人が足を止めると、晴れてきた煙の中からゆらゆらと桜色の人魂が浮かび上がってくる。
「うわ、さらに妖怪っぽい……」
『妖怪とはまた違うが……まぁ、桜並木を抜けたからな。この姿が限界らしい』
そう言われて、宮人はようやく桜のトンネルを抜けていることに気付いた。そして、人魂の姿になったヨシノは尾のように揺らめく自身の片鱗をしゅんと萎れさせる。
『こんなに頼んでるのにだめなのか……?』
宮人は、気付けば人の輪の中心にいることが多い子供だった。それは生来の気の優しさからなのだが、こうして目の前で悲しい顔をされるとつい放っておけなくなってしまうという性格のせいでもある。誰にでも手を差し伸べてきた宮人には、いつも人が集まってきた。
それは宮人自身の助けにもなり、性分として抜けないのである。だからこそ、人魂の姿とは言え、あからさまに落ち込む素振りをされると後ろ髪を引かれる思いがして、なかなかその場から立ち去ることができなかった。
「ヨシノさん、俺……」
『坊主……』
「戦うなんて無理です……!」
『やっぱり潔い!』
そんな優しい宮人は誰かに手を挙げたことはなかった。喧嘩をしたことはあっても、相手に暴力を振るったことは物心がついてからは一度もないのだ。さすがに自身にできないことで、助けることはできなかった。
『え、今の了承する流れだったろ?』
「ごめんなさい!」
そして今度こそ、宮人は呆然とするヨシノを振り切って逃げた。
しかし、ヨシノは建物の中だろうとお構いなしに侵入できる。家に逃げ帰ったと思った宮人の前に再び現れて以来、ずっと宮人に付きまとい続けているのだ。
宮人にとって頭が痛いのは、ヨシノの姿が自分にしか見えないことだった。それゆえ、誰にも相談のしようがない。
案内人としてやってきたシオンもヨシノが言う花の一族なら、もしかするとヨシノのことが見えるのではと宮人は期待したが、それも見当外れだった。
「シオンならヨシノを僕から引き剥がす方法を知ってるかなって思ったのに」
『残念だったな。それに、そのオーニソガラムを受け取った時点で、もう戦いからは逃れられん。それなら、俺が傍にいた方が安心だと思うがなぁ』
今は宮人がバイト用のエプロンの下に隠しているコサージュ。
学ランの胸ポケットに飾られたそれは、不思議なことに着替えると勝手に新しい服へと引っ付いた。
服を脱ぎ捨てても、しばらくすると今度は首に巻き付いてきて、決して宮人の身体から離れようとしない。
まるで花の形をした時限爆弾を取りつけられたようで、宮人はコサージュの感触を確かめる度に心臓が縮む思いだった。
「でも、なんでシオンは僕のところに来たんだろう? 名前も知ってたし。ヨシノが来るまで自分の先祖のこととか何も知らなかったのに」
『シオンの一族の能力で坊主が選出されたんだろうな』
「能力?」
『花の一族は、花の生態や花に付随する物語から能力の形を得る。シオンの花言葉は【追憶】【遠方の人を思う】【君を忘れない】……その辺りが、遠くの探し人を見つける能力として開花したんだろう』
「へぇ、じゃあ桜は?」
『お、興味を持ち始めたな、坊主!』
「いや、違……やっぱりいい!」
その時、店の入り口から来店を告げるチャイムが鳴る。
「いらっしゃ……お母さん!」
「まだ仕事中でしょ。接客は?」
「あ、はい! 1名様、テーブルのお席にどうぞ!」
注文を取って厨房に告げると、キッチンを担当していた店長が宮人も一緒にまかないの夕食を食べるよう勧めた。宮人はその言葉に甘え、母と向かい合うようにテーブル席へと座る。
「そのまかないのパスタ美味しそう。なんてやつ?」
「メニューにない店長オリジナル! めっちゃ美味しいんだよ」
「いいなぁ、お母さんもそれ食べたい」
「一口食べる?」
「食べるー! じゃあ、宮人も私の食べな」
「ありがと!」
母親は宮人のパスタ皿の端に、定食の唐揚げを2つのせた。
「僕が2つも食べたら、お母さんの食べる量減っちゃうよ」
「食べ盛りの高校生なんだから、いっぱい食べときなさい。お母さんはもう横にしか大きくならないから」
大きく口を開けて豪快に笑う母に、宮人は照れ臭さを覚えつつもカリッと揚がった唐揚げを頬張る。
横にしか、とは言うものの、父が死んでから生活費を稼ぐために働き続ける彼女は太る方が難しいかもしれない。宮人は自分が成長するにつれ、ふとした瞬間に母を小さく感じる瞬間が増えた。まだ成長の続いている宮人が、いつしか母の身長を超える日もそう遠くないだろう。
バイトをしたかったのは、そんな母に少しでも楽をさせてあげたい一心からだ。学校生活での雑費くらいはバイト代で賄えたら、と宮人は考えているのだ。
そんな目的は母に伝えていないが、おそらく母も宮人の考えには気付いてる。それでも、深くは尋ねず、時折こうして仕事の帰りに宮人が働いている様子をただ見に来ていた。
「ねぇ、お父さんの実家って山形のおじいちゃん家だよね?」
「そうだけど、急にどうしたの? あ、そういえば、来月さくらんぼ送るって連絡来てたよ」
父方の祖父は、山形でさくらんぼ農家をしている。祖母は父が幼い頃に亡くなってしまったと宮人は聞いた。そんな祖父は、婿養子として西園寺家に入り、さくらんぼ農家を継いだのだ、と宮人が以前聞いた記憶を思い出す。
さくらんぼ農家というのも、もしかするとサクラの一族に何かしらの所縁があるのだろうか、と宮人はつい考えてしまう。墓石に刻まれた家紋は桜の花がモチーフだった、と宮人は曖昧な記憶の引き出しを開けていた。
そして、シオンの言った“長寿”という言葉が宮人の脳裏に過る。
「おばあちゃんって、何歳で亡くなったか知ってる?」
「えーっと確か……三十になるかならないか、って言ってたかな。お父さんも『うちは短命の家系だから』って」
「そう、なんだ……」
『花の一族は短命だ』
ソファ席に座る宮人の横で、ちょこんと落ち着いていたヨシノが呟いた。やはり、母にも聞こえないらしい声に、宮人は視線を向けないまま耳だけ傾ける。
『一部、例外はあるがな。人間自体儚いが、花の一族はさらに儚い。だからこそ、青木ヶ原御前試合での“長寿”という賞品はみな喉から手が出るほど欲しがるのさ。一族の命運がかかってるからな』
ヨシノやシオンの言葉を信じるなら、宮人は少しずつ自分が花の一族であることを自覚し始めていた。父が亡くなる時、それはまさに桜が散る時のようにあっという間だった。
絡みついてくるオーニソガラムが自分の力で取れるとは宮人には到底思えない。戦いに参加できなければ、宮人は5月1日に死ぬ。もし毒をどうにかできたとしても、父や祖母のように三十を超えられるかどうかも怪しかった。
だけどもし、その御前試合に勝利できれば、母をひとりにせずに済むのだろうか。
迎えた5月1日早朝。
「じゃあ、行ってきます」
宮人はヨシノにアドバイスをもらいながら最低限の荷物を詰め込んだリュックを背負い、家を後にしようとしていた。ひとりで遠出なんて初めてだが、何度もネットで調べ青木ヶ原までの行き方は頭に刻み込まれている。
「高校生で友達と熱海旅行なんて渋いねぇ。大丈夫、お小遣い足りる?」
母には心配をかけないよう、友達との旅行だと嘘をついた。騙すことへの罪悪感はあるが、宮人自身にも何があるか分からない戦いに行く、なんて言ったら止められるに違いない。ヨシノが見えない母を、宮人だけで説得できる自信もなかった。
しかも、青木ヶ原は富士の樹海とも呼ばれ自殺の名所としても有名だ。観光に行く、と言っても間違いなく心配されるだろう。
「お小遣いならバイト代もあるから大丈夫! 電車の時間があるから、そろそろ行くね」
「気を付けてね。何かあったらすぐ連絡してね」
「大丈夫だって、もう高校生なんだから」
「……宮人」
突然、声を潜めた母に宮人はビクリと肩を跳ねさせる。何かおかしな素振りを見せてしまっただろうか、と宮人は引き留められる未来を想像して身体を竦めた。
「何、お母さ……っ」
どうにか平静を装いながら振り返った宮人を、母は思い切り抱きしめた。
「本当に、気を付けてね」
宮人は一瞬、正直に打ち明けてしまうべきかと迷った。考えないようにしていたが、これが母との最後の会話になるかもしれない可能性もあるのだ。その最後に、偽りを残したままでいいのか、と不安が過る。
『もしもなんて考えるな』
「!」
宮人が視線を上げた先で、人魂だったヨシノが一瞬、人の形へと変化する。
『生きて帰る。そんな自分の叶えたい未来だけ考えろ。不安をいくつ並べたところで、何も変わらない』
宮人はそっと母から身体を離し、迷いの消えた瞳で母を見つめた。
「行ってくるね、お母さん」
「……行ってらっしゃい」
母は、宮人から何か感じ取っていたのかもしれない。しかし、バイトを始めると言い出した時と同様に、深くは追及しなかった。それが、母なりの宮人への信頼の示し方で、愛し方だったのだ。
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