第1輪 ご先祖さまは桜
宮人が自身の名前の由来を聞くと、父は桜のお告げだと笑った。
嘘か真か半信半疑で生きてきた宮人は今年の春、高校に入学した。
そんな彼の目の前に、今まさに信じがたい光景が広がっている。
「西園寺宮人さま、ですね?」
日が浅く、まだ見慣れない校舎の廊下。その先で佇む真っ白な和服姿の日本人形のような少年が、宮人の名を呼んだ。
薄暗くなった廊下では、まるでその少年が浮き上がってみえる。
宮人の背筋を冷たいものが撫でる。
浮世離れした雰囲気を持つこの少年が現れた瞬間、賑やかだった同級生たちの声が忽然と消えた。姿も見えなくなって、世界には彼と宮人しかいないような静けさだ。
「なんで、僕の名前……」
どうにか宮人が絞り出した声に、少年は小さく頷き返す。
「紹介が遅れました。私はシオンの花の一族のもの、青木ヶ原御前試合の案内人を務めております。シオン、とお呼びください」
花の一族、という単語は宮人にもギリギリ聞き覚えがあった。チラリと隣に視線を向けると、浮遊する桜色の人魂がふるふると震える。おそらく、笑っているのだろうと、ここしばらくこの人魂と生活を共にしていた宮人は思った。
『案内人まで来てしまったんだ。もう逃げられんなぁ』
「案内人って……そもそも、何なの? その御前試合って」
人魂から聞こえてきた声に宮人が返すが、それを耳聡く拾っていたシオンが先に口を開く。
「青木ヶ原御前試合では、花の一族からそれぞれ代表が選抜され、最後のひとりになるまで戦っていただきます。西園寺さまは、サクラの一族の代表として今回の試合への参加が決定いたしました」
「その言い方じゃ、まるで強制参加みたいな……」
「その通りです」
事情を全く呑み込めない宮人の口に無理矢理捻じ込むような相槌だった。
桜色の人魂・ヨシノが宮人に付き纏うようになってから、ヨシノは毎日『戦え』と宮人に言い続けてきた。まともに取り合わなかった宮人だったが、いつの間にか少しずつ逃げ道が塞がれているような心地がする。
「戦うなんて……僕にそんな力ないし! 喧嘩もしたことない、ただの高校生だよ!?」
「今年の青木ヶ原御前試合は、5月1日正午から行われます。場所は青木ヶ原樹海。開始時間までに樹海へお越しいただけない場合、失格となりますのでご注意ください」
「む、無視しないで……」
「それに勝ち抜けば、賞品もあります」
「賞金がもらえるとか?」
「“長寿”です。それも、一族全員の長寿を保証します」
「長寿……」
初めて、宮人の意識が御前試合へと向く。生白くほとんど鍛えたこともない手を見つめ、宮人の瞳が揺れた。
「では、こちらは参加証のオーニソガラムのコサージュとなります」
「え……?」
次の瞬間には、シオンが宮人の目の前にいた。驚きで身体を硬直させる宮人の学ランの胸ポケットへ、白い花のコサージュを飾る。
宮人の胸にコサージュが収まるのを見ると、シオンはにこっと大人びた笑みを浮かべた。
「当日も忘れずにご持参ください。まぁ、忘れることは万が一にもないとは思いますが」
コサージュの花は、まだ開き切っていない緑色の蕾を縁取るように白い小さな花が寄り集まっていた。白い花の真ん中にある黒い子房は、鳥の瞳のように艶やかだ。
「この花、オーニソガラムって言うんだ。シオンくんって物知りなんだね。花の一族だから?」
シオンと会話し、表情が動くのを見るうちに、自然と宮人からは彼への恐怖心のようなものが消えつつある。
緊張が解けてきた宮人が尋ねると、シオンはそれまでの大人びた表情から一変し、少年らしくキョトンと紫がかった瞳を丸くした。大きな瞳を瞬かせて、そしてくすくすと笑う。
「花の一族だからと言って、花に詳しいわけではありませんよ。このオーニソガラムはみなさんに渡さなければならないので、名前を覚えているだけです」
「あ、そっ、そーなんだ! ごめんね、僕の早とちりで!」
「いえ、やはりサクラの代表の方は面白いですね」
「“やはり”って……」
ふと、宮人は背中に隠れたままの人魂を振り返った。相変わらず、桜の花びらを溶かしこんだような色で、炎のような尾を漂わせながらふよふよと浮かんでいる。
「背中がどうかされましたか?」
シオンからの問いかけに、宮人はシオンへと視線を戻す。
「君にも見えないの?」
「見える、とは? 本当に西園寺さまは面白いことをおっしゃいますね。もう少しお話したい気持ちはやまやまですが、他に質問がなければ私はこれで失礼します」
再び業務的な言葉遣いに戻ったシオンの身体がすうっと消えていく。宮人は慌ててシオンの小さな肩を掴んだ。
「一応、確認なんだけど! 時間までに会場に行かなかったらどうなるの?」
「そちらのオーニソガラムに仕込んだ毒が身体に注入され、死にます」
「え?」
「私個人としては、西園寺さまを応援していますよ。頑張ってください」
「え、嘘! ちょっと!?」
次の瞬間には、宮人の手の中からシオンの肩の感触が消えていた。はっと周りを見渡せば、シオンが現れる前と同じように同級生たちが廊下を往来している。
「どうしたんだよ、西園寺。さっきから廊下の真ん中で突っ立って」
シオンの代わりに目の前にいたのはクラスメイトだった。ひらひらと顔の前で手の平を振る手を、宮人がやんわりと遮る。
「何でもない、ちょっとぼーっとしちゃって」
「そうか? なあ、部活動見学行こうぜ。西園寺なら運動部でもやれそうだよな。運動神経いいし」
「ごめん! 高校入ったらバイトするって決めてるんだ。だから部活は……って、やばい! シフト遅れるから、もう行くね!」
「あ、そんなこと言ってたっけ……頑張ってなー!」
「ありがと!」
友人の声援を受け、宮人は廊下を足早に進んでいく。部活動の勧誘で賑わう校内を進むのには苦労した。
宮人は決して華やかな容姿ではない。丸みのある瞳は愛嬌があり、少年の雰囲気が残る黒髪は艶やかだが、特に髪型を意識することもない自然体だ。
けれど、そんな宮人はなぜか人の目を惹きやすかった。それは部活勧誘に必死な先輩たちの目によく留まり、数メートル進むたびに声がかかった。
そんな声を宮人は無視できず、丁寧に、しかしきっぱりと断りを述べて対応する。そして最後に花が綻ぶような笑みを残して去っていった。
「ねぇ、さっきの子、名前聞いた? 可愛いかった……」
「聞けなかった。可愛いし、背が伸びたらすごいイケメンになりそう」
「あ、先輩たちもそう思います? 西園寺宮人くんって言って、なんかいいですよね」
そうして、学校全体が彼を認知し始めていることを、当の本人はまだ知らない。
学校を後にした宮人は、ファミリーレストラン『journey』でバイトに勤しんでいた。
journeyは自宅のマンションの部屋からも赤と黄色の看板がよく見えて、宮人が母親ともよく食べに来る店だ。そのうち店長と顔見知りになり、バイトを探しているという宮人を快く受け入れてくれたのだった。
夕食のピークも過ぎた頃、ホール担当の宮人は客の去ったテーブルを片付けていた。
「やっと高校に入ってバイトもできるようになったのに、ヨシノが来てから変なことばっかりだよ……」
その呟きは、宮人の周りに浮かぶ桜色の人魂に向けてのものだ。ヨシノは宮人を嘲笑うように、揺らめく尾を左右に振る。
『俺が来なくとも、あのシオンとかいう案内人は来たと思うがな? ほれ、テーブルの隅、汚れが残ってるぞ』
「もう、分かってるって!」
宮人がこの人魂と出会ったのは、高校の入学式より少し前のこと……──
春休みからバイトを始めた宮人は、その日もファミレスのシフトに入っていた。あまり遅くなりすぎないようシフトは組んでもらっているが、その日、店を出た頃にはすっかり日が暮れていた。
それでも、東京の夜は街灯や建物から漏れる明かりで十分すぎるほどに明るい。家へと続く並木道の桜は満開を迎えており、この時間帯は夜の街の灯りに照らされて、昼とは違う妖艶な美しさを放っている。
まだ少し肌寒い夜風を感じながら、はらはらと舞い散る花びらを宮人は眺めていた。
そんな中、広がる枝の先で桜に紛れるように腰かける、和服姿の人影が宮人の目に映る。
「桜の木は、登っちゃダメなんですよ」
深く考えるよりも先に、木の上に座る和服姿の男に声をかけていた。それは、宮人が父の言葉を思い出したからである。
宮人が小学生に上がる前になくなってしまった父は、花を大事にする人だった。
毎年、家族3人で花見に行っていた頃、物心がつき始めた頃の宮人は、花の美しさに枝を折ろうとしたことがある。
それを見た父は、宮人の手を握り締めて怒った。
──……いくら綺麗でも、桜は折っちゃだめだ。桜はみんなで楽しむものだから
怒鳴るのではなく、丁寧に言い含めるような怒り方だったが、あまり父に怒られた記憶のない宮人には、その時のことが強烈に残っている。
だからつい、桜の枝を折りかねない行為をしているその人物に声をかけてしまった。だが、宮人は声をかけてから気付く。
腰かけている彼は、恐らく自分より年上で大人の体躯をしていることに。
さらに言えば、そこそこ人通りがあるこの場所で、和服のままわざわざ桜の木に登るような大人に果たして常識というものが通じるのだろうか。変な言いがかりをつけられても、宮人は特に腕っぷしが強いわけでもない。
そこまで考えて、改めて宮人は思い至る。
あんな細い枝の先に大の大人が腰をかけられるわけがない。この光景は、よくよく見れば異常なのだ。
『坊主、俺が見えるのか?』
そう言って桜の上の彼が笑う。
次の瞬間、音もなく宮人の目の前に降りてきた彼は、淡く色づく夜桜と同じ長い髪を後ろで1本に纏めていた。目元を覆い隠すような前髪の影から覗く赤い瞳が、宮人がどんな反応をするのかと見据えている。
宮人は不思議と恐怖は感じなかった。思ったよりも身長が近かったことがあるからかもしれない。それに、向けられた笑顔に妙な親近感を覚えた。見た目は両親よりも若く感じるが、どこか好々爺とした人懐こさもある。
「えっと……桜の、妖怪か何かですか? 僕は多分、食べても美味しくないですよ?」
宮人は生きてきた14年間、一度も自分に霊感があると思ったことはない。ただ、目の前の彼が人ではないことだけは直観的に感じていた。
『ふむ、さすが我が子孫。俺相手に物怖じはしないか』
「え、子孫?」
『そうだ! 光栄に思え。なんたって、俺と同じサクラの一族の末裔だからな!』
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