DAY1 間章1

 いつもの見慣れた天井。聞きなれたアラーム。俺は体を起こして、あれが夢だとどこか確信に変わっていく。リアルな夢だ。そうに違いない。布団から出て、パジャマから外着に着替えようとしたときに、指先に鋭い痛みが走る。つい、服を落として、反射的に指を見てしまう。指の周りが赤黒く染まっている。それが血だというのはすぐにわかった。自分の寝ていた布団に目を移すと、指があったであろう場所が赤く染まっている。

 その瞬間、さっきまで感じていた不安が再び込み上げてくる。その不安が何よりもあれが夢ではないことを俺に教えてくれる。すべてが現実の中で広がっているリアリティを持った現象なのだと。

 俺は、不安で焦る気持ちを抑えながら、救急箱を取り出して、バンドエイドを貼り付ける。すぐにじわーっと血がにじんでくるが、俺は無視して、放り出した服を着て、食パンを焼き始める。その間に、トイレだの、コーヒーの準備を済ませて、パンが焼きあがることには、大抵の準備を終わらせた。表面が結構焦げたほろ苦いパンにバターを塗りたくって、口の中にほおばる。友人に、真っ黒なパンを見られて、おかしいとか言われたけど、俺は、誰が何と言おうと焦げたパンが好きである。

 すぐに食べ終わると、洗面所に行って、歯を磨き、髪を簡単に整えて、居間においてあるテレビをつける。普段はテレビなんて見ない。でも、今日はどうしてか、テレビをつけてしまう。意味もない番組が朝から流される。ニュースだけを見るなら、それ専用のチャンネルに行くべきだろうが、どこに行こうとも、あまり変わらない。でも、気になるニュースを見てしまう。

『不審死が続出』という題で、近年増加している不審死、行方不明の続報。俺が知らないだけで、少し前から起こっていたらしい。近年それが増加し、類似性がある、と。

 俺は、スマホを開いて、当てにならないネットニュースを見ても、似たような話がヒットする。確かに、情報を俺が知りたいように操作しているが、こうも、今の俺と似たような話が、ヒットすると、ばらばらというわけにもいかない。テレビでは深く語られなかったが、不審死の中には、顔が吹き飛ばされている、と表現せざる得ないもの、弾痕が体中にあるもの、腕が切り落とされているもの、と、枚挙にいとまがない。どれも、リアリティを重視したゲームで見られるゴア表現にありそうな死に方。もちろん戦争ゲーム。

 リアリティだけが増していく。知りたくない情報を怖いもの見たさで知っていく。俺が知らないだけで、この世の中で人が簡単に消えていることを知ってしまう。

 ありがたいことに今日は講義はなかったが、13時から唯奈と会うと話した以上、早めに行っても問題はない。ついでに昼ごはんを大学の近くで済まして、そのまま、会えばいい。今から向かえば少し早いが、十時過ぎにはつくだろう。

 俺は、テレビの電源を消して、荷物を背負うと、アパートの鍵を握りしめて、扉の外に出る。扉を開けると、太陽が直接当たっているわけではないが、今まで、少し暗い部屋にいたからか、真っ青な空に目をくらましてしまう。扉を閉めて、鍵を閉めると、ちょうど隣の部屋から人が出てきた。大学からバス一本でいける距離にあるアパートだが、大学周りに学生寮が少ない関係上、町全体が、一つの学生街になっている。だから、俺がいるアパートにもいくらか学生がいるのはきいていたが、付き合いがあるわけではない。それでも、やはり隣から出てくると、どんな人か気になってしまう。

「ふう、13時まで、暇だなー」

 どうしてか、聞いたことある声だった。俺は、思わず、隣から出てきた人をまじまじと見てしまう。厚化粧でありながら、どこか、大人っぽい、というか、大学生男子のある種の理想の一つの清楚系を体現したかのような見た目。でも、なんだろう、どこかからか、中身が見えてくる気がする……。そして、その顔がすごく見たことある。というか、唯奈だった。

「唯奈?」

 急に呼ばれて、ビクンとしたのか、演技のように、首を背けて一度部屋の中に入っていく。俺は、どうしようか本気で迷った。時々、もしかしたら、人違いかも、なんて思うほどには長い時間外で待っていた。部屋の前に行って、扉をノックしてもいいのかもしれない。でも、なんかそれも気が引ける。先に大学に行って、カフェで待つのもいい。ただ、それもそれで、たとえ、来たとして、顔を合わせたとき、すごく気まずい。といったことを悶々と考えながら、ただひたすら、外で待っていた。

 五分ほどたったころ、もう一度扉が開いて、深々と帽子とマスクをつけた唯奈が、そっと出てくる。

 どうしようか。出てきたとしても、さらに気まずくなってしまう。唯奈の帽子がそれを加速させているように思える。

「アルト、君?」

 声を聴いて、確信だったものはさらなる確信へと変わってしまう。つい夢の中で、聞いた声。ふと、不思議に思ってしまう。落ちてしまう少し前まで声を聴いていたはずなのに、その光景があまりにもおぼろげになっている。俺は、唯奈という女性と話していた。それは、こことは違う場所、こことは違う世界、状況。でも、それを知っている。でも、それが遠い。あれが夢だといわれたら、本当に信じてしまう。そんな不思議な気分に見舞われながら、答える。

「ええ、唯奈ですよね?」

 こくりとうなづく。そして、ゆっくりと顔を上げる。その顔は夢の中でも見た同じ顔。思い出そうとすればするほど、その夢は光のように、なにか、ふわふわとする。

「夢だと思ってた……」

「ええ、俺もそう思ってましたよ。でも、まさか、隣だったとは。縁とは面白いものだな、まったく」

 独り言と唯奈への言葉が混ざる。俺は一人クスリと笑ってしまう。

「うん? 何が面白いのさ」

 徐々に、夢の中で話していた時のような口調に戻っていく。なにか、取り繕っているようにも見えてしまうが、まあ、どうでもよかった。それよりも、何か、ぶすくれているようにもみえる。

「えっと、なにか、怒ってます?」

「いいえ、別に。ただ、私が一人、扉の向こうでもじもじしてたのが恥ずかしくって……」

 つまり八つ当たり、と。俺はどうしようもないな。

「ま、まあ、兎にも角にも、こんなところで話すのもなんですし、まず、大学に向かいませんか? 少し早いですけど、お昼も食べましょう」

 また、こくりとうなづく。俺は、つい頭をかいてしまう。かゆいわけではない。意識しているわけでもない。ただ、何か気恥ずかしい気持ちを隠すように搔いてしまった。

 大学まで自転車で行こうと考えていたが、唯奈はバスで行っているらしいので、俺もそれに付き合うことにした。少しはバスの中で話すかなとも思ったが、終始無言のまま、また気まずい時間が流れる。こんなにも、バス停とバス停の間が長いと思ったことはない。夢の中での元気よさはどこに行ったのだろうか。

 どうにか気を紛らわそうと外をのぞき込むが、余計頭の中にぐるぐると同じことを考えてしまう。イヤホンをつけて、音楽を聴こうとも思ったが、それはなおのこと気まずさが増幅してしまうのだろうな。

 もう一度窓の外をのぞき込むと、ちょうど海道を走っていた。きれいな風景だった。でも、俺はそれを素直に見ることができない。そういえば、向こうの世界の外はどうなっているのだろうか。映像を見たが、それは、どこにでもあるような戦争を描いているように見える。映画で語られるような美談と悲劇を混合したような物語。あくまで物語。彼女が、つまり大佐が俺たちに見せたのはおそらく、兵員募集をする際に流し続けるようなただの物語。そこで描かれているような戦場が戦場とは到底思えない。冷静に、思考を巡らせればすぐにあの無意味な高揚を抑えられたはずだった。ただ走って流れている風景を見ているだけで、俺はその高揚が至極無意味であるということ、何も考えていないこと、それを理解させられてしまう。あの周りの空気に流されてしまった、というのもある。でも、同時にリスク計算も入っていたといえば、聞こえはいい。どこかもわからない場所で、市民という肩書をもらって、その市民と同じ生活をしながら、いつ終わるのかもわからない状況でびくびくして過ごすのか、一応の士官としてのキャリアを積みながら戦場に出るのか……。俺は、小さく首を振る。そんなのは、後から考えた理屈にすぎない。俺は、間違いなく、あの瞬間、どこかも知らない、あの場所で、あの空気の中で、勢いのまま賛同した。これは、どんな理屈もつけられない。ただそれが、俺がやったことなんだから。

 そうこうしているうちに大学について、ゆっくりと降りる。バスの中では感じきれなかった海の臭いが鼻につく。入学当時、その海の臭いに何かすがすがしさを感じていたが、だんだんとうざったくなり、挙句には海の臭いを嗅ぐと何かしらのけだるさが襲ってくる。

「ついたー。さ、行こう!」

 え、ええ……。もし、ここが漫画の世界なら、俺の目はおそらく、あっけにとられたような目をしているだろう。それくらいには驚きが襲ってくる。

「お、おう」

 言葉が出てこない。取り繕いも、それが行き過ぎればもはや何か恐ろしささえ感じる。

 大学の中を横断して、反対側の門から出るころにはお昼を食べるのにはちょうど良くお腹もすき、時間もよかった。大学の周りは、やはり、学生へとむけた食堂など、安い、多い、おいしいの三連コンボがそろった店が多い。一人で行くならそういった店を選ぶが、さて、実際陰キャな俺はこの、大学の中でもかなり美人に入る人を連れてどんな店へと行くのが正解なのか。夢の中での決断よりも難しい。

「それで、どこかで食べますか?」

「そうだね。おなかもすいたし。何食べたい?」

「唯奈が食べたいもの食べたら? 俺、よくわからんし」

 うん、なんか、この回答が一番な気がする。本当はこのあたりのご飯処は制覇しているため、どこがおいしくて、どこが安くて、どこがおすすめかもあるのだが、しかし、唯奈が何を食べたいかなんてわからない以上、なんなら、奇縁で夢の中で会っての今日で何を食べたいかなんてわかるわけがないから、仕方がない。とはいえ、ほんと、陽キャな人たちって、よく、そういうのが上手にできるよな……。

「うーん、じゃあ、ここ!」

 そういって、指さすのはまさかのラーメン。まあ、ラーメンは好きだから構わないのだが、数あるラーメンの中でも、いわゆる次郎系といわれる、あのラーメン。野菜がたくさん取れることで有名なあのラーメン。スープにたどり着くころにはスープが冷めているということで有名なあれ。

「わ、わかった。よし、行こう」

 俺は、動揺を何とか隠しながらウキウキ気分で入っていく唯奈についていく。

 俺の数秒の心配を返してほしい。再序盤でラーメンなんて選択肢から消したのだから。全力でおしゃれそうなお店とか、イタリアンとか考えた時間を返してほしい……。まあ、いいのだけれど。

 唯奈は元気よくカウンターに座って、俺が座る前には耳を疑うような注文をし終わり、あとは来るのを待つだけだった。俺も、急ぎで頼むが、どうにも一度しか入ったことがないため、勝手がよくわからない。いろいろと文字が書かれているが、まあ、すべて普通にすればいい気がするので、そうやって頼んだ。

 コップに注がれた水を一口ふくむと、唯奈は何かを決めたように口を開く。

「あれは夢だったのかな?」

 俺は、カウンターの向こうでせっせと料理をする小太りの大将を見ながら、夢の中での出来事を思い返そうとする。例えば、〈アリゲイル〉といわれるあの兵器。鼻の中に残っている鉄と油の臭い。嗅いだことがないはずなのに、その臭いをありありと思いだせる。

「俺は……。俺は、あれは夢じゃないと思ってる。例えばこれ」

 俺は、ほんのり赤く染まったバンドエイドを見せる。

「どうしたの?」

「夢の中で、刃物で切ってみた。で、朝起きたら、まったく同じところから出血してたんだ。それだけじゃない。これはまだ、都市伝説レベルの話なんだけど、最近、まるで、戦場で死んだような傷でなくなっている人が増えているらしい」

 らしいというのは、それを目の当たりにしたわけでも、しっかりとしたソースがあるわけでもない。でも、それは現実である気がするから、そういうしかない。

「そうなんだ。で、君はどうするの?」

「まだわからない。あの夢が現実だったとして、これから、毎日のように向こうに行くのなら、どこかで覚悟を決めなくちゃいけない気がする」

「だよね……。でも、実感がわかないんだよね。だって、私たち、今から当たり前のようにラーメンを食べるんだよ。つい十数時間前にしかも、本当かわからない夢の中で出会った私たちが、今、食べようとしている。なんか夢のような気がするよ」

「それ、なんかいい意味での夢のような、だったら、少しはときめきも来るのだろうけど、なんか残念ですね」

「うっさいなー。ほら、さっさと食べるよ」

 ちょうど、カウンターの上に置かれた山盛りのラーメンを手に取って、唯奈はウキウキ気分に自分の前に置いた。割り箸を手に取って、それをきれいに割ると、唯奈は両手を合わせて、いただきます、と丁寧に言うと、がっつき始めた。そのころには、俺の目の前にも置かれていたので、同じように手に取って、目の前に置くと、唯奈の方があまりにも多いことに気が付く。もやしが……、あふれている。確かに一度食べたことあるが、唯奈を見ると、なんかすごく小さく見える。

 さっきまで話していた俺たちはただひたすらに目の前の山を崩していく。

 

さて、ここから、ひたすら黙々と食べ続けるだけを語っても仕方がない。かといって、この後何かがあったわけでもない。俺たちが何度も話がづれては、戻すを繰り返して、夢だったのか、現実だったのか、確たる証明を試みることなく、時間だけをつぶした。はっきりといえるのは、これから、それが続くのか、それすらわからない。カフェでそれぞれコーヒーとカプチーノを飲み、そのまま連絡先を交換して、家に帰った。

 帰ると、ちょうど、夜を食べるのに適した時間だったので、冷蔵庫の中を漁ってあるもので簡単に作った。一息つくと、そのまま落ちてしまいそうだったので、勢いのままにお風呂を済ませて、寝る準備を着々と進めた。向こうとの時間のつながりがわからない。このまま落ちたとして、次に目が覚めたとき、そのまま一切時間が進んでいないかもしれない。夢を見ている間は時間なんて消えてしまうのだから。

 俺は布団にいつもより早く入った。なかなか寝付けなかった。こんなにも先が不安になりながら寝るのは初めてだったからだ。でも、不思議なものだ。目をつむっていれば、いつのまにか寝ているものだから。そして、目が覚めたと思ったとき、俺は、あの世界にいることにすぐ理解した。


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