第一章 夢と現実の間で。どこにでもない日、どこにでもなった日

 DAY1 1

 目が覚めてしまった。ようやく眠りについたと思ったら目が覚めてしまった。でも、気が付いてしまう。

 どこだ、ここ……。

 俺の寝床は引き布団である。ベッドの上じゃない。それに、もう少し大きいが、明らかに、今、俺が寝ているのはベッドの上だし、なんなら、すんごい小さい。寝返りを二回もすれば落ちてしまう。それに、どうしてか自分が服を着ていない。正確にはズボンだけははいているが、ほとんどパンツだ。体中によくわからないパットを張り付けられているし、それが機械につながっている。心電図をとっているようだけれど、どこかけがしているわけでもない。

 ようやく周りが見え始めると、それが、個室だということに気が付く。周りが真っ白。なんだろう、絵にかいたような病室というか、ここどこだ……。

 ついさっき寝たはず。夢? それにしては感覚含めてすべていつものように感じる。パットをすべて外して、ベッドの上に座る。心電図を図ることができなくなった機械から音が鳴るが、俺はそれを無視する。少し肌寒い。病院というよりかはどちらかというと研究所に見える。扉らしきところに近づくが開く気配はない。

「カメラは、ああ、あれか」

 独り言をつぶやきながら俺はカメラに向かって手を振る。

「おおい、みってるー?」

 ふざけながら。夢だろう。夢と思おう。夢ならまあ、ある程度適当なことをしても自己完結するだけだろう。

 すると、急に部屋の電気が落ちる。真っ暗になって周りが何も見えない。そこで俺はあせらず、目が暗がりに慣れていくのを待つ。暗順応だっけか。

 部屋の外から靴を鳴らす音が聞こえ始めた。それが普通の人がはくようなスニーカーとかから出てくるような音ではなく、軍靴の音だとすぐにわかった。自衛隊の行進を見たことがあった。あの時になっていた軍靴の音を忘れられない。素直にかっこいいと思った。でも、それは、傍観者としてみるからかっこよく聞こえるだけで、それがここに来ると思うと恐怖が先に立つ。夢なら、このあたりで覚めてほしいが、どうやらまだ覚める気配はないらしい。

 ちょっとでも、過ぎ去ってくれることを願っていたが、残念ながら、目の前で止まる。音の数からして三人。うち二人は武器を持っているんだろう。鉄の音が聞こえる。

 丁寧にドアをノックしてくれる。とはいえ、返事をする前に扉が開く。俺は、扉の外があまりにも貧しいせいで目をとっさに閉じてしまう。それを見越して、二人の兵士が俺を抑える。一人は俺の腕を後ろで縛り、一人が顔に黒い布をかぶせようとする。俺はほとんど本能で拒絶する。体を後ろへ前へと動かして背中を壁に当てると、手を縛ろうとしていた兵士をはがすことができた。

 兵士だと理解できたのは、彼らが銃を持っていたから、というのもあるが、軍服に憲兵と書かれた腕章をつけていれば兵士だとすぐにわかる。

 引きはがすと、黒布を持っていた方もこちらを取り押さえるために近寄ってくるが、俺の方から近づいてパンチを食らわせる。こんな反撃が来るとは思っていなかったのだろう。相手はそれをもろに食らってしまう。ひるませているうちに俺は、はがした方の男が立ち上がる前に、蹴りを入れて無力化する。そのままライフルを奪い取ろうとも思ったが、奪おうとする間に抑えられてしまう気がしたので、もう一人の方へ向かう。

 パンチでひるんだ方は黒布を捨てて、こちらに殴りかかってくる。俺はそれを流して、蹴りを入れるが、すぐに反転して勢いのままこちらを殴る。俺もまたそれをもろに食らう。そのまま、口の中に血が広がる感覚がする。痛みより先に、けがをしたことを自覚する。俺は構えなおして、戦闘の体制をとった。

でも、俺はそれをやめた。後ろで、銃からなる特有の撃鉄を下ろす音が聞こえてしまったからだ。

ハンドガンを構えられてしまっている。安全装置も外されている。つまり、いつでも撃てる状態。

俺は、戦闘の姿勢をやめてもう一人の方に振り向く。

明らかに、彼らの上官であろうその人は、光を背にしているため、陰しか見えない。その陰から声が出てくる。

「はあい、ストップ!」

 俺は、少しばかり驚いてしまった。その声が女性だったからではなく、敵意を感じなかったからである。でも、俺は、形式的に手を上げる。

 そして、腰の部分をライフルで殴られて、地面に伏せる。そして、黒布をかぶせられ、なされるがままに連れていかれる。

 通路をどれだけ進んだかなんて覚えていない。でも、進めば進むほど、油と鉄の臭いが鼻につき始める。

「じゃあ、取ろうか」

 俺は再び暗黒から光を見せられて目がくらんでしまう。口の中に血の味が広がっている。それと同時に麻痺していたと思っていた痛みが広がっていった。

 目が慣れてくると、眼下には見たことのない兵器が置いてある。兵器だとわかったのはあちこちに武装が付いていたからだが、それ以上に、あれを兵器といわずして何というのかわからない。

「まあ、見せた方が早いかなって。ああ、服を持ってきたあげて」

 俺が殴り飛ばした一人が嫌な顔をしながら、服を持ってくる。

「まずは、それを着ようか。ここは鉄と油だらけだから、そんな服でうろつくと危ないからね」

 俺は、ただ、言われるがままに服を着る。それが軍服なのは言うまでもない。

「ここは、どこですか?」

 その人は何も答えない。いや、というより、ただマイペースな気がした。

「おお、よく似合ってるね。さ、こっちに」

 そういって、階段を下りていく。服を着ると、暖かさを感じた。階段を下りながら、不安よりも先に、服の偉大さを知る。でも、すぐに引き戻される。下に降りると、その兵器の足元にたどり着き、俺は誰に言われたわけでもなく、上を見上げる。重厚という言葉がそれに似合う。機械仕掛けらしく鉄があちこちから無骨に出ている。

「これは〈アリゲイル〉。そう、私たちは呼んでいる」

 それを見せられてだから何だろうか。まるで、それにお前が乗るんだ、と言われんばかりの言葉遣いを感じる。

 俺はそのまま、〈アリゲイル〉を背に、格納庫を後にする。すぐにミーティングルームのようなところに連れてこられると、俺と同じ服を着ていながら、俺と同じようになにも理解できていない、人たちが十人いる。あまりの恐怖に誰も声を出さない。その十人は俺と年も近いように思える。全員、明らかに日本人にしか見えない。もしかしたら、隣の国とか混ざっているかもしれないが、いずれにせよアジア系、中でも日系に間違いない。

 部屋それ自体はそこまで大きいわけではない。スクリーンと思しきものと、ちょうど十脚の椅子と机。部屋の四隅にはライフルを持った兵士がこちらを監視している。

その人は、俺が用意された席に座ったことを確認すると、前へと歩いて行って、真ん中に用意されている台に手をついて、ニヤッと笑う。長くすらっとした白色の髪は帽子からきれいに出ている。深々とかぶっているため、ここまで一度もしっかりと顔を見ることができなかったが、唇だけはかろうじて見えており、その唇がまたニヤッとしたのを見て、なにか、恐怖さえ感じた。

「さて、まずは、挨拶からさせていただきましょうか。ようこそおいでくださいました。ええ、わかっています。あなた方の立場、なぜ、その他諸々、すべてお答えさせていただきます。ああ、まず、私の名前から、私はアリア。アリア・フォン・シュタイナー大佐です。ここ、ロードス連邦、ロードス陸軍、第三軍第56装甲機甲師団第5試験旅団の旅団長を務めています」

 そういって、靴を鳴らして、見事な敬礼を見せつける。ただひたすら堂々と、威厳を見せる。

 とはいえ、それを聞いたほとんど全員が頭の上にはてなをつける。軍人なのは分かっていたが、初めてそういった、軍に触れるものだからわからない、というのもあるが、なにより、そんな国はきいたことがないからだ。

「と、まあ、私の自己紹介は今後またあらためてすることになるだろうから、さてさて、まずは、皆さんのことに関して説明させていただきます。そうですね。まず、皆さんは、皆さんにとって、世界はいくつありますか?」

 分からないから、次は急に何か、哲学にも近い質問されて、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、最前列に座っている体つきのいい男が声を上げる。

「そんなことは、どうでもいい! いいから、帰してくれ!」

 その一言に便乗するように後ろの厚化粧をしたギャルっぽい女と眼鏡をかけたいかにもインテリのような風貌を見せる男が一緒に叫ぶ。ほかの七人は関係したくないと本気で思った。

「まあまあ、これは、あなた方の状況を知らせるためには重要なんですよ。そうですね、はい、最後に私が連れてきた、あなた、答えて」

 そういって、俺にお鉢が回ってくる。俺は、特に考えていなかったが、適当に答える。

「さあ、一つですか?」

 すると、シュタイナー大佐はまた唇をニッとあげて笑う。

「もし、そうなら質問なんてしないでしょ? はあ、今回は鍛えがいがありそう。さて、世界はね。いくつもあるんだよ」

 そういうと、大佐はスクリーンの電源をオンにして後ろに画像を映す。いろいろな用語が出ているが、図面だけで、何とか理解できそうな気もしなくはなかった。

「例えば、今、ここで、私が君を撃ったとするね。すると君は死ぬ。45口径から放たれる9㎜の弾丸は君の頭蓋骨を突き破り、脳の血管をくまなく痛めつけたのち、重要な器官を破壊して、脳の中に弾が残るか、貫通するかして、君は死ぬ。でも、私はそうしない。なぜなら、私はそう選択したから。これはね、意志と選択の問題なんだけど、例えば、本当に撃った世界があるとすればどうかな。すると、今、私の目の前には九人の生きた人間と脳片をばらまいた死体があることになる。でも、そうなったからと言って、世界が終わるわけではないよね。まあ、少なくとも残りの九人は生きた心地はしないだろうけど。

 私たちはそれをノンリアルと呼んでいます。そして、選択されて、今まさしく目の前で起こり続けるこの現象をリアルって呼んでいます。まあ、これは、無数の運命を選択したに過ぎない、といった、問題はいまだに議論されていますが、これはいいでしょう。

 では、今、私の目の前にいるあなた方は、二つのどちらなんでしょうか。私にとって、あなた方はリアルの存在です。だって、今、私の目の前にいて、こうやって話しているんですから。でも、あなた方は? 私の存在はリアルでも、あなた方は、この世界を知らない。見たことがないものであふれているでしょう。あなた方はここに来る前、どこにでもあるふかふかのベッドで目をつむって、眠りに入った、そう記憶しているはずです。ええ、それはその通りです。あなた方は目をつむって、今、寝ている。でも、あなた方は、今、目を覚まして、私の一挙手一投足のすべてを記憶し、それを再現することもできる。なんと不思議でリアルな夢でしょう。

 私たちはあなた方を夢者

ドリーマー

と呼んでいます。この世界の人間ではない。でも、この世界に干渉することができる。この世界はですね、あなた方のいた世界の時間とは全く異なった、なんなら、空間すら異なった別の地球なんです。だから、最初の質問が大事なんですよ。そう、世界はいくつもあります」

 込み入った話をし始めると、全員が沈黙を守りだす。すると、インテリの男が声を上げる。

「つまり、パラレルワールドに僕たちは干渉している、と?」

「ええ、その通りです。そして、それはあまりにも不幸なことに、これから幾度となく続きます。まずは、この現実を受け入れてもらいます」

 一体、部屋にいる十人の中で何人がその話を理解したというのだろうか。少なくとも、七人ほど理解していない。意味が分からなくて頭を抱えるものもいるし、そもそも、帰りたいといい続けている人もいる。夢を見ている、そう思えなかった。あまりにも、リアルだったからだ。俺は一度たりとも、鉄と油の生々しいにおいをかいだことがない。でも、俺の脳は、〈アリゲイル〉と呼ばれる二足歩行兵器を見て、そこから匂ったとき、それが鉄と油の臭いだってわかってしまう。

「まあ、ほとんどの人は受け入れられないでしょう。これまでに来た人たちも全員そうでした。さて、ここからは少しばかり、私たちの状況について聞いてもらいます。それは、あなた方がこれからどうしていくかを決めていくことにもなります」

 そういうと、大佐はスクリーンの画面を変えながら、説明を始める。誰もそれを止めない。わからないことを止めて、尋ねようとしてもそもそもわからないのだからしようがない。

「事の発端は五年前で……。まだ、五年しかたっていないのか……」

 急に空気が重たくなる。それを全員が感じてしまう。

「五年前、こことはまた違う世界、ああ、あなた方の世界とは全く違った世界から、攻撃がありました。どこからともなく表れた敵は、自らをゼウスと名乗って、無差別攻撃を始めました。ええ、ギリシャ神話に出てくるあのゼウスです。兵器の質も量も圧倒的で、私たちはたった半年で全人口の二十パーセントが亡くなりました。ちょうどそのころ、各地で新たに人が急に現れる、という事例が多く見られ、最初のころは隔離されていましたが、敵ではないことがわかると、その原因を探ることとなりました。「

夢者

ドリーマー

」私たちはそう名付けました。そして、敵もまた同様の兵器をもって、大量に送り込んできていることが開戦から一年経ったころには判明していましたが、そのころにはすでに領土の半分と人口の半数が殺されました。

 三年前、一次膠着状態になった際、試験としてドリーマーによって構成された部隊を編成し、訓練したしました。もちろん、当人たちの了承を得てです。傭兵という形で構成された部隊は想定されていた数倍の戦果を挙げる、という快挙を成し遂げます。そこから、研究が開始され、ドリーマーに共通するのは、

 一、一般兵士よりも高い戦闘力を有する。先天性か、世界性の違いかは不明。

二、常に同一の人種であること。皆さんはいわゆる「日本人」という国家に属していることがわかっています。これは例外ありません。

 この二つがほとんどです。そして、これが最後、皆さんに見てもらった〈アリゲイル〉の唯一のオペレーターとなれること、です。

 ことのついでに、私たちの世界とあなた方の世界の歴史はほとんど同じようです。ですが、科学技術に関しては、あなた方よりも何倍も進んではいます。そして、私たちはあなた方に対して歴史の開示を行うことはありません。その点に関しては留意してください。

 そして、現在、私たちは岐路に立っています。〈アリゲイル〉は量産していますが、そのオペレーターがあなた方ドリーマーしかおらず、数もそろっていません。ここに集めたのは、あなた方がドリーマーであるということ。そして、あなた方は戦いのセンスがあるということ。私たちは強制しません。ですが、かといってあなた方を解放する手段も持ち合わせていません。眠っていただけたらすぐ向こうの世界に戻れますが、寝るたびにここに来ます。そのたびに守りはしますが、それはあくまで一般市民としてであり、客人として扱うことはありません。軍人として、民間人を守ることはしても、それ以上はしません。配給切符と数少ない基地で過ごしていただきます。

 もし、オペレーターとして参戦していただけるなら、士官候補生として入隊してもらい、待遇もかなり優遇させていただきます。今すぐ選択していただきたいわけではありません。ですが、まず、そうですね、戦場を見てもらいます。現実を知っていただきます……」

 そういわれて、スクリーンにはまざまざと死体が映し出される。俺はそれを見た瞬間、その映像がプロパガンダ映像だとすぐにわかってしまう。戦意高揚のための映像。悪逆非道な敵、正義の味方、この構図がわかるように描かれている。事を単純化し、誰でも戦える場所、そんな風に見せる。この世界にきて、まだ数時間もたっていない。目の前にいる人以外でまともに人と話す機会を与えられなかった俺たちが、この世界に対して義理を果たす意味すら見いだせない。でも、俺は心のどこかで、戦うことを望んでいる。ここにきてから、たった数時間の間に思うことがある。あの二足歩行兵器を動かしてみたい。そして、ここにいるほとんどが戦意高揚のための映像に心を躍らせる。まるで、戦場に何か尊いものがあるかのように。誰もが魅入られ、誰もがそこの一つになることを望んだ。だから、俺たちはこれから起こることも深く考えずに承諾してしまう。だから、現実を知ったとき、大佐が、つまり彼女が隠していたリアリティを知ったとき、俺たちは後悔せざる得なかった。

「では、皆さん、今日は各自の部屋に案内した後、向こうの世界に帰ってもらいます。寝るだけで向こうに戻ります。ありがとう」

 そういうと、彼女は敬礼して、部屋を後にする。残された俺たちは、一言も会話することなく、それぞれに思うことを考えていた。不思議と今は後悔はない。でも何か、大きな不安の方が襲ってくる。体の震えが止まらない。頭ではなく、体の方が何かに気が付いている。

 兵士の一人が俺に部屋を案内してくれる。一人ずつ動くと思ったら、二人一組で動くらしい。俺は、ギャルっぽい女と一緒に動く。けらけらと笑いながら、俺の肩に手を置く。肌が黒いとかじゃない。なんか、ただ、テンションが高い。そういえば、どうして、寝て起きた割には化粧がしっかりしているのだろうか……。

「おお、君はなんか面白そうじゃん」

 なれなれしい。ただそうとしか思わない。

「面白そうですか?」

 初対面の人にふつうそんなこと言うだろうか。

「うん。なんか、君はもう慣れている気がする」

「別に慣れていませんよ。むしろ困惑しています。ところで、すごく気になったんですけど……、どうして化粧してるんですか?」

 そういうと、女は首を傾げた。

「ああ、そういえば、してないなー。え、何? なんかおかしい?」

 かみ合っていない。

「いえ、ばっちり化粧してますよ」

 そういって、近くにあった鏡を女は覗き込んで、驚く。

「わ、本当だ。ああ、でも、どうしてだろう。ちょっと待ってね……、ああ、そっか、寝落ちしたんだ。多分。となると、うわ、最悪……、部屋やばい」

 一人で頭を抱えて、悩みこんでいる。

「うーん、まあ、いっか。大学行く前に、片付けたらいいから」

「大学生だったんですね……」

 そういうと、俺は、少し目を見開いて、驚く。まあ、人は見かけで考えちゃいけないんだな……。

「うん? 何? 私のことバカだと思った?」

 すらっとした腰に手を当てて、頬を膨らます。深緑の軍服は女のスタイルをしっかりと表している。勲章がまだない胸元は、控えめではあるが、それでも、抑えられていない気がする。足もすらっとして絵にかいたような女性軍人のように見える。でも、それはすべて厚化粧でかき消されている気もする。

「こう見えても、私は暘谷大に言ってるんだけどなー」

 俺は、歩く足が止まる。今、暘谷っていったか? 

「どうしたの?」

「いや、暘谷大って、暘谷町にある、あの暘谷?」

「ほかにどこがあるっていうのさ」

 そういって、またあきれたような顔を俺に向ける。

「実は俺も暘谷」

「え、嘘、まじ? 奇跡ー」

 どうにも、世間は狭いらしい。

「で、君は何して、ここに来たの?」

「君って、やめてもらえませんかね。自分にも名前があるんですが……」

「だって、名前知らないもん。そして、多分知ったところで、私は君のことを君って呼ぶだろうし」

 さいですか。とはいえ、名乗らないのも何か礼儀知らずな気がしたので、名乗ることにした。

「進藤です。進藤 アルト。あなたは?」

「私? ああ、私は唯奈。唯奈でいいよ。上の名前教えると、多分、君のような人だと上の名前で呼ぶと思うから、唯奈で」

 俺は、両手を軽く広げて、「よくお分かりで」と小声で伝えると、また兵士について歩いていった。

 さっきの部屋から2分ほど、歩いたのだろう。それだけで、ここの基地はかなり大きいことがわかる。入り組んでいるところから、おそらく要塞か何かなのだろう。方向感覚が消えていく。同じような扉がいくらも続いている。おそらくここは居住エリアだと思う。どこか生活感があふれている。ところどころ、廊下に棒を立てて、そこに、服が干されている。すこし、赤黒く変色しているのが気になるが、考えないようにした。多分、唯奈も気が付いているのだろうが、無視している。

「ねえ、これが本当なのか、確かめるために、明日、向こうで会わない?」

「ええ、それはいいですね。大学の近くにある〔アロー〕っていう喫茶店でどう?」

 すると、唯奈は目をきらりと輝かせて、

「いいね。私もあそこ好きなんだよね。カプチーノが好き」

「俺は、基本的にブラックですね。まあ、明日、13時にそこで会いましょう」

「13時ね。はーい」

 案内している兵士が、立ち止まって、俺たちに、左右がそれぞれの部屋であることを教える。そして、次の日の動きだけが伝えられ、部屋に入るよう促された。俺たちは促されるままに、部屋に入って、それぞれの時間を過ごし始めた。

 正直な話、俺は、この時、一切、彼女の話も、唯奈という女性もすべて俺が作り上げた夢でしかないと思っていた。ありえない。そんなファンタジーのようなことが起こるとも思えない。もし、これが本当に現実なら、俺は今何をしている? 8畳くらいの想像よりも大きい部屋の中、シャワーと水洗トイレも完備された明らかに士官用に設立された部屋の中で四隅にそれぞれ、ベッド、机、タンス、簡易の本棚、と最低限の生活だけが保障された部屋の中で、俺は何を選択したのかを改めて考えてしまう。夢でありながら、夢の中で、何か大きな選択をした。これから俺は何の考えなしに戦闘に赴いてしまう。戦争を本やゲーム、テレビの中でしか知らない俺たちが、戦争に行く。リアリティがないからこそ、俺たちは戦争を英雄の場として理解して、深く考えない。だから、俺たちは、ああも簡単に決断してしまう。もう一つは、あそこにいた全員が、これを夢の出来事だと信じてやまないからだ。

 俺は、机の上を探って、何かとがったものを見つけようとした。ありがたいことに、机の中に、カッターナイフがあった。あいにく、俺は自傷行為を日常的にするような人間ではないが、しかし、もし、これが、現実となにか、リンクするところがあるのなら、もし、肉体的なレベルで何か関係しているのだとするならば、試してみる価値はある。

 俺は、深呼吸して、カッターナイフの刃を人差し指に平行に当てる。そして、刃を少し立てて、軽く指を切る。

 焼けるような感覚の後、血が流れ出る。思ったより痛い。偶然起こってしまうことと、意図的に切るとでは、やはり何か違うな。

 そして、俺ははっと気が付く。そういえば、止血剤とか、なんか、そこら辺のものを探していなかった。だから、俺は席を立って、少しばかり物色を始めると、さすがは軍事施設、しかも、士官専用の部屋だからかタンスの中に救急キットが完備してあった。俺は、ため息とともに、ふたを開けると、自動的に、展開されて行って、驚いてしまった。流石は近未来。ディスプレイが展開されると、自動的にこちら側のけがの具合を調べて、それに必要なキットが出される。まあ、ただ切っただけだったからか、簡単なガーゼとテーピングが出される。そして、ディスプレイにそれの手順が示され、俺はそれ通りに指を巻く。何か、申し訳ない気がする。こんな、ただの自傷行為にこんなハイテクな機器を使ってしまうなんて、まあ、いいか。

 俺はそうっと、元あった場所に返す。俺は、その時、奥の方に何かが挟まっているのを見つける。何か、白い紙のようだ。いてもたってもいられず、俺はその紙に手を伸ばして広げる。そこまで大きい紙ではない。たった一言、

『帰りたい』

 そう書いてあった。

 俺の胸はどういうわけか、締め付けられる。呼吸が苦しい。それを和らげるために呼吸を繰り返すと、過呼吸になってしまったのか、視界の周りが暗くなっていく。俺は、のど元まで締められているボタンを外して、軍服を着崩す。少しは楽になったが、俺は、ベッドの近くまで行って、倒れこむように、沈んでいく。気が付いた時には、見慣れた部屋に戻っていた。


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