第30話 渡来舞央 ⑧

 大会が終わった後、私と新人は星見市で同居生活を始めた。


 これからの補習の為に、新人は学園の教科書を目に通して、「この学園の課程が狂っている」、「使える参考書も存在しない」と言いながら、色んな準備をしていて結構大変みたい。

 そんな新人に、私は毎日料理を作ってあげる以外はなにもできない。


「お前、毎日料理をするって大変じゃないの? 食堂で食べてもいいよ。俺はいつもように適当に済ませるから」

「やっぱりいつもは適当に済ませている! ここで住む以上、またそんなことをしちゃダメだからね!」

「はいはい」


 新人のアパート、どう見てもちゃんと料理をしているように見えなかったから、まさかと思っていたが、これで本人から確信を得た。


「それにいいじゃん。もうバレエをやっていないし、結構時間があるから」


 バレエをやめると決めて、私は髪を切った。

 当然全部切ったわけじゃない。昔新人も褒めてくれた綺麗な髪だから、ただわざわざつま先立ちをしなくても地面に触れない程度にした。

 いつでもつま先で歩く必要もなくなって、何故か「星見学園の名物の一つ、いつでもつま先で歩く妖精がなくなった!」ことでちょっと大騒ぎになった。


 まあ、やめたと言っても、まだ完全にやめたわけじゃないかもしれない。

 もうすぐ学園祭だし、今年こそ祈里のピアノでパーティーの開幕ダンスをして、新人にそれを見せるんだ。

 同時に、むしろ主の目的として、そのことでお二人に最高の初対面を作るんだ。

 これから二人が上手く行けるように、良いスタートをしなくちゃ。


「去年は舞央ちゃんと一緒にステージに立つことができなかったけど、今回の学園祭で叶えて嬉しいな」

「私も。ずっと祈里ちゃんと一緒に舞台に出たかった」

「でも」


 祈里はピアノを弾く手が止まった。


「小百合先輩が一緒に居られなくて残念だね」

「……そうね」


 去年は私のせいで、祈里ちゃんと小百合先輩だけで学園祭に出演した。

 今年は私が祈里ちゃんと一緒に出演することになる。

 そして小百合先輩は私と昔からの付き合いで、共演することもよくあった。


 でも、三人で一緒に出ることはなかった。

 これからもない。


 昔、一緒に誕生日をお祝いした時、いつか一緒に舞台に出るって願ったけど、それはもう叶えない夢だ。

 バレエ大会の翌日、小百合先輩のお母さん、白鳥先生は事故で命がなくなって、小百合先輩本人も行方不明になった。


「もう、暗い話をもうやめて、もっと明るい話をしようよ! そうだ! 明日、舞央ちゃんのお兄さんもくるね! 一体どんな人なのかな……」


 そんな祈里ちゃんを見て、私は思わず微笑ました。


 翌日、学園祭のパーティーの開幕。

 ステージの裏で準備をしている祈里ちゃんと私。

 そして新人。


「靴、今履かせる?」

「要らないよ」

「えっ?」

「もう履いたよ。ほら」


 私は座るままで脚を伸ばして、トウシューズ付きの足を新人に見せた。


「そんなことより、少しあっちの手伝いをしてあげて?」


 祈里ちゃんがチラチラとこっちを見てくる。

 話しかけたがるが、こっちのことを遠慮している様子。


「分かった。えっと……」

「初めまして。私は舞央ちゃんの友たちの、神崎祈里と申します……」


 これからのことを考えたら、妹にこんな靴を履かせることなんて、祈里ちゃんに見られたらちょっと不味いでしょう。

 昔から小百合先輩がそんな場面を目撃するたびの嫌な顔、少しだけ理解した気がする。


 私も、そろそろ新人にトウシューズを履かせることから卒業するかな。


 二人が楽しそうに話している光景を見たら、なぜか私は今から靴を脱いで、新人にまた履かせたくなった。

 そんな衝動を抑えて、私はそっちに声をかけた。


「祈里ちゃん! そろそろ時間だよ!」

「はい!」


 今日の演出、何だか始める前から話題になったみたい。

 これから進学の為に引退する二人の芸術家の最後の演出、みたいな話って。


 ピアノのリズムに乗って、演出は普通に完璧だったと思うが、結構みんなの目を奪った。

 そんな拍手を浴びるつつ、私と祈里ちゃんはみんなに少し頭を下げた。


 でもステージから降りようとした時、祈里ちゃんの婚約者、古月光輝が舞台に上がった。

 もうすぐ引退する予定だが、今こいつはまだ生徒会長だから、これから始まるパーティーについて何か言うつもりでしょうか。


「素晴らしいダンスでした、渡来さん。特に最後のあのリズム感、素晴らしかった」


 最後はシーンは自身が回りつつ舞台を一周回った。自転と公転を同時に進行するみたいな感じ。

 祈里のリズムを踏んで。


「ありがとうございます、古月先輩。でも私はただピアノのリズムに乗っていただけですので、ダンスが上手く行ったのもピアノの演奏が上手いお陰です」

「そうですか。ところで、さっきステージの下の誰かと目合わせをしましたね」


 何をしているのよ、こいつ。

 私ばかりを褒めてくれて、まるで隣の祈里ちゃんが存在しない態度。

 せっかくそっちに誘導したのに、まさかあっさりスルーしたなんて。


「もしかして今日一緒に来た保護者の方ですか?」

「はい」

「男性に見えますけど、やっぱりお父様ですか?」

「いえ、兄さんです」

「珍しいですね、一緒にここに来る保護者がお兄さんなんて。もしかしてそのお兄さんが渡来さんの面倒をよく見てあげていたのですか?」

「そうですね」


 こいつ、何をしているの? 取材?


 新人のことは、祈里ちゃんみたいな友たちにはよく話すけど、良く知らない人に話す興味がない。

 大切な思い出を無関係な人間に分かち合う趣味がないから、適当に終わらせてもらうね。


「なるほど。では、今までずっと我が校の妖精、渡来さんを見守り続けてもらったその保護者であるお兄さんを登場させていただきます!」


 ステージに上がった新人は目で「これも計画の一部か?」って聞いてくれたが、私は軽く頭を振った。


「おっと。今も視線で交流した所、みんなも見ましたよね!」

「えっと、俺に何か用ですか?」

「失礼しました。実は今ここで、渡来さんの保護者であるお兄さんに見届けたいことがあります。これからのことは、お兄さんの承認も必要となると思います」

「分かりました」

「では」


 古月光輝は全校生徒とその保護者達の目の前で、懐から小さな箱を取り出して、それを開けた。

 そして片膝を地面につけ、両手でな小さな箱を私に上げた。

 箱の中には金色の指輪。大きなダイヤ付き。


「渡来舞央。僕の伴侶になってください」


 パーティー会場は静かになった。


「古月先輩にはもう婚約者が居ると聞きましたけど」


 そのことはこの学園で結構有名だ。

 なにせ、この学園に婚約者が居る生徒は少ないではないけど、お互いもう指輪を付けたのは結構珍しいことだ。


「今日付けたこの指輪を見てください。これが僕の答えです」


 箱の中に、明らかに空いている位置があって、お揃いの指輪がそこにあった証拠になる。

 そしてよく見たら、こいつの左薬指に付けているのは、箱の中のものと同じ金色で輝いている。


 いつもは祈里ちゃんとお揃いの銀色の指輪だったのに。


 静かな会場に、パーティーの雰囲気に合わないシクシクと咽び泣く音がいつの間にか響いた。

 低いけど、静かすぎたせいでよく聞こえる。

 その声の源が私の隣に居ることも、私は直ぐ分かった。


 祈里ちゃんの涙を目にしたのは、今日初めてだ。


 私はまたこいつに向いた。

 よく見たらあの箱、「PRAY」の商品だ。

 あれは祈里ちゃんの亡くなった母さんが設立した、今祈里ちゃんが大株主の会社。


 つまりこいつ、自分の婚約者の店で、婚約者への指輪より派手な指輪を買って、婚約者と全校生徒とその保護者達の目の前で、他の女にプロポーズした。


 本当、凄い人間ね。


 私はその箱を取った。


「受け入れていただいて、ありが……」

「死ね」


 私は全力であれをこいつに投げた。


「行こう、祈里ちゃん……立てる?」

「ごめん……なさい……力が入れなくて……」


 まだシクシクとしている祈里はいつの間に倒れそうになって、新人に支えらた。


「歩けなさそうね。新人、負んぶしてあげて」

「神崎さん、俺に乗って」


 でも祈里ちゃんはそれすらも出来なくなった。


「ごめんな……さい、やっぱり力が……」

「しょうがないか」


 新人は負んぶすることを諦め、いっそ祈里ちゃんのことを抱き上げた。

 そのまま姫様抱っこで、私と一緒に会場の外に向かった。


 会場から出る前に、私は一回振り向いて、すっかり元気になったあいつを目にした。


 許せない。

 こいつのことも。

 こいつの女になろうと少しでも考えた私自身のことも。


 やっぱりこいつ、敵だ。


 あの私に向けた意味深な笑顔を見て、私は決心した。

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