第29話 渡来舞央 ⑦

「古月くんはね、『僕は何か嫌なことをしたのか』って、私を舞央ちゃんに聞かせたけど」


 学園に戻っらた、祈里に聞かされた。


「古月くんと何かあったの?」

「いえ、なんでも」

「でも最近、古月くんのことを避けているよね?」

「ん……あいつは結構いい人だと思うよ。成績も良いし、生徒会長の仕事も良くやっているし」


 そう。

 意地になったのは私の方だ。


 あいつ、新人の会社を潰して奪い取ったあの人の息子だから、私が勝手に嫌いになっただけ。


「ほら、そういう所も。昔は『あいつ』じゃなくて、きちんと『先輩』と呼んでいたのでしょう?」


 でもそうね。

 昨日考えたけど、場合によって、いつか私があいつの愛人のなる可能性もある。凄く嫌だけど。

 祈里には悪いけど、親友として許してくれて、奥さんとして仲良くしてくれる可能性も見えそう。


「こんにちは、祈里、渡来さん」

「こんにちは、先輩」

「珍しいね。渡来さんは僕のことを避けなかったなんて」

「嫌だよ、そんなこと最初からしていませんから」


 だから、少なくとも関係を切ることをやめよう。


「舞央ちゃん? 白鳥先生が呼んでいるよ」

「あっ、はい! 今行く!」


 小百合先輩は私を呼びに来た。


「では失礼します。古月先輩」

「大会、頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」


 少し頭を下げて礼を言った。

 祈里も小百合先輩も、まるで異星人を目撃した目で私のことを見ている。


「舞央ちゃん、急にあの男に態度が変わったな。何かがあった?」

「いえ。ただ古月先輩と仲良くなったら悪くないな、と思っただけ」

「ん……でも気をつけろよ。あの男、あっさりろくでもないことをするタイプだから、あんまり信用しない方がいいよ」

「そうなの?」

「そう。それより今日の先生が厳しくなるよ。舞央ちゃんまた週末をサボったから」

「あはー」


 こっちももっと頑張らないと。


 そのまま夏休みになって、五年ぶりのバレエ大会の日。

 新人は約束通り、私と一緒にもう一回この涼しい町に来た。

 大会のステージに、


「本当に俺がやるの? もう久しぶりだから、上手くいかなかったら……」

「新人、心配しすぎ。それに来る前にもう何度も練習したじゃん。その手で、この足で」


 私にトウシューズを履かせている新人は真剣な顔で、間違いを起こさないようにリボンを結んでいる。

 それが終わって、私は新人に見せるように爪先で立って、少し回った。


「ほら。やっぱり結構いいじゃん」

「良かった」

「じゃ、行ってきます」


 そこで、私は今まで一番の全力でバレエをした。


 そして賞を取った……けど、一番地味な賞で、注目するような人間が全く居ないでしょう。


「おめでとう、舞央ちゃん」

「小百合先輩こそ、シルバースワンを取っておめでとう」


 ゴールデンスワンは取らなかったけど、今年小百合先輩はその次のシルバースワンを取った。


「審査委員たちは随分見る目がないね。私なら絶対舞央ちゃんを一番目にする」

「いえ。私、絶対埋めないこの身長があるかって、これでもう充分だ。それに、私は最初から大きな賞を取るつもりがなかったもの」

「何を言っているのよ? あんなに頑張って、これでいいって本気で思うの?」


 本気で思っているよ。

 と私が答えをする前に、小百合先輩は取材の所に連れられた。


「ねえ、君」

「えっ? 私?」

「うちの劇団に興味がありませんか?」

「はい?」


 世界有名なバレエ劇団が勧誘してくれたそうだ。


「主演にします。だから是非来てください」

「いや、そんなこと、私より大きな賞を取った人の方が……それにいきなり主演なんて」

「これから小さい子をヒロインする新しいシナリオを用意してあげますよ。身長のことは気にしなくてもいいですよ。むしろその方が好都合」

「その、すみません。せっかく誘ってくれたんですが、実は私、今日を最後の演出にするつもりですから……」

「そうか。残念ですが、もし気が変わったら連絡してください」


 名刺をくれた。

 隣の新人にも。


「渡来さんですか?」

「はい!」

「私はこういうものです」


 外国人に見えそうな人間は少し変な日本語で声をかけてくれた。

 今回の名刺を見たら……ええ? これ、あの世界有名な監督じゃないの?


「単刀直入に聞こう。君、女優デビューする気がありますか?」

「女優ですか? でも私、そんな経験が全然なくて」

「問題ない。その気があれば、今直ぐドラマのヒロイン役を試してみません?」


 なるほど。

 バレエをやり続けたら、賞を取らなくれも女の魅力を磨く。

 そのことがバレエ以外の道にも役に立つ。


 確かに、このまま女優デビューして、本当に人気女優になればとても良い選択かもしれない。

 特に上流世界の男を狙うなら。

 でも、


「すみません。実は私、これから受験生になるなので、しばらくそんな余裕がありません」

「そうですか。ちなみにどの大学を狙っていますか?」

「A大です」


 監督は驚いた。

 周囲の人間も、驚く顔になった。


「なるほど。じゃ渡来さん。うちもA大の生徒が大歓迎ですから、大学生になったらまた連絡しますね」

「ありがとうございます」


 そして監督は身を回して、後ろの人たちに宣言した。


「聞きました? 渡来さんはこれから受験勉強って。全員諦めろう」


 それを聞いて、まだ私と新人と距離があったが、よく見たらずっとこっちの様子を伺っていた何人が引いた。


「いや、渡来さんって人気ものですね。大学生になった時も、手が遅かったら他の人に取られてしまいそうですね」

「そんな」

「では私はこれで失礼します。大学生の渡来さんを楽しみにしています」


 こうして、私のバレエ歴が終了した。


 大会が終わって、私と新人は食事の為にレストランに入った。

 大きなスクリーンには下着ショー、ヴィク○リアズ・シークレットの再放送。

 再放送とは言え、随分お客さんたちの目を引くもの。特に男性のお客さんたちの目。


「ねえ、このモデルはどう思う?」

「いいんじゃね?」

「新人、適当すぎ」


 興味がなさそうな新人は私の質問でスクリーンの方に目を向けて、また直ぐこっちに戻した。


 これほど興味がないなんて、まさか女には興味がない……ことはないけど。証拠はアパートに見つけたエロゲー。

 じゃやっぱりこんなのはタイプじゃないでしょう。


 私は先日出したある結論をもっと確信した。


「それより、本当に今回のチャンスを逃していいの?」

「逃がしたじゃなく、少し後にしただけ」

「でもその道に歩むなら、A大みたいな大学に狙わなくて、今から女優か何かの道を始めてもいいと思うよ。そんな業界には若さも大事だから」

「でも、A大卒業生って結構身の価値を上げるじゃん?」

「それは違わないが、舞央は本当にそれが出来る自信があるの?」

「あるよ」

「いや、そもそもお前、ずっとバレエのことで精一杯だったはず」

「そうね。授業もギリギリ、いや、もうとっくについていないと思う」

「じゃ」

「でも私は新人が居る」

「はっ?」

「新人。仕事として、私の家庭教師になってくれない? 給料ビットコイン一万枚で」


 これが私は最近考えた案。


「住む場所付き……と言いたいけど、元々家賃を支払ったのは新人だったので、自分の家に帰るだけだね」

「まあ、舞央が本気で進学を目指すなら俺もその仕事を受け入れよう。でも流石に給料は取らないぞ。身内だし。でもそうなったらまた別の仕事を探さないと……いや、状況を考えると多分そんな余裕がないな」


 そうだよ。

 お世辞にも私の状況が楽観的だと言えない。

 だから、


「じゃ、もう一つの仕事を増やそう。あんまり余計な負担を増やさない同時に給料ももらえる」

「いや、そんな仕事……」

「あるよ。新人、」


 そう。

 新人の仕事の件は、それだけじゃない。


「クラスメイトの家庭教師になってほしい。その子、今まで体が弱くて欠席も多いが、つい最近完治したらしい。そして今度はB大を狙ってみたいって」

「それならいいと思うけど。それにしても、何で舞央はA大の方を狙うの? 女の子なら普通はB大だろう」


 この国の一番目の大学と言うなら、A大とB大だ。

 どっちが上か結論がなく、同じ一番にした。

 区別と言うなら、A大が伝統的に理系大学で男子向け、そしてB大がもっと女子向けだった。

 でもそれも以前の話で、今はどっちもすっかり総合大学になったはず。


「新人が通った大学を見てみたいから」

「いや、そんなことをするより、友たちと一緒の大学に入った方が有意味だろう?」

「何が有意味か私の勝手でしょう?」

「まあ、どのみち、俺の役目はお前の勉強を見るだけだ」


 新人の言う通り、私も自分がこんな高難度の大学狙う必要がないと思う。

 見の価値を上げるという理由もあるけど、それは建前に過ぎない。

 私、どうせ大学に通うなら、新人が六年の青春を過ごした場所で、似たような大学生活が体験したい。


「あっ。それと、さっき言い忘れた。新人の教え子になる予定の子のことなんだけど。今年の学園祭の後から補習を始めてもいい?」

「俺はいつでもいいよ。どうせ暇だから」

「じゃ今年の学園祭で紹介する。今度こそ絶対一緒に参加してね」

「分かった」

「それと、その子が気に入ったら遠慮なくアタックしてもいいよ」

「うっ!……」


 ジュースを飲んでいた新人は口からそれ噴き出した。


「何を言って……教え子にそんなことをするわけがないだろう」

「そんな話、本人をその目で見てから言っても遅くないよ」

「いや……」

「きっと、新人の好きなタイプだと思うよ」


 新人と一緒にテーブルを拭きながら、私はさりげなく宣言した。


 大会までの間に、私は二つの件についてずっと考えていた。


 一つは新人の仕事の件。

 これについては、案外直ぐ答えを見つけた。


 問題はもう一つの件。

 でもその件について、新人の女の趣味が分からない以上始まらない。


 新人に対して、理想な女の子はどんな様子なんだろう。

 私には分からないね。

 新人自身でも、良く分からない可能性も十分ある。

 でも観察の方法も全くないわけじゃない。


 例えば、親はよく自分の理想を子供に押し付け、子供を自分の理想な形にしろうとする。

 そして上手く行かず、親喧嘩になることもこの世に結構あるらしい。

 まあ、うちはちょっと違うけどね。

 両親より、私は新人との接触が多い。

 今の私も、全部新人の言うことでこんな私になった。

 つまり、親の理想より、今この私は新人の理想……


 あれ?


 部室の大きな鏡に映る、渡来舞央という女の子が開脚をしている姿を目にして、私は何かが気付いた。


 そうか。

 このような子か。


 最初に頭に入ったのは小百合先輩だけど、一瞬で否定した。

 背の高い美人として、ちょっとタイプが違う。

 いや、むしろその方が良い可能性もあるけど、何となく二人が仲良く一緒に生活する場面が浮かばない。

 根拠なく、ただの直感だけど。


 じゃ……

 やっぱり祈里か。


 体型が私と似ていて、クラスでよく姉妹だと言われる。

 バレエはやったことがないけど、ピアノは全国大会で優勝したことがある。

 何かの病気で体が弱かったけど、最近はもう完全に治って、欠席することも歴史になったから、もう心配するようなことじゃいと思う。


 唯一の心掛かりというなら、婚約者を持つことかな。

 人妻が嫌な新人は……いや、まだ婚約をしただけで、人妻じゃないんだ。

 それに、これから二人が一緒に居る時間が増えたら、感情にも変化があるかもしれないし、そのまま婚約解除になってもおかしくない。もう指輪を付けている段階だけど。


 祈里の方は……

 ずっと家庭教師を探していたから、私が「うちの新人はどう?」と聞いた。

 その時は結構嬉しそうな顔だった。

 多分私から新人のことを一杯聞いて、本人がいつの間にか憧れみたいな感情を抱いたみたい。

 しかも良い第一印象を残るように、わざわざ初対面を学園祭のパーティーにしたいと頼んでくれた。多分その場で気合を入れてお洒落をする気かも。


 まあ、分からないでもないけど。

 一際成績が良い人に憧れを抱くのは、学生時代でごく普通なことだ。

 昔新人にアプローチしてくれた同級生たちも、多分似たような感情を抱いた。


 とにかく、新人と祈里両方から見れば、こんなことが案外上手く行けると思う。

 というか、絶対上手く行って。

 じゃないと……


 鏡の向こうの、新人の理想な女の子(推測)の姿を見て、私はおかしくなりそう。

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