第28話 渡来舞央 ⑥

「りょうり、こんなにじょうず、になったのか」

「一人暮らしだからね。ほら、あー」


 お粥と、新人の大好物の唐揚げを少し作った。


 料理上手と言うより、新人の好きそうないくつのメニューを練習しただけ。


「食べたら、少しでも眠気が出た?」

「ない、けど。がんばってねる」

「おやすみ」


 私はベッドで座って、新人の目を閉じた顔を見守った。

 静かな数分後、私は身を上げた。


「片づけをしようか」


 でも身を上げる途中、チュチュが何か弱い力で引かされた気がする。

 振り向いたら、それが新人の手だと分かった。


「どうしたの?」

「……いや。なんでも」


 何だか、今の光景を遠い昔、新人の後ろを引いた私と重なった。


「まだ眠れないの?」

「うん」


 私は新人に引きずられたチュチュをそのまま脱いで、ベッドに身を戻った。

 そして新人の頭を太ももに置いた。

 あんまり肉が付いていないけど、チュチュがないからそれなりに柔らかいはず。


「これでどう?」

「うん。あんしんできるにおい」

「何それ」

「まえまえからきづいた。まおう、とてもいいにおいがする」

「えー」

「なんだか、ようやく、しんけいがゆるんだ」


 この数日は何かがあったのか知らないが、多分そのせいで精神の方が崩れた。


 多分一時間後、新人の呼吸が安定した。

 私も少し寝ようか。


 そのまま私は膝を動かず、上半身を下して新人と違う方向で横になった。

 背が低いお陰でこれでもこのベッドで収まる。


 翌日、私が起きたらスーパーに材料を買って、朝ごはんを用意した。


「ごめん。うるさかった?」

「いえ」

「動ける?」

「多分……あっ、本当に動けるようになった」


 朝食を済ませた新人は、何というか……

 ずっとボーとしている。


「お昼はどう? 食欲がある?」

「あると思う」

「分かった」


 新人の大好物の唐揚げと、大好きな飲み物のリンゴジュースを作った。


「どう?」

「唐揚げで生き返た気がする」

「そんな、大袈裟よ」

「なあ、舞央」

「どうしたの?」

「俺、会社が潰された」


 新人の話によると、信頼していたパートナーが肝心な時点で予想外の裏切りをして。

 相手は凄い力を持つ人間で、反抗しても勝算がない。


「そもそも俺は人を信じ込んだせいで、証拠になるものもないな」


 あの日から新人が引きこもりになった。

 必要のある時はちゃんと喋る。体も動ける。

 でもそれ以外の時はずっとボーとして、木像だと勘違いされてもおかしくない。

 そんな新人に対して私は放っておけなくて、昔新人が私の所へ来たように、私が毎週様子を見に行くことになった。

 今日も、またスーパーで材料を買って、このアパートに来ちゃった。


「じゃ私は夕飯の準備をするから。新人はイナバちゃんの面倒を見てあげて」

「おー」


 イナバはあの大会の時新人から貰ったウサギのぬいぐるみ。

 別にそのぬいぐるみは手入れが必要ってわけじゃない。

 ただ新人がボーとして無反応な姿より、イナバちゃんの耳を弄ぶ光景を見た方が安心する。

 だからこうして、わざわざ毎回持ってくる。


「舞央。電話だぞ」

「ちょっと離れないから、スピーカーでお願い」

「もしもし、舞央?」


 またお母さんか。


「どうした? 今はちょっと忙しいから」

「もうすぐ家に帰るはずの日だが、やっぱり今月も帰らないの?」

「だから大会の準備で忙しいって」


 私はもう高等部二年生になった。

 特待生として、今年は五年ぶりの大会で賞を取らなければならない。

 だから今まで以上にバレエに専念している。


 ……はずだが、今の私は時間があると直ぐ新人のアパートに来ちゃうって自覚がある。


「分かった。大会、頑張ってね」


 電話を切って、私はまた唐揚げのことに集中した。


「たまに帰ってあげたら? もう何ヶ月帰ったことがなくて、母さんたちが心配するぞ」

「新人は他人のことを心配しなくてもいいから」


 星見学園に入ってから、私は月一回家に帰ることでした。

 でも新人がこんな状態になってから、私は毎週ここに通い、家の方に帰ったことがなくなった。


「で? 今週はどう? また何かあった?」


 食事をしながら、私は新人の近況を聞いた。


「またお見合いに行ったけど、相手に散々ディスされた。もう続きがないと思う」

「相手はどんな人? まさか、今回は続きがありたい人なの?」

「ん……仲良く一緒に居られる光景は想像できないな」

「どうせ、また会話すらしたくないタイプでしょう」


 最近新人はよくお母さんにお見合いに行かされる。

 結果は……まあこんなもんだけど。


「来週の分は冷蔵庫に置いてあるから。あとリンゴジュースも買ったよ」

「分かった」

「じゃまた来週」

「いや、来週なんだけど……たまに家に帰ったらどう?」

「ん……新人がそう言うなら」


 一周後、私は新人の言う通りに久々に親たちの所に帰った。


 もう知っているけど、こんな近距離で一緒に居ると、親が新人への態度が明らかに変わったと、改めて実感した。


 昔はよく新人のことで自慢した二人は、今は新人の話題になったら、「もう一回事業って、うちは何回そんなお金を支援させるつもりよ」「さっさと仕事を探せよ」「せっかく知り合いに頼んで仕事を見つけてあげたのに、やらないなんて」


 なによ。

 起業のお金も新人が採掘ビットコインだったのに。

 そして仕事って……あんな仕事、本気でA大卒業生にやらせるつもり?

 A大のことをどこかの専門校と一緒にしないでもらえる?


「もうこんな歳でまだ彼女が居ない。何度もお見合いをしても、向こうはニートが無理って。先週の子も……」

「その写真、貸して」


 お母さんから写真と一緒についている資料を目にした。


 見た目は……普通以下。少なくとも私の基準で。

 学歴……はっ? こんなものを「優秀」、「優秀」って紹介で何度も強調する?

 家柄も、庶民のうちよりど庶民じゃん。

 なのに、新人に対してその謎の優越感は何? 性格も最悪ね。


 私はそれ握って、ごみ箱に捨てた。


「ちょっと! 何をしているのよ? せっかくお母さんが人を頼んで女の子紹介してもらったのに!」

「じゃ今後はあの人が紹介する子は全部無視して」

「何を言っているのよ! せっかく人が好意で紹介してくれたのに……」


 好意?

 私は悪意しか感じなかったけど。

 新人のことを何だと思っているの?

 好意を持つ女の子が居ない男なのか?

 それは大間違いだよ。


 昔、新人は幼稚園の私を迎え、家に帰る途中、偶々制服姿の女の子に出くわすことがあった。

「ぐ、偶然ですね、渡来くん!」

「あぁ」

「今は暇? 暇でしたか、これから一緒にどこかで回りませんか?」

「悪いが……」

「あっ、妹さんを一緒に連れてもいいですよ?」


 当時の私はまだ理解できなかったけど、今思い出したら、あれはあからさまなアプローチだった。

 がり勉の新人は塩対応だったけど。


 そして当時接触してくれた色んな女の子はほぼ全員、見た目もこのお見合い相手より良いし、新人とは全然比べにならないけど、同じ進学クラスだったのでこんな女より全然頭が良い。


 更に、五年前に異国で初めて会った、自称先輩もとあるチャンピオンの顔を考えたら、私はもう我慢できない。


「こんなもん、もうやめよう」

「じゃ新人の結婚相手はどうする?」

「私が用意する」

「いや、あんたは無理でしょう」


 流石にお母さんも驚いた。


「仕事の方も。私が何とかするから、もう新人に圧力をかけないで」

「えっ?」

「まさか私じゃ無理だって言うつもり?」

「いや、だって、無理でしょう」

「はー。ご馳走様」


 私はため息を吐きながら、玄関に向かった。


「ちょっと、どこに行くつもり?」

「帰る」

「まだ家に帰ったばかりじゃないの?」

「さようなら」

「ったく。兄妹揃って反抗期かしら? 歳があんなに離れたなの……」


 私が後にしたお母さんがまだ何か言っているか、もう興味がない。


 帰ると言ったけど、私は星見市じゃなく、新人の所に向かった。


「どうしたの、こんな遅い時間に? それに今日は家に帰るんじゃなかったのか?」

「もう帰ったよ」

「だったらもっとゆっくりしてよ。今週は来なくてもいいって」


 私は新人が用意してくれたリンゴジュースを飲んだ。


「それ、何をしているの?」


 私は新人のパソコンを見て、それに気付いた。


「仕事探し」


 やっぱり。

 パソコンに映るのは求職サイトだから。


「俺もそろそろ仕事を探そうか。親もうるさいし」

「新人はそんなことしなくてもいい」

「いや、それは」

「ビットコイン一万枚を持つ新人なら、一生働かなくても贅沢な生活が過ごせるはず」

「あれはお前のものだろう」


 新人はそれが私のものだってずっと主張しているけど、パスワードも私じゃなく新人の方が覚えているのに。


「じゃ今から売って新人の再起業の資金にして」

「だから、あれは俺じゃなくてお前のお金だって」

「私のだから、どう使うのも私の自由でしょう」

「いや、それに起業はもういいよ。俺じゃ多分向いていない。やっぱりちゃんと仕事を探して……」

「それもいいけど、それ、もう少し後にしてくれるかな?」


 直球が失敗して、私は方向を変えた。


「もうすぐ私が大会に出る時期だから、前みたいにまた新人が一緒に来てくれてほしいの。仕事のことはその後でいい?」

「まあ、いいんじゃない? 社畜はいつでもなれるし」


 そして新人にとって良い気分転換になりそう。


「っていうか今から帰らないと不味いんじゃない? もうすぐ電車がなくなるから、俺が送ってあげるよ」

「もうなくなったよ」

「えっ? いや、今はまだ間に合うはず……」

「新人はあんまり外に出ないから、こんな変化も知らないよね」


 まあ、実は新人の言った通り、まだ電車があるけど。


「そういうわけで、今夜泊めるから、シャワーを貸して」

「じゃ舞央がここで、俺が外で泊まる……」

「それはやめて。今の新人の状態じゃ、私もついていくしかない気がする」

「……分かった」


 こうして、私は三回目の新人と一緒に寝ることを達成した。


「新人」

「どうした?」

「昔言ったよね。新人が目指しているのは、そんなに働かなくてもお金が一杯があることだって」

「そうだな」

「そして私にいつか上流世界の男と結婚させたいって。今もそう思っているの?」

「思っているよ。お前にとっては一番理想な道だから」

「じゃ、私が上流世界の男と結婚して、旦那様からお金をもらって新人を援助すれば、私も新人も理想な生活を送るんだね」

「そんな簡単なことじゃけど」

「確かに。じゃダメだったら愛人を目指そうか」

「お前……」


 普通ならちょっとおかしい考えでしょう。

 でに今の私は割といい案だと思う。


「でも、私だけじゃなくて、新人も、上流世界の女の子と結婚する手もあるよね」

「ん……」

「もしかして相手に養われるのは嫌?」

「それはないけど」


 新人の結婚相手探し。

 お母さんは女の子なら誰でもいいみたいな態度だけど、私はきちんと新人を幸せにせる女の子しか許さない。

 そうなると、できれば家柄が良くて、新人を養ってあげられそうな人物がいい。


 でもその前に、相手が新人の好きなタイプじゃないと、新人も結婚後の生活を本心で楽しむことができないでしょう。


「新人はどんな女の子が好き?」

「どうしたのいきなり」

「いいから答えて」

「ん……どうだろう」


 本当に知らないのか、あるいは恥ずかしくて私に言えないのか。

 どのみち、その答えは私で探すしかないみたい。

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