第15話 悪魔との決闘はノーパンで ②

「でも皆様のご存知の通り、舞台に上がる前に色々と準備が必要でありんすので、少しだけ待ってください。では人間のお嬢さん? どれくらいの時間が欲しいでありんす? 十分? 半時間?」


 十分って、全然足りないだろう。

 普通なら。

 でも舞央にとっては、


「いいえ。五分だけでいい」

「いいのでありんすか?」

「もう充分だ。新人? 今日も手伝ってくれない?」

「舞央の方がずっと上手いなのに」

「新人の方がいいの」


 鏡がない。他の手伝う人もいない。舞央はそのまま、慣れた手つきで髪を結い上げることを始めた。

 その同時に、俺は片膝を地面に突いて、その水晶の靴を脱いだ。

 そして荷物からトウシューズを取り出して、舞央の足につけ、リボンを結んだ。


 バレリーナにとって、足は一番大事なものだ。

 顔よりも大事だと言われる。

 そしてその一番大切な足を包む靴の重要性も。

 もうバレエを象徴するものだって言っても過言ではない。


 舞央は結構小さい頃からもうトウシューズを履き始めた。

 履き方がちょっと複雑で、最初は俺がやってあげた。


 でも時間が経つと、舞央は俺より靴のリボンを綺麗に結んだ。

 それでも、舞央が大会や重要な出演に出る時、必ずこうして俺に靴を履かせる。


「今回は……最初から全力的にした方がいいね」

「俺もそう思う」

「具体的には?」

「そうね……普段と逆に、黒から白でどう?」

「確かに。それと中盤で脱ぐと考えたら……うん。そうしよう」


 やっぱり脱ぐつもりか。


 策略を決めて、靴と髪の整理も終わって、


「じゃ、行ってきます」

「舞央」


 俺は親指を上げた。


「この世界にも見せてあげよう。舞央の魅力を」

「はい!」


 こうして、舞央は舞台に上がった。


「ただのガキじゃん」「胸が全然ねー」「女の魅力(草)」「まだ女になっていねーじゃん」「十年後でまた挑戦して来いよ」……


 リリスの頃と正反対、審査員観衆達は明らかに失望な声ばかりだ。


「ひでー。こんなの、嬢ちゃんが耐えられるの?」

「大丈夫。これくらい」


 あの頃審査員たちの善意が溢れた残念そうな視線と比べたら、こんなの全然威力がない。


 舞央は観衆の反応を無視し、舞央は片足の爪先で立って、始まりのポーズをした。

 純白の恰好で、雰囲気もリリスと真逆だ。

 前のあれが誘惑の悪魔と言うなら、これが純粋な天使であろう。


 そして中断もなく、回り始めた。

 一回。二回。三回……

 そのまま移動せず、三十二回した。


 最初騒いだ観客たちもそのスカートが一緒に回る純白の姿に目を奪われて、十回になった頃からもう完全に静かになった。


 でもそれはただの始まりに過ぎない。

 舞央はそのまま自身が回り続きながら、移動することを始めて、舞台を一周回ることを始めた。

 音楽があればそのリズムを踏む所だが、それがない今舞央は記憶の中に段々加速しているリズムを踏んで、動きも人体の限界を超えるように速くなっている。


「おい。これ、何回回るつもり? もう七十を超えたぞ」


 フレイドマルはそっと俺に聞いた。

 その答えは、


「108」

「はっ? 一気に百回以上? 途中で倒れたら、もしくはそのまま舞台にげろを吐いたら不味いぞ?」

「げろか」


 昔のことを思い出した。


「確かに何度もしたな」

「おい」

「それで今の舞央になった」


 舞央のバレエ先生は世界最高賞と言われる、ゴールデンスワンを手に入れた有名なバレリーナだった。

 その先生は生徒がゴールデンスワンを手に入れることを目指して、自分の娘を含めて最後までたった二名の生徒が居た。


 では、どうやって世界最高賞が手に入れるんだろう。

 その先生が考えた結果、今までバレエ界の限界を超えればいい。


 例えば、『白鳥の湖』の黒鳥より多くの回数で一気に回る。

 例えば、『くるみ割り人形』のあのリズム感を更に上回る。

 例えば、『白鳥の湖』の白鳥の美感をパートナーなしでより上手く伝える。


 その結果は、世界中に舞央しか出来なかったこれ。


 初めて成功した挑戦は舞央が高等部に入ったばっかりの頃だった。

 それを俺に伝えた時、どうしてもスマホの向こうのげろ声が気になって、俺は商売相手との交渉をやめ、舞央の所に行った。

 あの日、舞央は翌日の朝まで眩暈が消えず、げろが続いた。


 その後も何度も何度も練習を繰り返して、一杯げろを吐いたが、最後はようやく全てを乗り越えて、国際大会で成果を披露した。

 あの日披露した内容は順序が今日と少し違うけど。

 今日は白鳥の部分を後にした。

 原因は最初からインパクトを求めること。それと、


「「「おお……」」」


 自身が百回以上回りながら舞台を一周回ることを終え、舞央はその場で脱いだ。

 今は純白のレオタードと白タイツ、それと薄い白長手袋の姿で、後半を始めた。


「なるほど。しっかり回らねえとスカートもふわふわしねえから、ここで脱ぐことにしたな」

「良く分かったな」


 専門のチュチュじゃないから、浮いているような状態を保たない。


「まあ。ワシも、この数日で嬢ちゃんのダンスをしっかり見ていたから、これくらい何となく分かるんだぞ」


 前半と違い、後半は激しいことがなく、そのまま柔らかく、身体の美学を表現するんだ。

 表現方法と方向がリリスと全く違うかもしれないけど。


 雰囲気的に、リリスの舞台は悪魔の楽園というなら、舞央のは天使の庭というべきか。

 観客たちはさっき悪魔に誘惑されて、血液が走って喜びを叫んでいたが、今は目の前の幻みたいなメルヘンを壊さないように、小心しょうしん翼翼よくよくと音を出さないように気をつける。

 そしてどこかの呟き。


「いいな」

「あしが綺麗」

「あたしもああなりたいな」


 主に女性の羨ましがる声だ。


 でも同時に、


「これもいいけど、やっぱり足りねえな」

「だな。やっぱりもう少し脱がねえと」


 みたいな呟きは主に男性観客から出た。


「この勝負はどう思う?」

「ワシなら、当然お嬢ちゃんに応援するって決まっているんだろう。昔のワシはともかく、今はあんなデカイ乳に興味がねーんだよ」


 流石はロリコンだと誤解されるフレイドマル。


「でもワシの個人の意志に関わらず、このまま負けちゃうぞ」

「そうなの?」

「だから言ったんだろう? 今回はノーパンまで脱がなぎゃ……」


 フレイドマルはポケットから一昨日の写真を持ち出した。


「今のこれ、ただワシの撮影会の頃と同じだろう?」

「お前、何でこんなものを持ち歩いているんだよ」

「他にもあるんだぞ。ほら」


 フレイドマルはもう一枚を見せてくれた。

 これ確か、最初の一枚の、純白の服と水晶の靴で身を包んでⅠ字バランスの恰好だった……


 まあいいか。

 こいつだから、変なことに使う心配がない。


「それより、ワシが言ったように、やっぱりパンツくらい脱がねーと……」


 そうか。

 たとえ限界を超えた動きを見せてあげても、美を想像以上に表現してあげても、鉄則みたいなルールを満たさないと承認されない。


 あの時の舞央も同じだった。

 バレエ界の限界を超えたけど、優勝する所か、他の意味のある賞も一つを取らなかった。


 別に審査員たちに文句があるわけではない。

 そいつら全員の視線は暖かかった。

 そこまで頑張った舞央に敬意を払った気がした。

 その中に舞央のバレエ先生も居た。

 慰めみたいなあの特例の小さな賞も、きっとみんなの善意だった。


 ただ舞央には決定的な、努力でどうしても越えられない壁があるんだ。


 体型は問題がないけど。脚や腕も。結構理想的だ。

 でも身長は足りない。足りなさすぎた。


 だからどれだけ成果を出しても、優勝にはなれない。

 それがバレエのルールだ。


 でも俺にとってはどうでもいい。

 舞央が優勝しても、しなくても、俺から見れば、世界一魅力的であることが変わらない。


 まあ、昔のことはここまで。

 幸い、今は昔と違うんだ。

 だって、


「元々穿いていないよ」

「はっ?」


 フレイドマルは理解できないみたいで、俺はもう一度言った。


「だから最初から穿いていないよ、パンツなんて。よく見ろ。お前の観察力なら分かるかずだ」


 目を細め、フレイドマルは舞台の上闘技場にいる舞央の姿をしっかり観察して、


「おい……マジかよ」


 また手の中の写真をよく見て、一つの結論に達したフレイドマル急に叫んだ。


「まさか嬢ちゃんって、いつでもノーパンなんて!」

「おい、声がでかい」

「おっ、すまねぇ」


 でも出した言葉は回収出来ない。


「えっ? まさかパンツを穿いていないって?」

「最初から?」

「日常的にノーパン?」

「これほど大胆な女なんて、初めてだぞ」


 観覧席は一気に騒いた。


「ノーパンか……でもこんなノーパンで、エロいと言うより、何だか神聖さが増えたな」

「パンツを脱いだら、あたしもそうなれるかな」


 複雑な表情をする女性魔族。


 どうやら反感を買わなくてよかった。


 反省したフレイドマルはまた小声で俺に聞いた。


「おい、どういうこと? 嬢ちゃんって、平然にこんなことができる人間なの?」

「いや。だって、ただノーパンくらいで、死ぬことがないだろう。俺だって穿いていないよ」

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