第5話 水(すい)輪(りん)

 俺が意識を失ったのは魔力欠のせいだ。

 ある意味でメランサの状況と似ている。むしろメランサの方がもっと深刻だ。

 でもメランサは総量が高いので、昔の魔力量に回復するのはとても時間がかかるけど、最低限の魔力はまだ持っている。

 俺の状況が違う。


「見てください。アラト様の髪はもうこのようになりましたわ」

「確かに」


 メランサが水魔法で作り上げた鏡に、俺のちょっと灰色になった髪が映る。


「人間はどんな時に髪が白くなると、アラト様は思います?」

「ん……何か深刻な病気の時。そうじゃなければ、歳を取った時」

「その通りですわ。つまり、ある意味で生命力が尽きた証ですわ」


 かなりやばいことだな。


「わたくしの結論ですが、アラト様がしたことは多分理論上で魔力が必要されませんけど、その奇跡みたいなことを引き起こす為に、かなり少ないですが少しだけの魔力が必要ですわ」

「そして俺は魔力を持たない身で、少しだけの魔力を消耗しても」

「はい。アラト様の場合、生命力そのものを使うようなことになりますわ」

「だから、今後新人の力は使用禁止!」

「いや、でもそうなると……」

「もう使えきれない程の魔石を手に入れたから、大丈夫!」


 確かに。

 俺が調子に乗った結果、今舞央が持っている小さな袋はもう中に赤い魔石が一杯だ。


「分かった」

「それと、アラトの力はできるだけ隠した方がいいって、メランサさんと相談した」

「わたくしも同意しますわ。これが誰かに知られたら狙われそうな力ですわ。そしてアラト様自身に戦う力がありませんから」

「確かに」


 誰かに攫われて、力を使うことを強要され死ぬ……

 そんな未来があり得る。


「そういうことですから、アラト様の眼鏡に少し魔法を掛けましたわ」

「魔法?」

「もう一度鏡を見てください。何か気付きましたか?」

「あっ。目が」


 紫になったはずの左目はまた黒に戻った。


「眼鏡の周りにも魔法の作用範囲ですから、眼鏡と目の間の隙からも、紫に見えませんわ」

「ありがとう。色々してくれて」

「いえいえ。わたくしがお二人にお願いしたのですから、これくらい当然ですわ」


 俺と舞央が考えた結果、魔王の座を目指すことを受け入れると決めた。

 単純に今の俺たちにとって一番いい選択だから。


「こうなると、やっぱり舞央がやるしかないな。次期魔王のこと」

「ええ? 新人の方がいいよ」

「ほら。この魔王軍って、結構実力主義じゃん? なのに俺は戦闘能力全然を持っていない。これじゃ受け入れるものが殆ど居ないんだろう?」

「ん……それもいいね」


 舞央はあっさりと受け入れた。


「じゃ新人は私が守るね」

「おお。頼りにしているよ」


 それからは予定通り……実は俺のせいで三日遅れだけど、俺たちは外に出て、メランサが舞央に魔法を教えることを始めた。


 メランサのお城から、南に川が見えて、東に海岸が見える。

 そして川の向こうは人間の国、アルフヘイム王国である。


「つまり、ここが国境線ってこと?」

「そうですわ」

「領主のメランサが前線に城を立てたって、流石だ」

「確かにそういう原因もありますが、もう少し魔王軍の中心部に入ったら殆ど砂漠ですから、この辺の土地は最も重要ですわね」


 こうしてメランサとの会話で、そしてメランサから貰った本で、俺はこの世界の情報を少しずつ手に入れる。

 例えば今日読んでいるのはこの、表紙に『ダイセイジョリリー』というタイトルが書いてある本だ。


 ちなみに、俺と舞央はこの世界の言葉が分かる原因は翻訳魔法じゃない。都合のいいチートでもない。

 この世界の言語は日本語そのものだからと、俺は最近ようやく確信した。

 でも文字は片仮名のみ。漢字がない世界なので、俺の名は「アラト」となり、舞央は「マオウ」になる。


「おお! これで本当に全ての属性の魔法が使えますわね……凄いですわ、マオウ様!」


 出した炎を氷で消して、今俺達に吹いてくる風を作り出した舞央に、メランサは褒め言葉を惜しみなく送っている。


「そんなに凄いものなのか?」

「そうですわよ! 火、風、土、水、雷、五つの属性の魔法の適性を全部持つなんて、今の魔王軍にもたった一人に過ぎませんわよ」

「いや、私に属性というものがないだけだから……」


 これは舞央の力だ。

 魔法と呼んでもいいが、その実質は原理の分かる物理現象を起こす。

 そして物理現象には属性がない。


 例えば、温度というものは、実は分子の運動の激しさ。その運動の激しさを変えれば、火をつけることや氷を作ることが可能だ。

 つまり、火の魔法と氷の魔法はマオウにとって同じ「属性」のものだと言える。


「もしかして、貴重な光属性と闇属性も!」

「えっと……それはどういう属性なの?」

「光属性なら、代表は治癒魔法ですわ。丁度アラト様の怪我に少し試してください」


 本を読む時に指が紙に割れた。

 大した怪我じゃないから、あんまり気にしていないけど。


「でも」

「大丈夫です、わたくしも居ますから、失敗しても何とかできますわ。こう見えてわたくし、一番得意な属性は光ですわ。何故かよく闇だと思われますけど」


 難しい顔をする舞央を励ましているメランサ。


「分かった。でも……その……治癒はどんな原理かあんまり想像できなくて……」

「えっと、それは……」


 メランサは魔法が得意だけど、その魔法に何の物理原理があるか全く分からない。


「じゃ細胞の生命活動を少し加速して見て」

「ええ? そんな適当に……」

「俺は大丈夫だから。もう少しメランサの腕を信じて」


 何があっても何とかしてくれるから。


「まあ……少しだけなら」


 舞央は少し治癒魔法を俺の指にかけた。


「どんな感じ?」

「少し良くなった気がする。メランサはどう思う?」


 俺は隣のメランサに聞いた。


「間違いなく効果があります。適性があると言えますが……」

「遠慮しなくてもいいよ」


 少し躊躇う様子のメランサを見て、舞央はもう結論に気付いた。


「そんなによくありませんわね、適性は。実践的に使うのはまだ難しそうです」

「やっぱりか」


 舞央はあっさりその評価を受けた。

 まあ、当然な結果だから。

 生命活動を加速しても、少し早く怪我が治るだけだ。直ぐ治るわけがない。


「それでも、もう十分凄いですわよ! かなり珍しい属性ですから、これでもう殆どの魔族より凄いですわ!」


 マオウに失望する様子が全然ないけど、メランサはまだ何かにフォローをしている。


「あっ、そういえばマオウ様、少し魔石の状況を確認させてください」

「はい」


 マオウは左手を伸ばし、赤い宝石が付いている指輪をメランサに見せた。


「殆ど消耗されていませんわね」


 当然だ。

 核燃料のエネルギー密度を舐めるな。


「そうだ! マオウ様、この魔石一枚の魔力を一気に使う程の必殺技を作りましょう!」

「ん……いいアイデアだと思うな。アラトはどんな技がいいと思う?」

「俺?」


 必殺技。必殺技……

 やっぱり強力なものがいい。

 そうなったらやっぱり火の魔法みたいなものが選ぶか……


「水素爆発はどうだ。ちょっと難しいけど」

「具体的には?」

「空気中の水気を少し集めて、電流や高温で水素と酸素に分解し、そのまま爆発させる」


 単純な火の魔法なら、燃える為の燃料と酸素が大量に必要されて、出力に制限がある。

 でもこうして必要な燃料と酸素を全て用意したら、その問題がなくなる。


「そして生成物の水を再び分解し、また一回の水素爆発をして」

「分かった! そんなことを短時間で無限に繰り返して、少しだけの量の水気があれば何度も爆発ができる……ね」


 舞央は少し唾を飲んだ。


「試してみる?」

「うん! ん……まずは」


 マオウは目をつぶって、脳内でシミュレーションを始めた。


「えっ? どういうことですか?」


 さっきの対話が全く理解できないメランサ。


「メランサに安全を頼む」

「えっと、具体的にどうすればいいですか?」

「このあと数百メートルの所に凄い爆発があると思えばいい」

「分かりました。じゃ土……水……ちょっと無理ですが、念の為に結界も……」


 メランサは真剣な顔で呟いている。


「もういいよ。今からいく?」

「メランサ、タイミングを頼む」


 タイミングは安全役のメランサに任せた。


「分かりました。じゃ三、二、一、ゼロ……」


 爆発で凄い音がした。


 俺達三人を守る為、メランサは土魔法で壁を作った。

 そしてその壁の内側に、また水魔法で氷の壁を作った。防御として、同時に温度を下げる手段として。

 更に光魔法で結界も張ったらしい。


 爆発の画面を見ながら、俺は計算した。


 原子爆弾の1グラムはイコール普通の爆薬の20トンで、有効範囲が半径二百メートルくらいはず。

 そしてこの穴の大きさを見ると……

 やっぱり核分裂の燃料と同じくらいのエネルギー密度だ。


 俺は白い袋から取り出した一枚の赤い魔石を見つめながら、そう考えた。


「……凄い、ですわ」


 メランサはさっきの光景で少し絶句した。


「そうかな? でも魔王軍ならこれくらい……」

「今の魔王軍にも、こんな全力一撃ができる者は殆ど居ませんわ」

「でも、私はこんな一撃で魔石を消耗したら直ぐ無力になるね」


 前の魔石が消えて、舞央は俺から新しいのを貰って、指輪に嵌めた。


「逆に考えたら、また新しい魔石を使ったら直ぐもう一撃ができますわ! 詠唱も要りませんから!」

「詠唱?」

「そうですわ。普通なら魔法を使う時に詠唱が必要で、大規模な魔法であれば詠唱もかなり時間が掛かることになりますわ。その結果、詠唱が終わる前にやられて、魔法自身も使いものになりませんわ」


 いや、でもさっきのメランサって、一瞬で少なくても三重の魔法を使ったんだろう。その割に何の詠唱も耳に入らなかった。

 これも、流石は魔王軍の幹部ってことか?


 まだ赤い瞳なのに。


「はあ……」

「ねえねえ、これ、何の技名ですか?」

「えっと……新人はどう思う?」

「そうだな……水素爆発の繰り返し……水素爆発のりん……略してすいりんってどう?」

「スイリン……いいですね! かっこよくて響きがいいですわ!」


 いや、どこがかっこいいか全く分からない。というかもう爆発じゃなく、ちょっと違う意味になりそう。中国語じゃ完全に水車の同義語だ。

 でもメランサはもうこの「水輪」、もしくは舞央の熱狂的なファンになって、それに関する全てを肯定する傾向が丸見えだ。


「スイリン……スイリン……すい……」


 そして急にメランサの唸りが中断した。


 彼女自身が地面に倒れたから。


「メランサさん! 大丈夫なの?」

「ええ。また少し魔力欠になっただけですから」

「前回みたいに? じゃ早く休まないと」

「大丈夫ですわ。私、吸血鬼ですから、回復力だけなら誰にも負けませんわ……ああ、やっぱり結界魔法はちょっと無理でしたか」


 メランサは少しずつ立ち上がった。


「どういうこと? もしかしてさっきの魔法で……」


 俺はメランサに聞いた。


「普通の魔法はもう楽勝のはずですが、結界魔法はかなり魔力を消耗するもので、どうやら今の私じゃダメみたいですわね」

「舞央。こいつを一緒に部屋まで運べ」

「分かった」

「ですから平気って……」


 でもメランサの抗議が無力すぎて、俺達は更に彼女を運ぶ決心を固めた。

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