第2話 初キスの日 ②

 この世に、子供の名前で会社を名付けるバカ親は本当にいるのか?

 少なくとも、宝石会社プレイの社員としては、それを信じざるを得ない。


 先代社長がなくなった後、娘は大株主になったが、会社の経営に口を出すことがない。

 でも最近何故かビットコインに興味を持って、客の支払い手段としてそれを加えると提案した。現社長もそれが悪くないと思って、直ぐ実行した。

 その結果、この店にビットコインが使えるようになった。

 実際にビットコインで買い物をする人が一度も現れたことがなかったけど。


 でも今日、ビットコインを使うお客様がようやく来る予定だと店長が言った。

 その客は三十歳くらいの男で、祈里お嬢様にとって大事な人って。


「いらっしやいませ」


 白肌で結構若い顔が現れた。高校生か大学の新入りに見える。

 普通ならここの商品があんまり買えない年齢だけど、この近くに貴族学園みたいなものがあるから、普通はここで通用しない。

 例えば約一年前、一人の男子生徒がここで一番高かった指輪を買った、という伝説もある。


「どんなものが欲しいですか?」

「そうだな。何かな……ネックレス……ピアス……」


 お客様は呟いている。


「いや。丁度十八歳だから、やっぱり指輪か」


 店員はそれを聞いてちょっと驚いた。

 十八歳って……

 確か、今日は会社のお嬢様、祈里の十八歳の誕生日のはずだ。

 もしかして……と、今朝店長の言葉を思い出した。


 目の前のお客様は聞いたよりちょっと若く見えるけど、外見が実際の年齢とズレることも珍しくない。つまり可能性は充分だ。


「指輪ですか? ではこちらへ」


 今日の指輪のエリアはいつも通り、金やプラチナで作った指輪と飾りの宝石の輝きは簡単に目を奪う。

 でも予定通り、いつもと違って、ここの商品が特別に厳選された。

 標準は「どれも祈里お嬢様に相応しい絶品」だった。


「これ、もう少し詳しく見せてくれない?」

「はい」


 お客様が興味を示した指輪はその中でも特別だった。

 確かあれが祈里お嬢様が考え上げたデザインで、会社がそれを実現したと聞いた。


「純ロジウム製か。珍しいな」

「はい。お客様はお目が高いですね」


 とある前米国大統領の結婚指輪はロジウム製だったけど、それ以外は殆ど見えない。


 ロジウムは貴金属の中でも一番高いものらしい。今は金より二十倍くらい高い。

 でもほぼ銀と同じ外見で、特に人の目を奪うことがない。

 その上、加工するのもちょっと難しくて、アクセサリーにすることがちょっと珍しい。

 精々メッキをするだけのはずだ。


「ここ。宝石は自分で選ぶってことか?」


 お客様は指したそこは、明らかに何の宝石を嵌める所だけど、今は不自然に空いている。


「その通りですが、それだけじゃありません。これはこの指輪の特殊なデザインです」


 店員は先日勉強したばかりのことを思い出しつつお客様に紹介している。


「この指輪は親しい人に贈ると想定されます。そして二人の関係が更に深まった時にまた美しい宝石を贈って、そこに嵌めます」

「うん……」


 お客様は少し考えた。


「じゃこれをください。あっ、ここはビットコインが使えると聞いたが……」


 やっぱりこれが店長が言ったあのお客様って、店員は今確信した。


 その後、この件は自然に店の話題になった。


「さっきのお客さんって、噂の例のお客さんだよね」「お嬢さんとどういう関係? やっぱり婚約者?」「婚約の時はロジウムの指輪。結婚式の時またダイヤを加えて。ロマンですね」「あの指輪は祈里お嬢さんが自ら考えたデザインだと聞いたよ」「そして向こうもそれを選んだって? きゃー」


 お客様の知らない、騒がしい店。


 ――――――――


「今夜うちで誕生日パーティをしますから、先生も来てくださいね。待っていますから」


「来ませんか?」じゃなく、「来てください」か。


 とりあえずお望み通り、近くにあるプレイの店に行った。

 この後は……家に帰ろうか。


 家に着いて、この慣れていないスーツを身に着けたまま、色んなことを考えている。

 この一年は家庭教師をやっていた。

 生徒は一名……いや、実際は二名だったと思う。

 給料を貰うことがないけど、舞央と一緒に住むことになって、ついでに勉強を見てあげた。


 舞央は三年生になった前にずっと真剣にバレエをやっていた。国際大会にも出たことがある。

 お陰でこの星見学園の特待生になって、費用は一切免除された。


 そのバレエの実績で一流の大学は簡単に入れるはずだが、この国のトップのA大に入るのはちょっと足りなかった。

 だから、A大の卒業生である俺に頼った。


 今日の舞央は確か……A大の結果を見に行って、その後少し学園に顔を出す予定だ。

 今はそろそろ帰る時間だ……と思ったら、我が家のドアが開いた。

 そこから食材を持っている制服姿の舞央が現れた。


「おかえり」


 その透き通る肌と繊細な足腰、一流のモデルであっても羨ましいだろう。

 昔ならその二つ結びは立つと地面に届く長さだったが、舞央が受験生になってから少し切って、今は脛の所で済む程度だ。


「ただいま……ってなんで新人がいるの?」

「なんでって……」

「今日は祈里ちゃんと一緒にいるって聞いたけど?」

「もう終わった」

「ん……やば、三増えた」


 舞央は食材を適当に置いて、白タイツに包まれた足を体重計にかけた。


 なるほど。

 これはちょっと機嫌が悪そうだ。


 三十キロ未満の舞央は普段なら三グラムが気にしないはずだから。


「今日はどう?」


 一緒のソファに座ってくれた舞央に聞いた。


「どうって。ただ部活の後輩と普通に別れた」


 星見学園に珍しいバレエ部という部活が存在する。

 でも一年前に先輩が学園から離た。そしてこのあと舞央も卒業したら、部員はその後輩しかいない状態になると聞いた。


「そして久しぶりに少し部活をしたら、また小学生だと思われた」

「だから怒った?」

「いいえ。今更とっくに慣れたから」


 こういうのは昔もあった。

 部活の時に制服を身につけていないから、学校に見学しに来た小学生かな? と聞かれた。

 でも時間が経つと段々知らされて、そんな勘違いがなくなったはずだが、多分舞央が受験生になってからこの一年はあんまりバレエの活動をしていなかった為、事情を知らない人間がまた現れたみたい。


「そもそもそんなことで私が怒る理由にならない」


 確かに。

 俺の知る限り、舞央は中学生や小学生だと勘違いされても嫌な顔をしない。


 じゃ何で不機嫌になるかな……


「A大は落ちた」


 舞央は報告した。


 なるほど。

 念願のA大に入れないことだ。

 でも、


「つまり祈里と一緒にB大に行くんだな」

「そう……だね」

「まあ、良かったじゃない」


 何故か知らないが、一番目の大学は二つがあるのは何かの定番らしい。英国のオックスフォード大学とケンブリッジ大学、中国の清華大学と北京大学みたいに、この国はA大とB大。

 B大に入ってA大に入れなかったのは、A大がB大より上の証拠じゃない。

 もう一回試したら結果が真逆になる可能性も十分だ。


 まあ、舞央はA大に執着する理由は昔本人から聞いたけど。


「ランキングも同じだし、わざわざ俺が卒業した大学に行っても何の意味がないよ。それより友たちと一緒の方が得だろう?」

「……新人のバカ」


 俺のことをバカと言う程機嫌が悪いか。


「それより、今夜は祈里が家で誕生日パーティをするぞ。行ってみれば?」

「今年は一緒じゃないって言ったでしょう。新人こそ、そろそろ行かないと遅れちゃうよ?」


 やっぱり舞央はパーティのことを知っている。


「じゃ俺も行かない」

「なんでよ」

「舞央のお祝い」

「何のお祝い? 大学に落ちたお祝い?」

「舞央の十八歳のお祝いだ」


 そう。

 舞央と祈里は誕生日が同じ日だから、友たちになってからずっと一緒にお祝いすることだった。

 でもどうやら今年は違うみたい。


「馬鹿なことを言わないで、さっさと行け。私も、そろそろ晩御飯を準備しないと」

「舞央はどうなる? まさか一人で寂しくて十八歳を迎えるつもり?」


 買った食材もその為だろう。


「なにそれ。今まで私の誕生日を一度もお祝いしたことがないくせに」


 うちは誕生日をお祝いする習慣がない。

 舞央も、友と誕生日をお祝いするけど、家族と一緒にお祝いしたことがない。


「じゃ今年派手にやろう。十八歳って特別だから」

「特別って、何が?」

「そうだな……十八禁でも止められなくなった?」

「はっ?」


 呆れた舞央の顔。


「あのね、新人。祈里ちゃんは何の為に新人を誘ったのか知っている?」

「……ああ。知っている」

「本当に?」

「本当」


 真剣に聞いてくれたから、真剣に答えた。


「じゃなんで? 祈里ちゃんで不満なの?」

「それはない」

「そうだね。親の方も同意済だし、本人も結構気があるし、多分新人が望むなら養ってあげるよ。それとあんな凄い家柄って、新人が願った逆玉じゃん!」


 分かる。

 向こうの好意だけじゃなく、舞央も色々としてくれたのも分かる。

 俺が拒んだのは、祈里の好意だけじゃない。

 舞央の努力も台無しにした。


 俺も、この一年の付き合いで、祈里がとてもいい子ってよく分かる。

 多分これから一生こんな良い子が俺にこんな好感度を持つことがないだろう。


「それとも祈里に何か不満か? 結構可愛くて新人の好きそうなタイプだと思っているけど、やっぱりもっと美人の方がいいって?」

「いや、結構俺のタイプだぞ」

「じゃなんで?」

「だってほら、あいつ、舞央と同じタイプだし、あいつを見ると時々舞央の姿が目の前に浮かんで……あっ」


 考えなしで、ちょっと不味いことを口に出した気がする。


 沈黙の間に、舞央が何を考えているか知りたくて、俺は舞央の目を見つめている。


「これ、祈里ちゃんへの誕生日プレゼント?」

「違うよ。舞央への」

「んー……」


 舞央はティーテーブルに置いた小さな箱を取ってそのまま開けた。

 それがプレイの店で買ったものだ。


「宝石がない。珍しいデザインね」

「その部分は未来の旦那様からもらえ」


 舞央はいずれ誰かの嫁になる。

 だから、俺が贈る指輪はこんな不完全なものだ。それ以上はダメだ。


 舞央は箱の中から一枚を取って、俺の手のひらに置いた。


「つけて」


 そして左手を伸びてくれた。


「いや、そんなの未来の旦那様にやらせてよ」

「今日は、わ、た、し、の、誕生日お祝いでしょう? はやく」


 あっ。そう言えば、人差し指に指輪をつけるのは単に独身という意味らしい。

 これならセーフのはず……


「違う」


 舞央は軽く左手を振って、人差し指を指輪から離して、薬指を指輪に向けた。


「ここでしょう」


 いや。そこはダメだろう。

 と言いたいが、何故か今の舞央は反抗が許されない気分だから、大人しく従った。


「じゃ今度はこっちだね。はい、手を貸して」

「はっ?」


 舞央は俺の左手を取った。キメの細かい肌の感触が伝わる。


「おい……」

「ん?」

「なんでもう一枚の指輪があるんだよ!」


 舞央は今もう一枚の指輪を俺の指につけようとしている。


「新人が買ったんでしょう?」

「えっ?」

「わざわざこのペアのデザインを選んだのも、こうする為でしょう?」


 つまり、一枚だけを買ったのは俺の思い込みで、実際はペアだった?


 片手を上げ、頭を少し上げた舞央は自分の指輪を確認しているようだ。

 俺も少し頭を下げて、付けられた指輪を見つめている。


 何だか凄い誕生日プレゼントを買った。

 まあいいか。舞央も機嫌が良くなって、結構喜びそうに見えるし。


「そう言えばこれ、私が祈里ちゃんと一緒に考えたデザインだね。まさか自分の指に付けたなんて」


 改めて、凄いことをしちゃった自覚が湧いた。


 その時、首に少しだけの重さを感じた。

 目の前には舞央の顔。そしてその細長い首。ラインがよく分かる鎖骨。更に下は制服の中に、この角度でかすかに見える白レオタード。

 その体からいい匂いが鼻を刺激する。


「おい。今日はどうかした?」

「新人が変なことを言うから」

「でも流石にこれは……」

「今日から十八禁でも止められないって、新人が言ったよね」


 そして唇に柔らかい感触が来た。


 我が妹よ。

 これ、何歳とは関係なく、都合のいい異世界しか許されないぞ。


 異世界に行きたい……なんて、馬鹿な考えが一瞬で閃いた。


 その時、部屋の床にファンタジー世界の魔法陣みたいなものが浮かんだ

 そこからの強い光で、本能で目を閉じた。


 その光が消えて俺は再び目を開けた時、周囲の景色が完全に変わった。

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