⑬塩味のホットレモン

 車内に、重苦しい空気が充満し始める。

 あたしの失言以降、絢さんは無言で只ひたすら運転だけをしている。

(・・・あたし、絢さんを怒らせちゃったかも・・・)

 ドクン、ドックン・・・ドクン・・・と、鼓動が不正に打つ。

 あたしは唇を噛み、半泣きになりそうなのをグッと堪えていた。

「もうちょいしたら、サービスエリアだから」

 不意に話し掛けられて、ビクッとした。そして、声を掛けられた事に少しホッとしたものの、(サービスエリア?)と、あたしは耳慣れない単語に頭をフル回転させる。すると、突然緑色の大きな看板が見えて来て、真っ直ぐ走っていた車は緩くカーブしながら左の道に入って行った。そこで、やっとそれが『休憩所』だと理解した。

「・・・紅美ちゃん、寝てる?」

「ぇ?」

「あっ、起きてたんだ」

 絢さんは軽く笑ってから、「何か飲み物、買ってく?」と続けた。

「あ、はいっ!」

 絢さんが怒ってない事が解かって、急に元気になる。

 車は、お店に近い所に停められた。


 お店の入り口フロアに、ジュースや煙草の自販機がいくつか並んでいた。

 あたしは、ジュースの自販機の前でバッグを開き財布を出した。すると、「俺が出すから」と隣で声がした。見上げると、優しい表情かおをした中村倫也と目が合った。

 ずっきゅーーーーーん♡


 絢さんはブラックコーヒー、あたしはホットレモンを手に車に戻った。

 あらためて見ると、シルバー色の外車はピカピカに磨き上げられていて、太陽の光を反射してとても綺麗だった。

「素敵な車ですね」

 乗り込んでから、あたしは本心からそう言った。

 すると、絢さんは「ポルシェだよ?知らない?」と、あたしを覗き込んできた。

「ポ、ポ・・・ポルシェぇぇぇえええええ?!」

『おそ松くんの"しぇーーーっ"』みたいな言い方になって、とても恥ずかしかった。

「あっはっは~!やっぱ、紅美ちゃん、おもしれぇや!」

(絢さんが楽しんでくれてるなら・・・ま、いっか!)

 あたしは、持っていたペットボトルの蓋を回した。


 発進させたカーオーディオから『いとしのエリー』が流れ始めた。

「元カノ、エリって名前でね」

 急にそんな話題をしてきたので、あたしの心臓は再び波打った。

「・・・はぃ?」

「この曲聴く度、思い出すんだよね・・・エリの事」

(何でこんな話、するんだろ・・・)と思ったが、「まだ・・・好きなんですか?」と、単刀直入に訊いてみた。普通に、知りたかった。

「どうなのかなぁー・・・」

 否定してくれなかった絢さんに気分を害したあたしは、思いっ切り右を向いて、流れる窓の景色を見ながらホットレモンを一口飲んだ。何故だか少ししょっぱかった。

「もうね・・・この世にいないんだ、エリ」

「えっ?!」

 あたしは今度は思いっ切り首を左に捻った。

 真っ直ぐ前を向いたままの絢さんの横顔を、あたしは凝視する。

「だから・・・好きとか嫌いとか、そういうんじゃないんだよね」

「・・・」

 何と返せば良いのか解からず、あたしは絢さんをみつめたまま次の台詞を待った。

「だけど、もう忘れなきゃなって・・・この曲聴いても、平気でいられる様にならなきゃなって・・・」

 そう言って、絢さんは唇をきゅっと結んだ。

「・・・忘れなくても、いいんじゃないですか?」

(あたし、何言ってんだろ・・・)と思うのに、言葉が勝手に口を衝いて出る。

「忘れちゃったりしたら・・・天国のエリさんが可哀相過ぎます」

「優しいんだね、紅美ちゃん」

 絢さんが、一瞬だけあたしを見た。

「ャ・・・あたしだったら、忘れて欲しくないから」

 あたしはこのタイミングで、絢さんからフロントガラスに視線を移した。

「・・・そっか」


 高速を下りてからすぐの所に、海はあった。

 浜辺に下りる階段の手前に数台分の駐車スペースがあり、絢さんはその一番端っこに駐車した。ここからでも海は眺められた。そのあおを眺めていたら、幾分か気分が上がってくるから、不思議だ。

「下りる?」

「はいっ!」

「あっ、そうだ」

「はぃ?」

「今から、新しいルール!」

「え?」

「敬語禁止令ね?」

 そう言うと絢さんは、左の口角を少しだけ上げた。

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