⑧ショートメール

「ただいまぁ~」

「あら、早かったのね」

 帰宅すると、リビングでテレビを観ていた母にそう言われた。

「え?」

「あれ?・・・飲み会じゃなかったの?今日」

 言いながら、母は視線をテレビからあたしに移す。

「あぁ・・・うん、そうだよ?二次会には行かなかったから」

「珍しい」

 母はそう言うと、テレビに向き直る。画面には、刑事が犯人を追いかけているシーンが映し出されていた。

 あたしはキッチンで手を洗い、冷蔵庫から麦茶を取り出しグラスに注ぎ、それを持って二階の自室へと移動した。


 部屋に入り、とりあえずグラスとバッグをテーブルに置いた。

 それから、部屋着に着替え、指定席の座椅子に腰掛けたあたしは、バッグからおむすび二個とチョコレートと財布を取り出した。

 梅むすびのセロファンを➀②③の順に綺麗に剥がし、おもむろにそれにかぶり付く。梅干し迄到達したところで一旦あたしはそれを拡げたティッシュの上に置いた。

 そして、お気に入りの花柄の財布の中からレシートを取り出した。

(確か、レシートには名前が印字されてる筈)

 あたしはドキドキしながらレシートの上で目を泳がせる。

『担当 : 一ノ瀬 絢』

(あった!・・・イチノセジュン、かぁ~)

 あたしはニヤけながらレシートをテーブルの上に置くと、次にティッシュの上のおむすびに手を伸ばし一気に食べた。

 その後、バッグの内ポケットの中に押し込んだメモ用紙を取り出し、右手の小指の側面を遣ってテーブルの上でその皺を伸ばし、そこに記された11桁の数字をまじまじと見た。走り書きされたその字は汚かったけれど、それさえも『可愛い』と思えてしまえるから、不思議だ。

(うっふっふ♡)

 麦茶を飲みながらも、ニヤけが止まらない。

『とりあえず、連絡しろよっ!じゃあなっ!』という絢さんの高くて少しハスキーな声を、頭の中で再生する。

(とりあえず、ショートメール・・・だよね?)

 あたしはバッグからケータイを取り出し、絢さんのケータイ番号を登録する。名前の欄には『絢さん』と入力した。そして、新規作成画面を開いた。

(えーっと・・・先ずは、名前だよね・・・んで、挨拶?・・・)


『紅美です。

 こんばんは』


 そこで、手がストップしてしまった。

(『こんばんは』?・・・今、バイト中だよね?・・・じゃあ、読むのは朝?・・・あ、休憩があるか~・・・じゃあ、『こんばんは』?)

 頭の中がパニクってきた。

(そうだ・・・挨拶、消そっ)


『紅美です。』


 今度は、そこでストップしてしまう。

(え~~~何打てばいいの~~?!)

 ケータイ画面や、テーブルに置かれたレシートやメモ用紙を代わる代わるに見比べながら、暫く考える。

 とれくらい格闘しただろうか・・・(もう、これしかない!)


『紅美です。

 連絡しろって言われたから、とりあえず連絡しました。』


(ツンデレかっ!)

 自分にツッコミを入れつつ、あたしは意を決してその文面で送信した。

(絢さん、どう思うかな?・・・可愛い気の無いヤツって思うだろうな・・・)

 あたしはケータイをテーブルに置いて、昆布むすびに手を伸ばした・・・その時。

 ブーブーブー。

 ケータイがテーブルの上で小刻みに震えながら振動音を立てた。

(えっ?)

 画面を覗くと、『絢さん』と表示されていた。

「えっ?!」

 思わず声が漏れ出てしまった。

 あたしはおむすびをテーブルに戻し、慌ててケータイを手に取った。


『素直でよろしい』


「ぷっ」

 あたしはベッドに移動してから、速攻で返事をした。


『バイトは?』

『休憩中』

『お疲れ様』

『おう』

『バイト、何時まで?」


 返信は、ここで途切れてしまった。

 けれど。

 こんな短文なのに、ドキドキが止まらない。

 こんな意味の無いやりとりなのに、ニヤニヤが止まらない。

 あたしは、ケータイを抱き締めながら眠りに就いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る