第一六話 「アルコル博士の思い出」に関する一考察②

「キリーロフは一度ロシアに帰国したのち、第二次大戦直前にオハイオ州クリーヴランドに移住し、外食業で一財を成しました。一九九〇年の九十八歳の誕生日記念に、彼は『自叙伝』を執筆し、親族など経営関係者に贈ったそうです」

「よくそんな本が見つかったわね」

「これは本当に運が良かっただけです。インターネットで彼の会社を探し出せたのですから。図書館に所蔵される書籍でもなさそうですし。……この『自叙伝』には、彼が博士たちより一か月以上早く人民戦線に加わり、一九三七年一月末には脚の怪我で野戦病院に搬送され、二月四日に出国した経過が記されています」

「二月四日……という事は、ちょうど「提言」が郵送されてから、アルコル博士が亡くなるまでの間に、彼はスペインを離れたわけね」

「はい。そこで私はクリーヴランドの遺族に連絡を取り、彼の語学力について尋ね、気になる証言を得ました。彼はドイツ語はおろか、英語にも相当苦労したらしいのです。それは『自叙伝』の記述からも窺えます」

 ペレウスは『自叙伝』のコピーを手渡した。エレナにもそこに記された「高名な教授」がアルコル博士を指すと理解できた。


   私があの高名な教授の親子と知り合ったのは、セビーリャ方面に繋がる経路開

  拓のための偵察に失敗し、再びバルセロナに戻って来た日だった。二人は大変物

  静かだが、親子で従軍した故に目立っていた。そして私はキャンプ周辺に居た唯

  一のロシア人として、自然(じねん)教授の目に留まったらしい。

   教授はドイツの歴史学者で、ソビエトの情勢に強い関心を抱いており、重要な

  論文を書くために、私に何度か革命後のロシアについて尋ねた。だが私は故郷の

  事情しか知らないし、簡単な英会話にも行き詰るので、なかなか教授が満足する

  答えを返せなかった。

   息子Oはいつも影の様に父親に付き添っていた。若いのに長老スターレツ 

  のような瞳を持つ青年で、何度か作業と飯を共にした時、私は彼が極めて流暢な

  ロシア語を話すのに驚かされた。―――実を言うと、私はそれまでまともに長老

  の姿を見る機会が無かった。にも拘らず、彼を長老に例えたのは、ただ彼らがど

  んな人物かを漠然と知っていて、それがOを形容する言葉として相応しいと感じ

  たからだ。そしてこの譬喩こそ、あの戦場が私に齎した内面的変化の象徴と言え

  よう。

   そう、バルセロナでの経験が、未熟な反スターリン主義者だった私に与えた変

  化とは、「神」に対する考え方だった。それは必ずしも正教会やカトリックなど

  の教義に位置づけられた神を意味しない。ここで私の言う「神」とは、 

   

  便

   従軍を決めた当初の私にとって、それは社会主義革命が齎す未来だった。(当

  然当時はそれを「神」とは表現しなかったが。)しかし私は、生命と信条を巡る

  尊厳の抉り合いに身を投じる内に、そういう「神」をよすがとする各人の執念に

  は、明らかな優劣や区別など存在しないと考えるようになった。にも拘らず、斯

  様な執念の対立は、時に人間の尊厳すらも無下に扱う「資格」を人々に与えるの

  だ。

   ……Oの話に戻ろう。ある日彼は私にアメリカ人Tを紹介した。Tはクリーヴ

  ランド出身の留学生で、彼の深遠な思索には理解不能な点も多かったが、総じて

  道義的理由からフランコへの抵抗を決めた人物に見えた。共にした時間こそ少な

  かったけれども、私は彼に対し、拙い英語で友好的な態度を示した。Tは自ら私

  に話しかけ、私の話し終わりを待つような、やや呑気が過ぎる優しさを備えてい

  たからだ。

   そしてTは、間もなく私の人生で最も重要な人物となる。私は帰郷してからと

  いうもの、今度は日夜粛清の脅威に怯える羽目になった。更に「神」への逃れ難

  い思索は、私と嘗て私を育んだ環境との間に埋め難い溝を作ってしまった。とに

  かく私が最早あの土地に留まれないと理解した時、アメリカへの亡命を助けてく

  れた人物こそTだったのだ。(中略)

   ……この街において、バルセロナでの経験を辿り、誰かに伝える機会は殆ど無

  かった。しかし数年前、私は細やかな縁故を得て、あの教授が私の出国直後に死

  去していた事を知った。しかし息子Oは消息不明らしい。Tなら何か知っている

  かと思ったが、当時英語で親し気に会話していたOとTの関係も、実際には私の

  場合と然程変わらなかったようだ。思えば私は彼について殆ど無知だった。だが

  私はOがあの聡明な瞳で私の仄暗い未来を予見して、私を生かすためにTと引き

  合わせてくれたのだと今でも信じている。Oはそういう「運命」を感じさせる男

  だった。


 エレナはかなり時間をかけて読み終えた。

「……もしキリーロフがドイツ語話者なら、博士と英語でやりとりなどしない。つまり彼は遺族の証言通り、英語もドイツ語も不得手で、翻訳できるはずないって事ね」

「ええ。彼は確かに博士親子と交流があったけれど、「提言」を翻訳してはいません」

「じゃあどうして「提言」の差出人に彼の名前が書かれていたの?」

「分かりません。問題は他にもあります。その『細やかな縁故』が、ズヴェスダさんのインタビューを指している場合、恐らくズヴェスダさんもキリーロフが翻訳者でないと理解したはずです。なのに「思い出」は恰も彼が翻訳したかのような書き方をしている。恐らくは―――」

エレナがピクリと眉を動かしたので、ペレウスは慌てて付け加えた。

「もちろん単なる個人的推測に過ぎません。決して彼が嘘を書いたと言うつもりではなくて……」

「何も思ってないわ。どうぞ続けて?」

「……。私は職業柄、過去に関する記述を読む機会が多いのですが、そこでは記された事柄の正誤以上に、筆者がそう記した意図が重要だと思っています。オステルマンの手記とキリーロフの『自叙伝』を参照した上で、ズヴェスダさんの執筆意図を考えると、二月二日の文言以外にも、「思い出」には奇妙な点が目立ちます。例えば彼は息子Oに全く言及していません」

「確かにそうね」

「当初私はその理由を、キリーロフとOとの間に特別交流が無かったからだと考えました。ですが『自叙伝』を読む限り、キリーロフの人生に決定的影響を与えたのは寧ろOです。確かに息子は博士本人ではありませんが、博士の言行を記述する際に一言も触れないのは、流石に不自然だと思いませんか?」

「私もそう思う。何よりOは博士の最期を共に過ごした唯一の家族ですし」

「『一九三七年二月二日、「提言」の翻訳を終え、封緘し、国際郵便を担当する部局へ運ぶ』……この主語がキリーロフだと思ったのは、これが彼の述懐に基づく記事だからです。でも『自叙伝』によれば、彼は語学が不得手で、かつキャンプの周囲にロシア人は殆ど居なかった。だけどロシア語を流暢に操る人は居ました」

「Oね……」

「はい。あくまでオステルマンの手記と『自叙伝』に基づく推測ですが、「提言」の翻訳者が息子Oの可能性は、決して低くないと考えています」

 エレナは腕組みをして考え込んだ。

「じゃあ猶更、ズヴェスダさんが息子の記述を避けたように見えるのは奇妙だわ。貴方が言った通り、キリーロフに話を聴いたならば、彼も息子が訳者の可能性を疑っておかしくないのに」

「同感です。「思い出」は「提言」の実在に言及した貴重な資料ですが、その執筆経緯にはまだ多くの秘密が隠されている気がします。だから当時を知るエレナさんにお尋ねしたいのです。ズヴェスダさんとキリーロフの交流を示す証拠があれば一番ですが、彼がスペイン内戦について調べた痕跡とか、何でもいいので、思い当たる事がないでしょうか」

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