第四話 曄蔚文博士と「提唱」
「提唱」を主筆した曄蔚文博士は、今や母国を代表する政治史研究者の一人と称されている。彼の研究を貫徹する課題を端的に表現すれば、異なる背景を持つ人間が、何をもって一つの集団として成立し得るのかと言えるだろう。その命題に対し、若き日の曄蔚文が到達した結論が「共有」だった。彼の考えは「提唱」の内容とも関連するため、以下で簡単に説明したい。
一般的に、曄蔚文の研究動機は、国家の内部分裂に対する危機感と看做されている。例えば、先述の命題に関連する事例として、彼は嘗て二度の国共合作を挙げた事がある。国共合作とは、中国国内で内戦状態にあった国民党と共産党が、共通の敵に対抗するため、一時的に協力方針を取った出来事を指す。異なる利害関係を持つ人間集団同士が、敵の共有によって一時的に連携を成し、その後再び分裂した事件は、彼に集団と共有について考えさせる上で、大きな手掛かりとなった。
曄蔚文が最も重視したのは、何を共有すべきかという点である。例えば、持続的な連携を築きたいなら、敵の様な不確定要素は共有対象として不適切だ。それは文化・言語・宗教・思想・歴史のように、当事者自身に付随する対象ならある程度解消されるが、宗教や思想のように排他性・分裂性の強い対象が、却って次々と新しい集団対立を生むのは歴史が証明している。また言語はそれ自体に優劣が存在せず、誰もが備え得る共有対象だが、それを根拠に強固な同一性が成立した例を彼は知らない。
つまるところ、曄蔚文の考える理想的な共有対象とは、主観的・客観的に明白で、尚且つ過剰な利害関係を持たず、誰にでも該当し得る許容性を持つ概念だと言える。そして彼が到達したのは、後に自分の専門となる「歴史」の共有だった。
例えば、国家が制定する歴史教育は、国民を同じ歴史的文脈の中に共存させて、国家への帰属を認識させる。そして「同じ過去を持つ人々」という自己認識は、当事者同士においては主観的だが、同時に一般的常識として通用する客観性も持つ。そういう共有対象を用意できれば、アヘン戦争以来、分裂と分断を繰り返したこの国が、弾圧や内乱を避けつつ、「中国」としての同一性を獲得できる、それが彼の基本的な考えだった。
尤もこれは一九五、六〇年代当時の中国情勢を鑑みれば、所詮机上の空論と断じられるべき発想だろう。だが清末の高官として王朝再建を模索し続けた祖父と、没落後も先憂後楽の精神に殉じた父を持つ曄蔚文にとって、この発想は決して荒唐無稽な妄執ではなかった。
次に曄蔚文は、国内における同一性の確立を、国家間の緩やかな紐帯へと開展する点について考え始めた。それが「提唱」に記された委員会構想の端緒である。つまり異なる国や地域を同じ歴史的文脈の中に位置づけ、皆が同じ過去を共にする同類であると認識し、齟齬の原因となる歴史問題を緩和する場を設ければ、一定のレベルで国際協調に寄与できるのではないか。曄蔚文らが一九六七年に「提唱」したのは、そのような理想主義ともいえる理念だった。
先述のとおり、「提唱」に呼応して具体的行動を起こした二国の内、早くから曄蔚文と関係を結び、組織策定に取り組んだのはギリシャだった。その動きは旧反体制派から生じた。彼らは軍事政権を打倒し、現代民主制を打ち立てた人々で、中には思想や言論に対する弾圧を経験した者も少なくない。だから彼らは自己や過去に対する言述が、多かれ少なかれ歪曲を免れ得ず、それは民主化の事績も例外ではないと理解していた。そんな人々が「提唱」を受容したのは、その仕組みが「自己や過去に関する言述の正統性を、共有によって互いに担保する」上で有効と考えたからだ。
こうして調査共有委員会は、ギリシャとスロベニアを中心に、ユーゴスラヴィア・スペイン・チュニジアなど地中海を取り巻く一部の国家、オーストリア・ハンガリー、そして中国などアジアの若干国を加えた十五の国と地域を原加盟国として発足した。
加盟国数は年々微増したが、依然地域間協力の域を出ない加盟規模に加え、旧ユーゴ圏やアジアを中心に、加盟実態の形骸化も問題視され始めていた。曄蔚文は委員会への支持を集めるため、名誉顧問としてアテネを拠点に遊説生活を送っていたが、一九八九年に息子夫婦が交通事故で他界すると、帰国して遺児を養育する事にした。
曄子仁は昨年からオクスフォードの国際開発研究科に留学している。普段は「フェイトン・イエ」という英名を用いるため、教授や特に親しい学生を除けば、祖父が曄蔚文とは知られていない。
曄子仁は九月から一年間休学して、調査共有委員会のインターンに参加する予定だ。五輪特需により、欧州各都市とアテネ間の交通利便性は格段に向上しているが、広域都市間交通を専門とする彼は、列車で移動する計画を立てた。まずウィーンに移動し、非シェンゲン圏のスロベニアに陸路で入国する。そして八月二七日にローマ経由の航空便でアテネに向かうつもりである。
曄子仁がスロベニアを主な目的地とした理由は、昨年ロンドンで会ったフィデリオ上級委員の言葉にある。モデラ委員長と祖父が別室で話し込む間、彼はリュブリャナで「提言」に関する零細な記述が発見されたと言った。「提言」は祖父ですら実在を確認できなかった幻の論文だ。もし十分に調べ上げられれば、少しは見直して貰えるかもしれない。
曄子仁は学内でスロベニア人留学生を探し、彼女の助けで記事の出典を突き止めた。この親切な留学生は、リュブリャナ市役所を通して雑誌の発行者と交渉し、面会の約束まで取り付けてくれた。
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