第102話 真のヒロイン



 ゴブリン皇子とオーク王子の二大モンスターから解放されたわたしは、もはや身軽だった。

 世界はわたしを祝福しているし、運命はわたしをエル様のもとへ導いている。

 なんていうか、生きているって素晴らしいって感じだ。


 そんな幸せな気分のまま、わたしはルナマリア様の両手を握り、笑顔でエールを送ることにした。


「ルナマリア様、これでオーク様の婚約者候補は事実上あなたお一人ですよ。どうか頑張って、オーク様のお心を捕まえてくださいませ!」

「ココレット様……」

「それに、先程エル様がゴブリンクス殿下とアボット嬢を連行されましたでしょう? あのお二人には他者の精神を操っているのではないかと疑いがかけられておりますの。……ルナマリア様のここ最近の不幸な出来事は、あの方たちが黒幕ではないか調べるそうです。

 良かったですわね、ルナマリア様。これで万事解決いたしますよ!」


 わたしが励ますように言えば、ルナマリア様の無表情が固まった。

 そして無表情のまま視線をぐらぐら揺らし、泣き出しそうな雰囲気になった。一体なぜ!?


 驚いてルナマリア様の表情の変化を観察していると、彼女は重い口を開く。


「……ゴブリンクス殿下ではありません」


 小さくか細い声で、彼女はとんでもないことを口にした。


「私に危害を加えようとしている黒幕の正体はーーー正妃マリージュエル様なのです……」


 あの、黒幕をご存知ならさっさと報告してくださいよルナマリア様ーーー!!

 報連相ーーー!!!


 報連相しないで状況を悪化させちゃう系正統派ヒロインがこんなにすぐ近くに居たことにようやく気が付いたわたしは、崩れ落ちそうになる膝を辛うじて耐えた。


 ……ミスティア様の悪役令嬢化に注目していたばかりに、抜かったわ……。





 緊急事態である。

 なにが緊急事態って、黒幕の正体が正妃様ならルナマリア様に暴行未遂を繰り返している実行犯イコール王家の影でほぼ確定なところである。

 わたしに取り憑いている守護霊シャドーも魔術か魔道具で姿を隠しているので、きっとルナマリア様に付いている影もその可能性が高い。

 姿が見えないなら、そりゃあ簡単に池に突き落としたり、ドレスを切りつけたり、鉢植えを三階から落下させたり、毒味済みの料理に毒を混入したりできちゃうわけである。

 一人で護衛騎士と互角に戦うのはチート過ぎてちょっとよく分からないんですけどね……。

 まぁとにかく、四六時中どこかに潜んでいる王家の影に狙われてるとか、つんでるんですけど。


 幸いにもルナマリア様の告発は小声だった上に、お茶会会場の賑やかさに紛れていて、王家の影にも聞き取れなかったかもしれない。傍にいるオーク様でさえ聞こえなかったようだもの。

 勿論『かもしれない』という希望的観測にすぎないけれど、すぐさまルナマリア様を攻撃してくる様子は周囲にはなかった。


 わたしはすぐさまルナマリア様とオーク様の手を取り、ミスティア様に声をかける。


「ミスティア様、わたしたちはこれからエル様にすぐさまご報告しなければならない大事な用事が出来てしまいましたわ。申し訳ありませんが中座させていただきます」

「あら、そうなの? 仕方がありませんわね。ラファエル殿下に忠義を尽くしてきなさいな」

「はい」


 青ざめた様子のルナマリア様と、事態が分かっていないオーク様をそのまま会場から連れ出す。

 オーク様は首をかしげながら、「俺がココを諦めるという話を兄君に伝えるのは、お茶会が終了してからでも良かったのではないか?」と話しかけてくる。


「いいえ。一刻を争うことですわ、オーク様」


 ここでオーク様に詳細を話すことは出来ないけれど、どうしても彼も連れて行かなければならない。

 オーク様が動けば彼の護衛であるヴィオレット様とサルバドル・インス君も動いてくれるからだ。王家の影相手では、わたしの護衛であるダグラスや、ルナマリア様の護衛騎士では戦力が足りないのだ。

 ちらりと後ろに視線を向ければ、侍女の格好をしたヴィオレット様がトコトコと付いてくる。もちろんサルバドル君も控えていた。

 このまま、わたしがオーク様の婚約者候補から事実上脱落したことをエル様にご報告に行く、という振りで王宮に乗り込んでしまおう。

 わたしは焦燥感を押し殺し、オーク様の馬車が停まっている馬車止めへと向かった。





 エル様はすでに離宮にいらっしゃった。ポルタニア皇国の件はすでに国王陛下に報告され、現在上層部で臨時会議を開くために準備中らしい。エル様の執務室ではドワーフィスター様とレイモンドや、宰相であるワグナー公爵たちが忙しそうに動き回っていた。

 ピアちゃんは騎士団の詰め所にある牢屋に、ゴブリンは腐ってるけど皇族なので王宮内にある特別牢に入れられ、これから事情聴取を待っているらしい。


 こんなときに別件を持ち込むのは申し訳ないのだけれど、ルナマリア様の安全確保のためには先延ばしにするわけにもいかない。


「お忙しいときに申し訳ありませんわ、エル様。どうしてもご報告したいことがありまして……」


 わたしの後ろでオーク様が「いや、ココ。やっぱり後にした方がいいのではないか? 兄君もお忙しいし」と止めようとしてくるが、振り切ることにする。

 エル様は書類から顔を上げると、わたしの目をじっと観察する。それから一つ頷いた。


「わかったよ、ココ。忙しいことは確かだけど、ポルタニア皇国の件は前もって準備してあったことだし。少しくらいワグナー宰相たちに任せても大丈夫だろう」

「ラファエル殿下……!」


 何気にお初にお目にかかるワグナー公爵が、慌てたような声をあげる。

 ワグナー公爵は高貴な礼服より作業服や金槌の方が似合うドワーフ顔で、つまりドワーフィスター様の二十年後といった感じの人だった。ちなみにワグナー公爵も例の眼鏡型魔道具を愛用していた。


「そろそろ陛下にも仕事をさせてください、ワグナー宰相」

「そんな、殿下! 陛下はワシの言うことなんか聞きゃあせんのですよ!」

「ドワーフィスター、レイモンド、しばらく席を外すから頼むよ」

「承りました、ラファエル殿下」

「はいっ、お任せくださいっ!」


 エル様を引き止めたいワグナー公爵を、ドワーフィスター様が「嘆いていないで手を動かしてください、父上」と机に押し付けている。

 申し訳ないな、という気持ちが再び湧きつつも、いや国王陛下仕事しろよという真っ当なツッコミでねじ伏せた。


 別室に移動すると、エル様は部屋に入った全員を見回して「報告だけにしては人数が多いね」と確信に満ちた声で呟く。


「ワグナー嬢主催のお茶会をこんなに大勢で抜け出して……、それも主役のはずのクライスト嬢まで居るとなると、よほど急を要することみたいだね、ココ?」

「お話しする前に、少々お時間をくださいませ、エル様。……ヴィオレット様、人払いをお願い致しますわ」

「あらぁ? まぁまぁ、うふふ。わたしをご指名ですのね、ココレット様?」


 侍女の振りをしていたヴィオレット様が、名指しされた途端、花開くように笑った。

 さすがにオーク様はヴィオレット様が護衛として混ざっていたことを知っていたらしいが、知らされていなかったルナマリア様は無表情のまま目だけ大きく見開いた。「どうしてヴィオレット様が……? 侍女服?」と首をかしげている。


「ではダグラスもお借りしますわよ、ココレット様。サリーは離宮の一階から調べてちょうだい。ルナマリア様の護衛騎士も外で警戒に当たらせますわ」


 説明しなくても王家の影案件だと察したヴィオレット様が、離宮の掃除を開始してくれる。

 これから話す内容を正妃様に漏らすわけにはいかない。とにかくシャドーと、ルナマリア様付きの影を追っ払わないと。


 とりあえずソファーに腰掛け、ヴィオレット様の駆除完了の合図が出るまでは待たなければならない。その間エル様に、オーク様がわたしを諦めるという報告だけしておいた。エル様は「やっとか」と頷いた。


「シャドーともう一人の影は追っ払いましたわぁ。しばらく離宮も安全でしょう」


 ヴィオレット様とサルバドル君とダグラスが戻り、ようやく本題に入る場が整った。

 わたしはルナマリア様に声をかける。


「ご自分でエル様にご報告出来ますね?」

「……はい」


 学園から直行したため、まだみんな白い制服を着用している。ルナマリア様は白いスカートの膝の辺りをぎゅっと握りしめると、口を開いた。


「ラファエル殿下、ここ最近私の身に起こりました不吉な事故や事件の黒幕について、ご報告させてください」


 ルナマリア様の前置きに、エル様もオーク様も驚いたように彼女を見つめた。


「すべての黒幕は、正妃マリージュエル様です」

「……証拠はあるのですか、クライスト嬢」

「物的証拠はありません。ですが、正妃様から以前から何度も脅迫を受けておりました」


 ルナマリア様は語る。長年に渡る正妃マリージュエル様からの脅迫の内容を。


 オーク様の婚約者候補を辞退し、エル様の正妃となるべく忠義を示すようにと、マリージュエル様から面会の度に言われてきたらしい。

 けれどルナマリア様は長年その脅迫に屈せずにここまできた。ただただオーク様をお慕いしていたから。

 もともとクライスト筆頭公爵家が持つ情報力を求めてのこと。クライスト家の力そのものを削ぐような真似はマリージュエル様もなさらなかったので、自分一人が耐えればどうにかなると考えていたらしい。


 だが事態はオーク様の入学によって変化していった。

 王宮の者の目がなくなった途端、マリージュエル様は暴力も辞さなくなったのだ。


「マリージュエル様がお望みなのは、私とラファエル殿下が婚姻するという事実のみです。……私の身になにがあろうと、我が家の力が手に入ればそれでよいのです。ココレット様がラファエル殿下の御子を産み、妃としての執務もまたココレット様が行えば、例え私が寝たきりの状態になったとしても国は回ると……マリージュエル様は仰っていました」


 ひえぇぇぇ……。


 そういえばシャドーもわたしのことをエル様の御子さえ生めればいい、みたいな話をしていたけれど、ルナマリア様の場合生きてさえいればいいみたいなレベルじゃん……?

 いや、いっそルナマリア様に消えない怪我を負わせて、オーク様には嫁げない体にしちゃうっていう最低な考えも含んでいるのかもしれない。


「……状況はわかりました。我が母上がクライスト嬢にしたことは謝って済むことではありませんが、謝罪いたします」

「いっ、いえっ、ラファエル殿下に謝っていただくなど畏れ多いことです。ラファエル殿下はなにも悪くないのですから……」

「クライスト嬢、ただ、なぜそれをもっと早く報告してくださらなかったのですか? 私は異変があれば報告するようにと貴方に言ったはずです。今回のことは怠慢と呼ばれても仕方がないですよ」

「……申し訳ありません、ラファエル殿下」


 ルナマリア様のアイスブルーの瞳に涙の膜が盛り上がる。


「こんなことを報告すれば……皆様にご心配をお掛けしてしまいますし……なにより、オークハルト殿下の婚約者候補から下ろされてしまったらと思うと怖くて報告できなかったのです……」


 よくあるヒロインの感情論が出てきてしまった。


 わたしも頭を抱えたくなったが、エル様も疲れたような表情を浮かべ、ヴィオレット様も「軍人だったらありえませんわぁ」と呆れた声を出していた。

 けれどオーク様だけは違った。感動したようにその極小な瞳に涙を溜め、ルナマリア様の両手を握りしめた。


「ルナ……。今までこんなにすぐ傍におったのに、ルナが悩んでいることに気が付いてやれず、すまなかった……。ルナはこんなに俺のことを想っていてくれたというのに」

「オークハルト殿下……」

「ルナを俺の婚約者候補から下ろすことなどない。ルナに悪い所など一つもあるものか!」


 報告しないところは悪いところですよ、オーク様。そこはちゃんと叱って欲しい。


「すべては正妃様が悪いのだ! これからは俺も共に戦おう、ルナ!」

「ありがとうございます、オークハルト殿下……!」


 正統派ヒーローとヒロインの熱い誓いが目の前で繰り広げられていたが、それを軌道修正したのはもちろんエル様だった。


「クライスト嬢、次からは報告を怠らないようにお願いします。……今までは王家の影も警告レベルの暴力でしたが、これからはもっと酷くなるでしょうから」

「えっ? なぜですか、エル様?」


 毒物混入とか暴漢とか、けっこう酷かったのにさらに酷くなるの?

 わたしが思わず尋ねると、エル様が困ったように微笑む。


「今までと状況が変わったからだよ、ココ。

 今まではオークハルトがココを本命としていたが、ようやく君を諦めることになった。オークハルトの残りの候補者はクライスト嬢とベルガ嬢だが、ベルガ嬢がオークハルトの護衛であることは対面する王家の影がよくわかっているだろう。つまり、現在オークハルトの婚約者にもっとも近いところにいるのはクライスト嬢なんだ」

「このままルナマリア様がオーク様の婚約者に決定することを、マリージュエル様が許すはずがないということですね……!」


 マリージュエル様的に、わたしがオーク様の婚約者になってもまだ許せるが(ブロッサム侯爵家に旨味がないから)、ルナマリア様の場合は絶対に許せないというわけか!


「あとは、オークハルトの暗殺計画もさらに激化するかもしれませんね……。オークハルトを暗殺してしまえば、クライスト嬢はオークハルトの婚約者になれませんから」

「オークハルト殿下の護衛に関してはぁ、わたしたちにお任せくださいませぇ、ラファエル殿下」


 ヴィオレット様が鮮やかに微笑む。


「これまでもオークハルト殿下の身はわたしたちがお守りしてきましたものぉ。側妃様とさらに計画を練り、護衛に当たりますわぁ。オークハルト殿下の身に正妃様の毒牙は決して触れさせません」

「それは頼もしいです。ベルガ嬢、よろしく頼みます」

「はぁい」


 ではやっぱりルナマリア様の護衛についてきちんと考えなくてはいけない。

 ダグラスをわたしの護衛から外してルナマリア様に付けるのが一番かしら?

 ああ、ヴィオレット様がたくさん分裂してくだされば、王家の影とも戦えるのにーーー。


 そんな馬鹿な空想をしていたとき、カタンッと部屋の隅で物音が鳴った。

 今部屋にいるメンバーはソファーセットに腰を掛けているか、その周囲で警護しているかのどちらかだ。いったい何の音だろうと視線をそちらに向けてみればーーー。


「やぁ、お嬢。皆でずいぶん楽しそうな話題をしているね。オレも混ぜて欲しいなぁ」


 病的に青白い肌、藍色の長髪、そしてトレードマークの左目の眼帯をつけたモンスター。

 王家の影であるシャドーが、この敵陣へ入り込んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る