第84話 膝枕(ラファエル視点)



「老朽化した橋の改築費用の申請書類か……。あの領地なら以前教会視察で訪れたことがあるな」


 離宮の執務室で私がぼそりと溢せば、執務の手伝いにやって来ていたレイモンドとドワーフィスターが顔を向けてくる。


「ああ、確かに行きましたね、殿下。レイ、老朽化した橋を覚えているだろう?」

「もちろんですっ、フィス様! 南の街道を進んだところにあった河川にありました。煉瓦造りの眼鏡橋です。建設は今から五十三年前、過去に二度補強工事が行われましたが、昨年の大雨の際に橋桁に修復不可能な亀裂が入りました。現在は仮の橋を掛けましたが、馬車は通れずほかの道へ迂回しなくてはならなくなり、物流が滞っています。そのため領地では商店の売り上げが三割も減っているとのことです。運搬費用が上がり、純利益が……そのため失業率が……」


 申請書類と共に渡された資料の内容よりも詳細な情報が、レイモンドの口からペラペラと飛び出してくる。さすが、一度見聞きしたものは決して忘れない絶対記憶だ。歴史書から気象情報、地方経済に関する新聞の内容まで網羅されたレイモンドの情報に、私は思わず感心する。


「では領地に専門家を派遣しよう。フォルト、この書類を王宮に届けてきてくれ」

「かしこまりました、エル様」


 現地調査が終わればすぐにでも陛下から予算の許可を頂けるだろう。

 私はフォルトが執務室から退室して行くのを見送った。


 夏期休暇に入ってから、陛下はこれ幸いとばかりに私の執務を増やして下さっている。たぶん当の本人は昼寝の時間でも増やしているのだろう。陛下はそういう御方だ。

 まぁこちらも学業がない分、気がねなくドワーフィスターとレイモンドを離宮に呼び寄せて作業を分担できる。以前教会視察と銘打ってあちらこちらの領地へ赴いたことが今になって役立っているし、ドワーフィスターが教育したレイモンドのおかげで調べものに時間を取られないということが大変有り難かった。


 その後も残りの執務を三人で進めていると、王宮からフォルトが戻ってくる。彼の傍にはココと護衛のダグラスが立っていた。


「……ココ?」


 今日はココと会う予定はなかったはず。

 夏期休暇に入ったことでココもまた妃教育の時間がみっちりと増え、そうでない日は一日中お茶会という過密スケジュールだったはずだ。

 それでも忙しい合間に顔を見せに来てくれたのだな、と思えばついつい頬が緩んでしまう。ただただ嬉しい。


「ごきげんよう、エル様! 妃教育の終わりにちょうどフォルトさんにお会いしたので、そのままご一緒させていただきましたの」

「妃教育お疲れさま、ココ。忙しい中、会いに来てくれて嬉しいよ」

「エル様のお顔を見るためなら、どこへでも馳せ参じますわっ! 武道館でもっアリーナでもっ地方遠征でもっ!」


 よくわからない単語ばかりだが要約するととても可愛らしいことを言っているココのために、休憩を取ることにした。今日の分の執務もほとんど終わりが見えていたし。

 私の隣にココ、向かいのソファーにドワーフィスターとレイモンドが腰掛け、フォルトがお茶の準備をする。ダグラスは執務室の扉前で待機だ。

 それぞれにお茶が行き渡ると口をつけ、芳しい紅茶を一口飲んだ。


「ちょうどドワーフィスター様もいらっしゃいますし、昨日のバトラス伯爵家でのお茶会について報告いたしますわ」

「昨日の……。ああ、ダグラスから報告は受けているけれど、ココからも詳細を聞いておきたいな」


 前世でオークハルトと結婚したあの男爵令嬢が、前回バトラス嬢と結婚したロバート・アンダーソンと共にお茶会に乱入したこと。そしてルナマリア・クライスト嬢が池に落ちたことはすでに報告を受けてある。

 そのことをココに伝えれば、「では、わたしからはそれ以外の報告をしますね」と頷いた。


「シャドーに関する報告です。出来ればドワーフィスター様のご意見もお聞きしたいのですが、構いませんか?」

「ああ、そうだね。二人にも話しておこうか」


 私は手短に、現在ココとクライスト嬢に王家の影がつけられていることを彼らに話す。レイモンドは驚きに目を丸くしたが、ドワーフィスターは「正妃様らしい」と難しい顔で頷いた。


「それでココ、シャドーに関する報告と言うのは?」

「実は昨日このような出来事がありまして……」


 そう切り出したココは、例の男爵令嬢に飲み物を掛けてしまいそうになったが、その飲み物が白い光に包まれて消失したという不可思議な話をしてくれた。


「あの白い光は、昔ドワーフィスター様のお部屋の扉に仕掛けられていた防御魔法によく似ていましたわ。ヴィオレット様も、シャドーが以前から魔術を使用しているのを目撃しているようなのです。シャドー自身が魔術師なのか、魔道具を所持しているだけなのかは分かりませんでしたが……」


 ココの話に、ドワーフィスターが興奮して目を輝かせている。


「最高じゃないか! 魔術を使える人間が僕の他にも存在するなんて! ああ、僕も実際にその場で見たかった。昨日ティアに付いて行けばよかったなぁ」

「ドワーフィスター様もやはり魔術だと思いますか?」

「魔術以外のなにがあると言うんだ、ブロッサム嬢! 王家の影が使ったというその魔術が防御魔法かは実際見ていないから断定はできないが、かなり高い確率だと僕は思う。ああ、屋敷に帰ったら他に似たような魔術がないか調べてこよう」


 キラキラと紅色の瞳を輝かせるドワーフィスターの隣で、レイモンドは心配そうにココを見つめていた。


「王家の影に見張られているだなんて……大丈夫ですか、お義姉さま。怖いときは僕に仰ってくださいねっ。僕がお側に居ますから!」

「まぁ、レイモンド。とても心強いわ。あなたは本当に素敵な紳士だわ」


 慈愛の女神のような微笑みを浮かべて、ココはレイモンドの頭を撫でた。


「重要な情報をありがとう、ココ。……昨日は傍にいられなくてごめんね。大変だったんだね」

「エル様……」


 ペリドット色の瞳をうるうるさせながら見上げてくるココは、小さく首を横に振る。それからにっこりと満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、またご褒美をくださいませ!」




「あの……っ、ココ……! これは本当にきみへのご褒美になっているのですか……!?」

「もちろんですわエル様っ」


 以前ココからねだられた『壁ドン』よりもさらに密着している状況に、私は身体中が熱くなるのを抑えられない。たぶん顔どころか耳や首まで赤くなっていると思う。

 そんな私に対してココは上機嫌な声を頭上からあげている。

 彼女の手がゆっくりと私の頭部に触れ、髪を優しくすいていく感触に、私は耐えきれず顔を両手で覆った。


「あら、エル様、それではお顔が見えませんわ?」

「ゆ、許して、ココ……!」

「まだ五分も経っておりませんのに」

「ひっ膝枕だなんて……破廉恥じゃないかな!?」


 私の渾身の叫びなど右から左というように、ココはうふふと楽しそうに笑う。


 ココが今回褒美に願ったのは『膝枕』で、私は現在ココの太ももに頭を預けている状態だ。

 いくらドレスの生地が幾重に重なっていようとも、ココの柔らかな感触や体温、花のような彼女の香りを間近に感じてしまい、平静でいられない。

 しかもここはまだ執務室のソファーの上だ。休憩を切り上げたドワーフィスター達が執務机の方から生暖かい眼差しを向けてきていることが、顔を隠していても伝わってきて居たたまれない。


「大丈夫ですよ、殿下。膝枕ごとき破廉恥じゃありません。僕の周囲をうろつく女共など、ひとの膝の上に勝手に乗り上げようとしてくるレベルですから」

「昔、僕も子供の頃に母に膝枕をして貰いましたよっ」

「良かったですねぇ、エル様……!」


 モテすぎて苦労しているらしいドワーフィスターが、昔を懐かしむようにレイモンドが、感動して泣きそうになりながらフォルトが答えるが、もういっそのこと私のことは無視してほしい。

 扉近くに立っているダグラスだけが私の気持ちを理解したように、頬を染めて視線を外していた。


「はぁ~、エル様の照れ顔おいしすぎ……」


 小さな声で呟かれたココの声は、羞恥で死にかけている私の耳には届かなかった。

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