第83話 バトラス伯爵家のお茶会④



「いったい何があったのですか……!?」


 慌ててルナマリア様たちのもとに駆けつけるが、慌ただしい空気にわたしの投げ掛けた質問は掻き消えてしまう。


 ルナマリア様はまるで頭上からシャワーを浴びたかのように全身が濡れていた。ドレスもぐっしょりと水を吸い、玄関ホールの床にボタボタと水滴を垂らしている。飲み物を掛けられたというわけではなさそうだ。

 ルナマリア様は青ざめた顔で一瞬わたしを見たが、すぐに唇を噛み締めて俯いた。


 すぐに侍女がやって来て、「バスルームへご案内致します」とルナマリア様を促す。

 彼女は小さく頷くと、濡れて重量の増したドレスを重そうに引きずりながらバトラス邸の奥へと進んだ。





「ルナマリア様ったら、庭園の池に足を滑らせたのですって」


 ルイーゼ様はお茶会を終了してくると言って、庭に戻っていった。

 執事に案内された客室のソファーに、わたしとミスティア様、オーク様がそれぞれ腰を掛けている。ダグラスは護衛として扉近くに立ち、ヴィオレット様とサルバドル君は相変わらず気配を消して給仕をしている。


 ミスティア様は紅茶のカップに口をつけてから、わたしに説明を始めた。


「わたくしは経営科の方々とお喋りをしていましたのよ。そしたらあの馬鹿女が屋敷から会場に戻ってきて、オークハルト殿下を探し始めたんですの」


 彼女の言葉を引き継ぐように、オーク様も話し始める。


「俺はちょっと腹ごなしに歩こうと思ってな、ルナと二人で会場から離れて庭園の奥に向かっていたんだ。それで見事な池を見つけて、しばらくそこでルナと過ごしていたら……ティアがアボット嬢と言い争いながらこちらに向かって走って来たのだ。あれには驚いたぞ」

「馬鹿女が殿下にまた無礼なことをする前にお止めしようと思ったのですわ。でもあの小娘、平民上がりだから足が速いのなんのって……。結局止めきれずに殿下たちのもとまで辿り着いてしまいましたわ」

「アボット嬢が俺の胸へと飛び込んできて、危ないからそのまま抱き止めたんだ。そしたらすぐ傍でルナの悲鳴が上がって……」

「わたくしたちが気が付いたときには、ルナマリア様は池の中に落ちていたんですのよ。それでダグラスを呼んで、池から助けたんですの」

「ルナは足を滑らせたと言っておった」


「そうなんですね……」


 二人の話だと、ルナマリア様が池に落ちる瞬間は誰も見ていないようだけど。

 オーク様に抱きついたピアちゃんを引き剥がそうと動いて、足を滑らせたと考えるのが一番簡単だろう。


 サルバドル君がピアちゃんの魔道具の有無を調べておいてくれて助かった。

 もし魔道具を持っていたらまた違う方向も考えなくちゃいけなかっただろう。……ピアちゃんがルナマリア様を魔術で池に突き落とした、とかね。

 単なる不幸な事故なら、目くじらを立てることもない。ルナマリア様には災難だったけれど。幸い濡れただけで怪我もなかったようだ。


「ちなみにアボット様の証言も、お二人のものと齟齬はありませんでしたか?」

「ええ、殿下の腕の中に居たからルナマリア様が池に落ちた瞬間は見ていないそうよ」

「あの……、ココよ、俺がアボット嬢を抱き締めてしまったのは不可抗力であってだな……」

「それはルナマリア様におっしゃって差し上げてください」


 浮気男の言い訳のような台詞を吐くオーク様にぴしゃりと言えば、彼はがっくりと項垂れた。


「本当に、ココは俺に興味がないのだなぁ……」


 おや?

 オーク様が呟かれた言葉には、今までにない哀愁が感じられた。

 チラリとオーク様に視線を向けるが、項垂れたまま顔を上げない。エル様と同じサラサラの金髪が輝いているだけだ。


「エル様にしか興味ありません」と追撃を掛けるべきか悩んでいると、「失礼致します」と扉から声を掛けられる。

 ダグラスに確認してもらうとルナマリア様とルイーゼ様だったので、オーク様が入室を許可した。


 湯あみをして着替えたルナマリア様と、客人を全員お見送りしたルイーゼ様が客室に入ってくる。


「この度は皆様にご心配をお掛けして申し訳ありません……。バトラス様も、ドレスまでお借りしてしまって……、本当にありがとうございました」

「いっ、いえいえ、クライスト様っ、お顔をお上げくださいませ!」


 筆頭公爵家のご令嬢に頭を下げられる事態に、ルイーゼ様はあわあわと焦っている。だがルナマリア様は彼女の両手をつかみ、「後程我が家からお礼に伺わせていただきます」とさらなる言葉を掛けている。

 先程玄関ホールで見た、青ざめた表情はすでに消えていた。わたしはホッとする。


「足を滑らせて池に落ちてしまったのですって? 災難でしたね。ルナマリア様にお怪我がないようで安心しましたわ」

「……ココレット様にも、ご心配をお掛けしました」

「お風邪を引いたら大変ですから、わたしたちもそろそろお暇しましょうか?」

「はい」


 馬車を回してもらうよう、ルイーゼ様にお願いするついでに、見送りの際のピアちゃんの様子を尋ねておく。

「オークハルト殿下と一緒に帰りたいと喚いていましたよ、あの方」とルイーゼ様は眉をひそめて答える。


「ロバート・アンダーソンの顔を見るだけでうんざりでしたのに、アボット様まで……。この苛立ちは執筆に向けるしかありませんわ!

 ああそうだ、本日はオークハルト殿下をご紹介してくださり、ありがとうございました、ココレット様。これで最高に素敵な殿方を書き上げて見せますわっ」

「まぁ……、楽しみにしておりますわ、ルイーゼ様」


 こうして、ピアちゃん乱入+シャドーの防御魔法+ルナマリア様が池に落ちる事故という、騒動の多いお茶会が終了した。


 ルナマリア様がなにか言いたげにわたしの方に視線を向け、躊躇って口を閉ざしたことに、わたしは最後まで気付かなかった。

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