第17話 ミスティアからの相談



 最近のわたしの悩みは我が家の侍女たちのことである。

 一部の侍女なのだが、いまだにレイモンドの素顔に慣れることができないのだ。本人たちもこれではいけないと努力しているのだけれど、どうしても生理的嫌悪を感じてしまうらしい。

 そのため今はレイモンドに関わらない仕事を回しているのだけれど、レイモンドが侯爵の地位を継いだらそんな優遇措置など取っていられなくなる。今のうちになんとか慣れる方法はないかしら……と、わたしは考えていた。

 そもそも我が家には社交界でもその美貌で有名な父がいるせいで、侍女たちの審美眼が養われ過ぎている面もあるのよね……。いや、わたしからすればオーク顔で養われる審美眼って何だって感じだけど。むしろ洗脳じゃない?


 そんなふうに頭を悩ませながら、わたしは本日も妃教育のために登城する。

 衛兵のあとについてゆっくりと廊下を歩くわたしの背後から、ミスティア様が特攻を仕掛けてきた。


「ごきげんよう、ミスティア様。本日も良い天気で……」

「ココレット様っ! 妃教育のあとはわたくしに付き合いなさいッ! 絶対ですわよ!」


 艶やかな黒髪縦ロールをブォォォンッと靡かせたミスティア様は一方的にそう言うと、衛兵を引き連れ、本日最初の授業が行われる部屋へと颯爽と去っていった。


 わたしの予定を聞く振りくらいしてほしい。





 妃教育のあとにミスティア様に連れて行かれたのは王宮の温室だ。

 ここも婚約者候補として使用許可が出ている場所のひとつである。無数にある温室のなかでもそれほど規模の大きいものではなく、胡蝶蘭がメインに育てられていた。雅な香りとあいまって、ミスティア様にふさわしいステージである。


 王宮の侍女が用意した紅茶を飲みながら、わたしはミスティア様が話を切り出すのを待つ。彼女は紅玉色の瞳をテーブルの上にさまよわせ、両手の指を弄びながら言葉を探している様子だ。

 ミスティア様はようやく顔を上げると、真っ赤な顔でこう言った。


「こ、ココレット様、ラファエル殿下のお顔を拝見するコツを教えなさい……ッ!」

「は、い?」

「わたくし、ラファエル殿下の婚約者候補になってからもう随分経つのに、いまだに自己紹介も出来ていないのよ……! これでは正妃になるどころか、ワグナー公爵家に泥を塗りかねないわ……っ!!」


 そう言えばそうなのだ。ミスティア様はエル様にお会いする度に失神するので、初対面の挨拶すら出来ていない状況なのである。とても切実だ。

 そのことに関してエル様はあまり気にかけてはいないみたいなのだけれど、わたしとしてはやっぱり胸が痛い。

 エル様が内心ミスティア様の態度に傷付いていたらやはりとても辛いし、ミスティア様がそんなに悪い子じゃないことも知っているのでエル様に誤解してほしくない気持ちもある。ミスティア様はただのツンデレ美少女なのだから。

 わたしとしては、エル様の身近な範囲くらい、穏やかな交遊関係を築いてほしい気持ちでいっぱいだ。

 そのためならば、わたしもミスティア様の相談に乗ろうではないか。

 たとえわたしがミスティア様の悩みを解決して、ミスティア様とエル様のあいだに婚約者候補としての確固たる絆が生まれたとしても。そんなものは絶世の美少女・わたしが、色仕掛けしまくってエル様をかっ拐ってみせるし。


 それになにか、うちのレイモンドと侍女の関係改善に繋がるヒントでも手に入れられるかもしれない。


「コツと申されましても……わたしはエル様のご尊顔もお慕いしておりますので、わたしを真似されても仕方がないと思いますわ、ミスティア様。それよりも他の方法をお探しになった方が良いですわよ」

「ほ、ほかの方法ってなんですの……!? 修行して心を鍛えればいいわけ!?」


 なんだか脳筋みたいなことを言い出したわね、この子。


「いえ、そうではなく……」

「ココ! 久しぶりに会えたな!」


 わたしの言葉を遮る、無駄に良い声が温室の入り口の方から聞こえてくる。

 視線を顔ごとそちらに向ければ、何人もの侍女や従者を引き連れたオーク様がそこに立っていた。


 わたしとミスティア様は椅子から立ち上がり、オーク様へ挨拶をする。


「美女二人でなにやら楽しそうだな。俺もきみたちの秘密のお茶会に混ぜてもらってもいいか?」


 オーク様は相変わらず迫力のある顔でニヤリと笑いながら、わたしとミスティア様の手の甲へ順々に口づけを落とす。行動だけは本当にプレイボーイだ。

 あのミスティア様でさえ頬や額を赤らめ、小声でぶつぶつと「……いいえ、わたくしは正妃派閥よ……ッ!」とトキメキを堪えているようだ。わたしは半笑いしてしまう顔をどうにか二人から背ける。


 オーク様の専属侍女たちが彼の椅子やお茶の用意を整え終わると、改めて三人でテーブルに着く。


「本当に久々だな、ココ。前回会えたのは……二週間前にほんの少し顔を見ることができただけだったものな。妃教育の方はどうだ?」

「ええ、お陰さまで順調ですわ。オーク様もお忙しいでしょうに、本日はわたしたちのお茶会に顔を出してもよろしいのですか?」

「今日は奥の庭園で、側妃である母上のお茶会があったんだ。それも先程終わったから、こちらの道を通って俺の住まう宮殿に戻るつもりだったんだ。ほかの道を通らなくて良かったよ。ココに会えるだなんて今日はいい一日の締めくくりだ」


 オーク様は穏やかに目元を細めると、次にミスティア様へ顔を向ける。


「あなたとこうして話すのは初めてだな、ワグナー嬢。どうだい、我が兄君とはうまくやっていけそうか? あなたが兄君の妃になってくれれば、俺がココを娶れるんだが」

「……いえ、その、わたくしは……」


 ミスティア様は言い淀み、わたしの方へそのルビー色の瞳をチラチラと向けてくる。

 そこでわたしはオーク様に、ミスティア様の相談について話して聞かせた。


 オーク様は顎に手を当て、思案げに眉間にシワを寄せる。


「確かに兄君は醜い容姿をされている。……だが俺には皆が言う、その嫌悪感と言うものが昔からよくわからないのだ」


 ポツリと言うオーク様に、おや、とわたしは目を見開く。


「まぁ、オーク様はエル様の御容姿に対する嫌悪感はまるでなかったのですか?」

「ああ。醜いのはわかっているのだが、ただそれだけなんだ。どのような容姿をしていても兄君は俺の尊敬する兄君であって、それ以下ではない。だから正直、ワグナー嬢の気持ちは理解してやれんのだよ」

「……そんな、ココレット様もオークハルト殿下にも不細工に対する生理的嫌悪感がないだなんて……。これはやっぱり、美しい心と姿を持った選ばれし人間だけが到達できる精神なの……?」

「ワグナー嬢はなにを言ってるんだ?」

「わたしには分かりかねますわ、オーク様」


 オーク様がかなりピュアな純白の心を持った少年であることは理解したけれど、わたしは別にそうではないもの。たまたま絶世の美少女の器を持って生まれた、生粋の面食い夢女である。下心たっぷりの不純物だ。


 とにかくそんな精神論でどうにかなる話ではないので、わたしはさっさと提案する。


「要はミスティア様がエル様のお顔を直視しなければいいと思います」

「それはラファエル殿下に失礼ではなくて?」

「けれど他の方々は視線を逸らしているようですわ。ルナマリア様や、侍女の方々などは。相手の目を見ようとするのではなく、眉間などを見ていれば平気ですわよ」


 わたしのアドバイスに、ミスティア様がへにょりと眉を八の字に下げる。


「それで上手くいくかしら……?」

「なら、こういうのはどうだ?」


 今度はオーク様が提案する。


「ワグナー嬢が顔にヴェールを被るんだ」

「ヴェールですか? 冠婚葬祭くらいにしか着用しないものかと思いますが……」

「我がシャリオット王国ではそうだが、俺の母上の出身である隣国では日用使いされているんだ。それで視界を覆えばいくらか見辛くなって、兄君を直視せずにすむのではないか?」

「そ、……そうですわね」


 ミスティア様は覚悟を決めたように両手を拳に握ると、深く頷いた。


「でしたら明日から、ヴェールを着用して、出来るだけラファエル殿下の眉間を見るようにしてみますわ! オークハルト殿下、ココレット様、本日はわたくしの相談に乗っていただきありがとうございました。絶対にラファエル殿下にご挨拶してみせますからね! ワグナー家のために!」


 気合いの入ったミスティア様はルビー色の瞳を輝かせ、ほころばせた。

 ふわわわぁ、やっぱり可愛い子だわ~。年頃になったら絶対妖艶系美女になるであろうミスティア様の、幼少期の微笑みにわたしはうっとりする。

 はぁ~、なんでこの世界ってカメラがないの?


 そのまましばしお茶とお菓子を楽しんでから、お茶会が終了する。





 馬車乗り場までわたしを見送りに来てくださったオーク様は、熱っぽい視線をわたしに向けながら尋ねた。


「兄君との仲は順調のようだな。先日も、ブロッサム侯爵家に兄君が招かれたと聞いたんだが……」

「はい、我が家でおもてなしをさせていただきました」

「……ココ、」


 オーク様は寂しそうに微笑みながら、わたしの髪を撫でる。

 ちょっとやめてよ、この髪だってエル様のものなんだからね。わたしは頭から爪先まで全部エル様の女なんだぞゴラァ! 前世夢女の純情を舐めるな!

 そんな怒りを込めながらわたしは愛想笑いを浮かべる。


「俺のこともブロッサム侯爵家へ招待してくれるか?」

「ええ、もちろんですわオーク様。他の婚約者候補の方たちのお屋敷にも訪れた後でしたら」


 特別扱いは無理、と言外に伝えれば。オーク様が苦笑した。


「参ったな。俺の初恋の人はどこまでも高潔で、とても俺の心を離れさせてはくれないようだ」


 そう言ってオーク様はわたしの手を取ると、ブロッサム侯爵家の馬車へとエスコートしてくれる。わたしは大人しく馬車へと乗り込んだ。


「オーク様、初恋は叶わないものだそうですよ」

「それは兄君やココにも言えるんじゃないか?」

「いいえ、わたしたちには関係のない格言ですわ」


 馬車の扉が閉まる前に、わたしはとびきりの笑顔で言ってみせる。


「どんな運命だろうとわたしがねじ曲げて、エル様をハッピーエンドにして差し上げますもの」


 オーク様は驚いたように小さな目を見開き、穏やかに微笑む。


「やはり俺の初恋の人は高潔だ」


 わたしは従者に合図を出した。馬車は滑るように車輪を回し、我が家へと向かって動き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る