第9話 シュバルツ王の肖像画



 いろいろな戦いの火蓋が切って落とされたけれど、なにはともあれ、まずは妃教育である。

 わたしは毎日のように登城し、ほかの婚約者候補たちとともに様々なレッスンをこなした。

 この妃教育が厳しいのなんのって……。

 わたしも今まで侯爵家でマナーやダンスなどの家庭教師をつけてもらっていたけれど、もうその比じゃない。

 何時間もぶっ通しで政治や法律や歴史、数種類の外国語などの授業を受け、食事やお茶もマナーのレッスンとして扱われ、城で催されるお茶会に出席することさえ全部授業! 高位貴族の顔と名前を一致させ、その方の領地経営についても把握し、交遊関係なども覚え……。

 宿題に毎日たくさんの本を押し付けられる。もちろんレポート提出あり。

 とにかくわたしは必死で勉強した。


 こうやって脳みそをすり減らしているせいか、わたしは同じ境遇であるほかの婚約者候補たちにだんだん親しみすら感じるようになってきた。いや、もう戦友だと思っている。

 ミスティア様はあいさつのように「わたくしが正妃で、あなたが国母としてラファエル殿下をお支えするのよ!」とか言ってくるけど、その目の下には青っぽいクマが出来るくらい努力しているし。

 ルナマリア様は最初からわたしに好意的で優しい言葉をかけてくださるし(わたしがエル様の正妃になれば、ご自分がオーク様の正妃になる確率があがるからかもしれないけど)。

 ヴィオレット様とは全然関わってないからよくわからないのだけど、もうまず小動物系の見た目がすでに癒しだ。

 ていうか一人で妃教育を受けてたらストレスで禿げてたと思う。


 くたくたになって一日のノルマを終えると、衛兵がわたしを呼びに来た。エル様がお呼びらしい。

 エル様は週に二回ほど、わたしをお茶に呼んでくださる。

 彼も王太子教育で忙しい身の上なのに、時間を調整してくださって本当にうれしい。エル様に会うご褒美がなければ、妃教育に根をあげていたと思うもの。


 ちなみにオーク様とはあまりお会いしていない。彼は毎日のようにどこかのお屋敷のお茶会に呼ばれていて、城内に居ないのだ。やったね。

 たまに会うと「ココに出会えるとわかっていたら、これほど予定を入れなかったのだが……!」と嘆いている。わたしと出会う前に、スケジュールが数ヵ月先まで満杯になっていたみたい。


 わたしはほかの婚約者候補たちにあいさつをすると(ミスティア様に「ラファエル殿下からの御寵愛が長く続くよう励みなさいっ!」と言われた)、衛兵に案内されるまま王宮のロングギャラリーに向かった。

 ロングギャラリーには王家所蔵の美術品がたくさんあるので、それを見せてくれるらしい。


 ロングギャラリーの扉の両脇には、エル様の護衛の騎士たちが並んでいる。

 彼らはわたしを見てデレッと緩みそうになった口許を引き締め、敬礼をした。


「ブロッサム嬢のご到着です!」

「…どうぞ」


 室内の返答とともに豪奢な扉が開け放たれた。

 扉のすぐ脇にはエル様の専属侍従であるフォルトさんが立っていて、わたしに向かってうやうやしく礼をする。

 わたしより五つ年上のフォルトさんは子爵家の次男だそうで、エル様の乳兄弟だと初めてお会いしたときに言われた。目の細い青年で、この世界的には可もなく不可もない平凡顔だ。わたしには中の下くらいに見えるけど。


「ココ、今日もご苦労様。妃教育の方はどうだい?」


 お茶会を繰り返したお陰でようやく敬語がとれたエル様が、わたしを迎えてくれる。


「エル様っ! おかげさまで順調ですわ」


 わたしは思わず駆け寄りたくなる足を必死になだめて、しずしずとエル様に近づいた。

 今日もなんて素敵なご尊顔なの……とうるうる見上げれば、エル様は両手で顔を覆ってしまう。指の間から見える肌は真っ赤だ。


「ご、ごめんね、私にはまだ、ココの視線に慣れなくて……」

「申し訳ありません、エル様。でもわたし、エル様のお顔をずっと眺めていたいわ。とても綺麗な瞳なんですもの」

「ココ……っ!」


 自分を醜いと卑下するエル様は、わたしがいくら「あなたのお顔も好きです」と言ってもちっとも信用してくださらない。

 なので最近は部位を誉めるようになった。瞳が宝石みたい、髪の毛がきれい、肌がすべすべで羨ましい、いい匂いがする、というふうに。これならまだ、顔が好きと言うよりは信じてくださるみたいだ。


 エル様は指をそろそろと下ろし、潤んだサファイアの瞳だけを出す。


「私の瞳なんかより、きみの瞳の方がずっとずっと綺麗だよ。きみの目に映る世界はきっとほかの人たちとは違う、優しい世界が見えているんだろうね。もしかしたら異形の私でさえ、少しはマシに見えているのかもしれない。だからココは私に優しいのかな……」

「まぁ……。ならばわたしは自分のこの瞳に感謝いたしますわ。大事なエル様を見つめることができるんですもの」

「私も、神様がココに世界を優しく見せる瞳を与えてくれたことに感謝するよ」

「エル様……」

「ココ……」


 わたしたちは照れながらもしばし見つめ合った。


 それからエル様にエスコートされ、ロングギャラリーに飾られた美術品を鑑賞して行く。

 エル様は美術品を一つ一つ簡単に説明してくださった。

 神話に出てくる女神の像だとか、聖女の絵画などは確かに素敵だ。だって美女の基準が前世と同じなんだもの。眼福だわ。

 でも英雄像や歴代の王の肖像画、神々の像などがきつい。完全に視界の暴力だ。

 どうしてこうもオーク顔ばかりなの? たまにドワーフみたいな毛むくじゃらタイプもいるけど。うう、きついよぅ。


 早急にイケメンを摂取しなければ精神が汚染されるとばかりに、わたしは何度もエル様に視線を向けた。

 美術品を見るよりもエル様を見つめる時間の方が多かった。というかエル様がこの世で一番の芸術作品じゃない? わたしの視線に恥じらうエル様マジ尊い……。


 そんなふうに鑑賞していたら、エル様が一つの小さな肖像画を指差した。


「これがこの世に唯一現存する、シュバルツ王の肖像画だよ」


 シュバルツ王……。

 なんだか聞いたことがあるぞ、と思って肖像画を見ると。今度こそ本物の美術品がそこにあった。


 なにこの人、めちゃくちゃイケメン……!!!


 その肖像画に描かれた人は金髪黒目の、エル様が大人になったらこんなふうになると教えてくれるかのような青年王だった。


 はぁ~色気駄々漏れのめちゃくちゃ麗しい王様だ~!


 たぶんこの人って、エル様と同じ祖先返りだといわれた三代前の王様なのだろう。薔薇園でそんな話を聞いた気がする。

 エル様も大人になったらこんな感じかしら。ああ、早く大人になってこんな青年になったエル様とラブラブイチャイチャしたいわ。

 わたしはうっとりと肖像画を見つめた。


「過去には他にもシュバルツ王の絵が残っていたけれど、おぞましい悪魔の絵だと弾圧されて、これ以外はすべて燃やされてしまったらしい」

「まぁ、芸術作品を燃やすなんて、なんてひどいことを……」

「でも、こんなに醜い男の絵など見たくないのがふつうだよ」

「そんなふうにおっしゃらないで下さい。わたしは好きですわ、シュバルツ王の肖像画が」


 なんなら寝室に飾りたいくらいなんだけど。イケメンのいい夢が見られそう。


「……ココ、お茶にしよう。今日はフルーツタルトを用意させたから」

「まぁ、うれしいですわ」


 ロングギャラリーの日当たりの良い窓際には喫茶スペースがあり、すでにお茶会の用意がされていた。

 わたしはエル様のエスコートで椅子に腰かける。

 するとすぐにフォルトさんから紅茶とフルーツタルトをサーブされた。

 フルーツタルトは季節の果物がたっぷりと乗っていて、その下の甘さ控えめのカスタードクリームにマッチしていて美味しい。爽やかな紅茶にもよく合っている。

 わたしはエル様とお茶会をゆっくりと楽しみ、しばらくしてからまたシュバルツ王の話題へと戻った。


「シュバルツ王は祖先返りの王の中で唯一文献が残っている方なんだ」

「唯一、ですか…」

「ほかにも祖先返りの王が居たという話は、民間の伝承には残っているのだけれど。公式の記録としてはほとんど抹消されているんだよ。シュバルツ王は退位されてからまだ百年も経っていないから、文献が残せているんだろう」

「シュバルツ王とはどのような王だったのです?」

「醜い見た目から嫌われていたけれど、王としては賢王だったそうだよ」


 シュバルツ王は父王が早くに崩御されて、十五才という若さで即位された。彼には年の離れた美しい(つまりオーク顔の)弟君がおり、彼が成人する十八才までは、と王位に就いたそうだ。

 彼の在位期間中に、このシャリオット王国がある大陸全土で新種の疫病が大流行した。

 シュバルツ王はすぐさま物流を制限し、人の流れをおさえることで疫病がシャリオット王国に入り込まないよう対策した。そして各国に医師団を派遣して、疫病の特効薬を作り、パンデミックを抑えたという逸話があるそうだ。

 それゆえ王都から離れた領地に住む民衆や、他国からの支持はそれなりにあったのだとか。


 ただ、貴族や王都の住民からは忌み嫌われていた。ーーー醜い、ただそれだけの理由で。


 どれほど国や民に尽くしても、醜さのせいで味方ができない。

 シュバルツ王は妃も娶らず、お子もなく、孤独にさいなまれた。

 弟君が成人した頃にはすっかり心が病んでいて、退位されると同時に王宮からも王都からも姿を消した。

 その後のシュバルツ王の足取りはわかっていないらしい。


「虚しい人生だよね」


 エル様は持ち上げたカップに視線を向ける。紅茶の琥珀色の水面に映る自分の姿を見つめ、自嘲ぎみに言った。


「どれほど国や民に尽くしても、誰からも愛されない人生だなんて。……私はシュバルツ王に同情するよ」

「エル様……」

「少し前までは、私もシュバルツ王と似たような、孤独な人生を歩むと思っていたんだ」

 

 視線をあげたエル様は、じっとわたしを見つめる。


「………王になろうとなるまいと、やがてこの心は壊れていくのだと思っていた。それが醜く生まれた者の定めだと。……ココ、きみに出会うまでは」


 エル様にとってシュバルツ王は、写し鏡のようなものだったのかもしれない。『シュバルツ王の再来』と呼ばれるほど姿が似ていて、オーク顔の弟がいる境遇も似ていて。

 シュバルツ王の人生と、自らの未来を重ね合わせて見てしまったのも仕方がなかったのだろう。


 エル様は、テーブルの上に置かれたわたしの手の上に自身のそれを重ね、そっと力を入れる。


「今生でココに出会えて良かった……」

「わたし、エル様にふさわしい妃になるためにがんばりますからね」

「ふふ、ありがとう。心強いよ」


 妃教育は大変だけど、ちゃんと頑張ろう。一緒に頑張ってくれるルナマリア様たちも居るし。

 頑張った先には、愛しいいとしいエル様がいらっしゃるんだもの。

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