第10話 金のクロス(ラファエル視点)



 今回の人生は、本当に前回の人生との違いが多すぎる。

 ココが生存して私に出会ってくれたことがまず一番大きな違いだけど。

 その他にも違うところはたくさんあった。


 ひとつはココの父であるブロッサム侯爵だ。


 婚約者候補について話し合いたいと王宮にやってきたブロッサム侯爵に会ったのだがーーー前回とはまるで別人のように穏やかな人だった。


 ココと同じローズピンク色の髪と、ペリドットの瞳を持つ侯爵はかなりの男前で、優しい笑顔が印象的だった。

 前回はいつもしかめ面をしていて、『氷の侯爵』などと呼ばれていたはずなのだけど。

 愛娘が生きていてくれたおかげで、この人の心は壊れずにすんだのだな、と私は侯爵の笑顔を見て思う。

 ココと同じ微笑みを浮かべるこの人が、前回と同じ人生を辿らずにすんだことを、喜ばしいと思う自分がいた。

 これならきっと、侯爵家へ養子入りするはずだった彼の人生も、また別のものに変われるだろう。今回の人生ではもう出会うこともないかもしれないがーーー前回の人生よりも穏やかなものが、彼にも訪れてくれればいいと私はひそかに願っていた。


 ふたつめは、私とオークハルトがココを婚約者候補に選んだことで、婚約者候補の顔ぶれが前回と大きく変わったことだ。

 私の方は前回の候補では正妃が選んだバトラス伯爵家の令嬢がいたが、今回はいない。


 バトラス嬢の前回の人生は、なかなか悲惨なものだった。

 彼女は私の婚約者候補であることを厭い、学園に入学すると美しい恋人を作った。そして在学中に妊娠が発覚し、恋人とともに駆け落ちしたのだ。

 けれど生粋の貴族育ちの二人に、市井での暮らしは耐えられなかったのだろう。結局恋人はバトラス嬢を捨て、彼女は幼子を抱えて高い崖の上から飛び降りたと聞いている。

 今回のバトラス嬢が、私という枷などなく恋人と出会い、家族に祝福される結婚をしてくれればいい。きっと貴族として恋人と結ばれるのなら、前回のような悲しい結末には至らないはずだから。


 クライスト嬢とワグナー嬢に関しては今回も私の婚約者候補に入ったが、クライスト嬢が父親にねだってオークハルトの方の候補にも捩じ込まれたことは、やはり大きな違いだ。

 彼女は前回の人生でもオークハルトを慕っていて、最後はその想いのために修道院へ駆け込んだほどだった。今回もオークハルトへの気持ちは変わらないのだろう。


 あの日薔薇園で二人きりになったとき、クライスト嬢は私にこんな話をした。


「ラファエル殿下はココレット様にお心を向けていらっしゃるのですね?」

「…ええ」

「それは大変喜ばしいことですわ。想う方と結ばれるのが一番良いかと思います」

「ありがとう」

「ラファエル殿下、正妃様はきっと私のことも婚約者候補の三人のうちの一人にお選びになるでしょう。クライスト公爵家の後ろ楯を得るために。

 けれど私の心はすでに決まっております。……私はずっと以前よりオークハルト殿下をお慕いしているのです。

 ラファエル殿下のお心が決まっている以上、私は正妃様の言いなりになるつもりはございません。私は私のために、どんな手を使ってでも、オークハルト殿下と結ばれて見せます」

「クライスト嬢……」

「ラファエル殿下とココレット様のご成婚が、私、今から楽しみですわ」


 私と視線を合わせないように俯いているが、クライスト嬢は決意に満ちた表情をしている。彼女は前回よりもずっと心の強い女性として生きていた。


 ふいに、ああそうだったのか、という納得が生まれた。


 前回のクライスト嬢は、正妃のため、公爵家のため、そして結婚できそうにない私のためにギリギリまで自分の心に蓋をして苦しんでいたのだろう。それでも蓋をしきれなかったオークハルトへの想いが溢れて、どうすることも出来なくて、修道院へ駆け込んだのだ。


「クライスト嬢、気高いあなたの初恋が叶うよう、祈っております」


 下を向いたままこくりと頷いたクライスト嬢が、本当に形振り構わずオークハルトの婚約者候補に入ったことを、私は心から祝福したい。

 彼女の人生が、今回は私のせいで犠牲にならなければいい。


 その結果、オークハルトの婚約者候補は前回とは全員変わることになった。前回はオークハルトに本命の候補が居らず、自身の好みで三人を選んでいたようだが。今回は本命のココ以外、誰のことも指名しなかったのだ。

 そのためクライスト嬢と、側妃の要望でベルガ辺境伯爵家の令嬢が候補に入ったらしい。

 ベルガ嬢に関しての前回の記憶はほとんどない。彼女は社交界デビューしたのちもほとんど領地にいて、王都にはやって来ていなかったと思う。

 ココが生き延びたことで、本当にいろいろなところに影響が出ている。





 そして最近見つけた、前回との大きな違いはーーーあるはずのシュバルツ王の遺産がないことだ。





「…エル様、ぼんやりとなさって、どうかなさいましたか?」


 ロングギャラリーでココと向かい合ってお茶をしていたとき、物思いに沈んでしまった私に、ココが声をかけてくれた。

 慌てて思考の海から顔をあげると、ココの整った顔立ちが目の前にあって、また心臓がドクッと高鳴ってしまう。

 こんなに綺麗な女の子が、目の前に座って、私と目を合わせ、言葉を交わしてくれるなんて。いつまで経っても現実感がない。


 私はココから思わず視線を逸らし、「いや、別に……」などと口の中で不明瞭な答えを返してしまう。

 そんな情けない私へ、ココが柔らかな口調で言う。


「王太子教育でお忙しい中、わざわざ時間を作ってくださっているのですもの。わたしと二人きりのときはどうぞ、のんびりなさってください」

「……あなたの前でこそ、少しはまともな姿を見せたいのだけどね」


 苦笑混じりに答える。

 醜い姿をした私がどれほど取り繕っても、格好良い男になれはしない。それでも彼女の前でだけは、せめていつもの自分よりも少しはまともな人間で居たいと足掻いてしまう。他人から見れば、そんな私はきっと滑稽に映るのだろう。

 けれどココは「そのままのエル様が大好きですわ」と優しく言ってくれるから。胸の奥が震えて痛くなる。


 きょうのお茶会の場所をロングギャラリーに指定したのは、調べたいことがあったからだ。


 前回の生と今回の違いを探すために、私は時間を見つけては、王宮内のめぼしい施設をチェックしていた。

 そして先日、図書館を調べているときに気付いたのだ。

 シュバルツ王の遺産である『金のクロス』についての記述がひとつも存在していないことに。


『金のクロス』は、シュバルツ王が王位を弟に譲り失踪したあと、数十年経ってからとある村の教会で見つかったと言われている首飾りだ。

 実際の真贋はわからないのだが、その首飾りに使われていた金や細工が王族くらいしか所持できないような良質のものであったため、シュバルツ王の遺品なのではないかと学者たちのあいだで議論されていた。

 その村にある日突然、とても醜い顔をした旅人がやって来て、数年間滞在していたという話も残っていたと思う。

 その記述が今回はすべて消えていたのだ。


 前回その『金のクロス』は、シュバルツ王の唯一の肖像画と共にロングギャラリーに飾られていた。

 四角いガラスケースに入っていたその首飾りは緻密な細工が施されており、たっぷりの金が使われていて、確かに王族でなければ手に入らないような品だなと、初めてみたとき幼い私は素直に感心した。


 そのことがよほど心に残っていたのだろう。

 オークハルトに王太子の座を奪われ、王宮から出ていくことを決めたあの日、私は『金のクロス』を盗んで行くことにした。

『シュバルツ王の再来』と畏れられた私にこそ相応しい品だと思ったのだ。


 王宮を去ってから、私は『金のクロス』をいつも胸元に下げていた。

 私と同じように醜くて、世間から爪弾きにされた者たちと反乱軍を立ち上げたときも。支援や物資を集め、王都を襲撃したときも。ーーー騎士団に捕らえられ、牢に入れられたときも。断頭台に首を差し出した最期のときも。『金のクロス』は私の胸元で輝いていた。

 前回の私の首と共に鎖の切れた『金のクロス』は、結局あのあとどうなったのだろう。回収されたのか、それとも私と共に埋葬されたのだろうか。

 それとも人生が逆行したからには、『金のクロス』は無傷な姿でガラスケースの中に飾られているのだろうか。


 きょうはその確認のためにロングギャラリーへ訪れたのだけど。

 書物から記述の消えた『金のクロス』は、現物もまた姿を消していた。

 訪れる前から予感していたことではあったのだが、喪失感を感じてしまい、ココの前で少しぼんやりしてしまったというわけだ。


 ぼんやりしていた間に冷めた紅茶を、フォルトが新しいものに変えてくれたので、そちらに口を付ける。

 温かな渋味が喉を滑り落ちて、ほっとする。


「いつもエル様にお茶にお誘いしていただいてばかりなので、わたしからも我が家のお茶会にエル様をご招待させていただきたいですわ。庭では夏の花が盛りですし、我が家の料理人が作るお菓子は絶品なんですの。エル様にも食べていただきたいわ」


 ココが優しく会話を繋いでくれる。

 お茶に誘った私の方からもっと会話を盛り上げていくべきなのだが、人付き合いの少ない私には巧みな話術など持ち合わせていない。

 それを情けなく感じながらも、ココの穏やかさに救われている自分がいる。


「うん。ココの暮らす屋敷に、ぜひ行ってみたいな」

「エル様のご予定の空いている日を教えてくださいませ。セッティングいたしますわ!」

「わかった」

「うふふ、エル様にどんなお茶菓子を御出ししようかしら」


 楽しそうなココの笑顔を見て、私も小さくはにかんだ。


 断頭台にしか辿り着けなかった前回の人生とはたくさんの違いを抱えて、今回の人生はどこへ辿り着くのだろう。

 辿り着いた先がどこであろうと、この美しい女の子が私の隣で笑っていてくれたらいいなと、心から思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る