第6話 二度目の人生①(ラファエル視点)



 ーーー前回の人生の記憶は未だ鮮明だ。





 王宮前の広場に設置された断頭台に引きずり出され、私は顔をあげる。

 断頭台はすでに大量の血液で濡れており、浮いた脂が光っていた。

 私の前に処刑されたレイモンドやダグラスたちの生首が、ただの板きれで作られた粗末な台に並べられ、何人もの首なしの死体がごろりと転がっている。


 憎い。

 ああ、お前が憎いよ、オークハルト。

 私よりも能力が劣っているくせに、見た目の良さと生来の人の良さから皆に愛され、そして私のものだったはずの王太子の地位さえ持っていってしまったお前のことが、どうしようもなく憎いんだ。


 断頭台を見下ろす席に座っている異母弟を見上げて、私は血が出るほど歯を喰いしばる。

 オークハルトの方は辛そうな表情で私を見下ろしていた。


「兄君……俺は本当にあなたを実の兄として尊敬していたんだ……ッ!」

「私は昔からおまえが大嫌いだったよ、オークハルト」


 オークハルトは泣きながら片手をあげ、死刑執行人に合図を出した。


 私は断頭台に無防備にさらし出された首に刃が落ちてくる最後の瞬間まで、心の内でオークハルトへの呪詛を吐き続ける。


 お前は私と違って、なにもかもを持っていたくせに。

 美しい容姿から常に周囲に人があふれ、人から優しく扱われ、愛されていたくせに。

 優しい母親、おまえを慕う三人の婚約者候補、将来有望な友人たち、学園に入ってからは真実の愛を見つけたなどと言って、平民上がりの男爵令嬢と親しくしていた。そして、あれほど優秀な婚約者候補たちを全員捨てて、男爵令嬢を正妃にまでしてしまった。


 醜い私には王太子の座しかなかったのに。

 結局だれにも愛されず、婚約者候補たちともうまく行かず、妃のいない私には世継ぎも作れないからと、オークハルトに王太子の座を渡すはめになった。


 それからの私は復讐のためだけに生きた。それしかもう生きている理由がわからなかったから。

 オークハルトや、醜いというだけで人を虫けらのように扱うこの世界に復讐するために、なんだってやった。

 私と同じように醜い者たちを集め、王都を襲撃し、国家転覆をはかった。

 けれどオークハルトの指示のもとで動く騎士団に捕まり、復讐を成し遂げることは叶わなかった。


 憎い。憎い。羨ましい。

 私だって愛されたかった。

 オークハルトのように、私も人から優しくされたかった。

 お前が憎いよ。憎い。愛されたい。


 もしも生まれ変われるのなら、たった一人でいいから、私を愛してほしい。


 首に刀が触れた瞬間、シュバルツ王の遺産である『金色のクロス』の首飾りが胸元から滑り落ちるのを感じた。





 二度目に生まれ変わっても、私は醜い『異形の王子』ラファエル・シャリオットだった。


 ぎょろぎょろと大きな目は眼球が飛び出さんばかりだし、高いばかりの鼻は頼りなく、薄い唇には覇気がなかった。

 せめてもっと眉毛が濃ければいいのだが、どうがんばってもこれ以上の毛は生えてこず、情けないほど細いままだ。城中の者が顔をしかめるのも納得できるほど、恐ろしい顔をしている。

 実母ですら私と目が合えば泡を吹いて失神し、乳母さえ生理的嫌悪感を浮かべた眼差しを向ける。侍女たちからも嫌厭されて、私の住まう離宮には従者や男の下働きしかいない。

 前回の人生と同じだ。


 前回と同じなら、結局私は王太子の座をオークハルトに奪われなければならないのだろう。妃ができないせいで。

 実際、王宮のあちらこちらから「異形の王子の花嫁に選ばれる少女は憐れだ」「しかし娘を一人犠牲にするだけで、王家との繋がりが深くなるのだから問題はあるまい」「我が娘にはそんな目に遭わせたくない」「政略結婚が貴族の義務さ」といった、我が子への愛情と打算がぐるぐる入り雑じりった声が届いていた。


 いったいなんのために、私はまた私として二度目の人生をやり直すはめになってしまったのだろう。

 私はもうこれ以上、誰からも、自分が『愛されない存在』であることを突きつけられたくないのに。

 愛や恋など、夢物語のように遠い存在なのだ。





 ……愛されたい。

 受け入れられたい。

 たった一人でいい、私に微笑みかけてくれる女性がいるのならば。





 乳兄弟であり従者であるフォルトの手によってガーデンパーティーの支度をさせられた私の姿は、今日も変わらず化け物だった。


「この顔ではどんな衣装を着ても意味がないね。もういっそ仮面をつけていくのはどうだろう、フォルト? 私を見て倒れるご令嬢の数がきっと減るよ。救護の者たちも喜ぶ」

「仮面舞踏会じゃあないんですから……」


 困ったように答えるフォルトは律儀だ。

 ここ一週間は今日のガーデンパーティーについて愚痴り続け、時間ぎりぎりになってもまだ性懲りもなく現状を憂いている私の愚痴に、まだ付き合ってくれている。


 フォルトは前回の人生でも、反乱軍を作った私を諌めたり、牢に入った私に差し入れをするなど、最後まで従者らしく接してくれたものだ。だから彼に対しては今も親しみを感じている。


「せめてローブでも被りたいよ」

「ガーデンパーティーなんてすぐに終わりますよ。どうせエル様は正妃様がお選びになる婚約者候補を受け入れるつもりなのでしょう?」


 前回はそうだった。

 母上が選んだ婚約者候補はクライスト嬢、ワグナー嬢、バトラス嬢の三人だった。

 だがしかし、誰も私の妃になることはなかった。

 クライスト嬢はオークハルトに愛を捧げていて、途中で自ら修道院へ駆け込んだ。ワグナー嬢は私に会う度に泡を吹いて失神し、私との夫婦生活は無理だと判断された。バトラス嬢は好いた男と駆け落ちした。

 今回も彼女たち三人が選ばれたら、同じ結果を生むのだろう。

 だからといって、私自ら令嬢を選ぶ気はしなかった。“正妃の指名”ならまだしも、“私個人からの指名”には“私からの好意”が含まれることを相手に伝えてしまう。ーーー私からの好意など、どの令嬢も欲しくはないだろう。むしろ私なんかに好かれたと思うことで苦しめてしまうかもしれない。


 溜め息を吐きつつ、フォルトに頷く。


「クライスト公爵家やワグナー公爵家あたりだろうね。大切な娘を差し出さなければならないなんて、かわいそうに……」

「そんなふうにおっしゃるのはやめてください。僕はエル様がお優しい方だと知っていますよ。あなたの性格を知れば、きっと心を開いてくれる女性も居ますって」

「私の性格を知ってくれるほど、相手が私と関わってくれるだなんて、フォルトは本当に思っているのかい?」

「…………」


 私がそう問いかければ、フォルトは黙りこんだ。


 鏡越しにフォルトを眺める。ほどほどに小さく細い目を持ち、ほどほどに大きな鼻を持ち、ほどほどに厚みのある唇をした彼の顔は平凡だ。髪と瞳は深緑色で、見る者を和ませるような落ち着いた色合いをしている。

 私より五歳年上だというのに、太めの眉をしょぼんと下げている表情はどこか幼い。

 せめて私もフォルトくらいの顔立ちをしていたら、と考えてしまう。

 美しくなくてもいい。せめて人として受け入れられる範囲の顔をしていたら、たかだかガーデンパーティーのひとつやふたつで、心臓が壊れてしまいそうなほどの苦痛を感じずにすんだのに。


 私は溜め息をひとつ吐くと、フォルトに向き直り、彼の肩を軽く叩いた。


「いざとなれば仮面を被って結婚すればいいよ。相手も許してくれるだろう」

「エル様……僕はあなたに幸せになっていただきたいです……」


 泣きそうな表情でそう言うフォルトは、やはりとても優しい。





 控え室にはすでに異母弟のオークハルトがいた。ただ紅茶を飲んでいるだけだというのに、まるで英雄像のように美しい。

 凛々しく繋がった太い眉、小さく細い目から覗くサファイアの瞳は星のようにチラチラと瞬いて周囲の者を魅了する。裂けたように大きな口は勇ましく、分厚い唇の隙間から見えた犬歯までもが腹の立つほど完璧だった。髪も瞳も私と同じ色だというのに、雲泥の差だ。


 オークハルトはフッと私に微笑みかけた。

 彼の目には私に対する嫌悪感がまるでない。そんなことすら惨めに感じ、腹の底で黒い渦がドロドロとうずまいていく。


「あまり気構えるなよ、兄君。お茶でも飲んで緊張を解したほうがいい」

「………ご忠告をどうも、オークハルト」


 オークハルトが彼の専属侍女に目配せをする。侍女はぽっと顔を赤らめ、お茶の用意を始めた。


 前回も今回も、彼の周りにはいつだって多くの人がいて賑やかだ。

 侍女や従者はもちろんたくさん居るし、側妃様だってオークハルトによく会いに来る。時には彼の未来の配下候補の令息たち、親の権力を使って会いに来た令嬢などもはべる。お茶会などの誘いも多く、毎日出掛けている。

 オークハルトばかりが、私のほしいものをすべて持っているのだ。


 吐き気を堪えたような表情の侍女に差し出されたお茶を飲む。


「俺の挨拶回りが終わったら、すぐに兄君のところへ行くから。兄君の挨拶回りを手伝うよ」

「私のことは気にかけなくていい。オークハルトには婚約者候補の選定があるだろう」

「なに他人事みたいに言ってるんだよ。兄君だって選定しなければならないんだからな!」

「私はお前のように選り取りみどりではないからね」

「パーティーが始まる前から諦めてどうするんだ」


 オークハルトが心配そうにこちらを見る。その視線にすら腹が立つ。


「今日はもしかしたら、兄君が運命の女性に出会える日かもしれないだろ」


 オークハルトのもっとも嫌なところはこういうところだ。

 本気で私を兄として慕い、心配し、お門違いな期待を向けてくるところ。

 私は弟のそんなところが憎くて……羨ましい。

 善意のかたまりのオークハルト。愛されることが当たり前のオークハルト。きっとその善良さを傷付けようとする人間なんて、彼の周りには居ないのだ。


 せめてその見目の麗しさを鼻にかけて、私に嫌悪の眼差しを向けてくれたらいいのに。そうしたら私の自尊心は救われたのに。

 こんなことを考えてしまう自分自身が、情けなくてしかたがない。


「パーティーでは出来るだけ、兄君を守るから」


 異形の私の自尊心を木っ端微塵にするオークハルトは、窓から差し込む陽光に照らされて、身も心もキラキラと光りかがやく、本物の王子様だった。ーーー私とは違って。





 ガーデンパーティーの会場である庭園へ足を踏み入れたとたん、恐怖に満ちた悲鳴が辺りに広がった。


「イヤァァァァ!!! 化け物ぉぉぉ!!!」

「お母様っ、お母様たすけてぇぇぇっ!!!」


 泡を吹いて倒れる令嬢や、号泣する令息たちの姿を見てしまい、私は視線をそらす。

 救護の者たちがばたばたと辺りを駆け回り、具合の悪くなった子供たちを室内へ運び込んでいく音が続いた。


 だから、こんなパーティーになど出たくなかったのに。


 前回のパーティーも確かこんな感じだった。泣くのを堪えるのに精一杯で、突っ立っていた記憶しかない。


 初夏の庭園は花や緑にあふれ、あたたかな陽光が差し、さわやかな風が時折吹き抜けていく。

 王宮お抱えの料理人たちが用意した菓子や軽食は見ためも美しくて、この場に集まるためにめかしこんだ子供たちを楽しませるものだった。

 ーーーここに登場するのが第二王子のオークハルトだけだったら、皆にとってどれだけ楽しい時間だったのだろう。


 オークハルトを見やれば、彼はすでにご令嬢たちに囲まれていて、その隙間から私を案じるような視線を向けている。

 離れたところで護衛と共にこちらを見つめているフォルトもまた、私を見て心配そうに両手を組んでいた。


 けれど私にとってこのパーティーは二回目だ。

 周囲の子供たちの様子に息苦しさを感じるが、前回ほどは傷付いたりしない。

 今日はどうせこの一時だけだ。この一時だけ耐えればまた安全な離宮へ戻れる。この先社交界に出るようになったら、もっともっと苦しみを味わうのだから。今日のこの一時などまだ容易いものなのだ……。

 私は自分にそう言い聞かせて、地面を見つめた。


 ふいに私の視界のなかに、薄黄色のドレスのすそが映る。ふわふわと揺れるドレスは、私の目の前で止まった。

 思わず息を飲む。

 おそるおそる顔をあげると、カーテシーをしている令嬢が見えた。うつむいた顔に緩やかなウェーブを描くローズピンク色の髪が垂れかかり、毛先がわずかに揺れている。


 前回の人生ではこんなことは起きなかった。令嬢がすすんで私に近づくなんて。

 この令嬢はなぜ私の目の前にいるのだろう?


 私はかなり混乱してしまい、令嬢に声をかけることを思い出したときには随分な時間が経ってしまっていた。


「……私は、第一王子ラファエル・シャリオットです。どうか顔をあげて、お名前を教えてください」


 慌てて声をかけると、令嬢が顔をあげる。


「ブロッサム侯爵家の長女、ココレットと申します。どうぞお見知りおきを」


 小鳥のように愛らしい声でそう言って、ココレット・ブロッサム侯爵令嬢は微笑んだ。


 そのあまりの美しさに言葉を失う。


 うるんだペリドットの瞳、薄紅色の頬と唇、妖精のように整った顔立ち。美の女神が自らの手で、丹精を込めて作り上げたような女の子が、そこには居た。

 ブロッサム嬢の瞳には異形の私に対する悪感情がまるでなく、いっそ慈愛のこもった眼差しを私に向けてくる。


 意味が、わからない。

 前回の人生では、こんなに美しい女の子なんて存在しなかったはず。


 この世の奇跡を目の当たりにして許容範囲が越えてしまった私は、ただブロッサム嬢の美しさに見惚れ、優しい微笑みに混乱し、胸がいっぱいで、頬が熱くて、心の臓が痛くて、泣きそうで、自分の醜さがほとほと嫌になり、でも、でも、彼女を見つめていたくてーーー。


『今日はもしかしたら、兄君が運命の女性に出会える日かもしれないだろ』


 ふいに先ほどのオークハルトの言葉を思い出す。

 あんなに憎い異母弟の言葉にさえすがりついてしまいたいほどの恋が、私の胸のなかに生まれてしまっていた。

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