第3話 薔薇園






 さて、わたしは現在王宮の広い庭園をラファエル殿下と共に散策中である。

 ここまで来るのに少々手こずった。


 わたしの挨拶のあとのラファエル殿下の行動はピュアピュアだった。顔を赤らめたり、かと思えば青ざめたりして、次の言葉が出てこない。


 本来なら国の第一王子に対して挨拶の列ができるべきなのだけど、わたしの後ろには誰もいない。ラファエル殿下が自らほかの令息令嬢に挨拶に出向く気力もなさそうで、つまりこの会場中で殿下と会話する相手はわたしただ一人という状況だった。

 それをいいことに、わたしはラファエル殿下の前から下がらなかった。

 どうせならこの針の筵のような状況から離脱するために、庭園のなかへ移動する方がいいだろう。周囲からの蔑みの視線を一身に集めるなんて苦行に、耐えて欲しくない。


 そのためには、わたしは殿下を言葉巧みに誘い出さなければならなかった。


「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。王宮のお庭はとても美しいとお聞きしていたので、わたし、とても楽しみにして来ました」

「……は、はい」

「今は薔薇園が見頃なんですよね? ぜひ拝見させて頂きたいですわ」

「……はい、ぜひ、ブロッサム嬢も庭を散策してみてください。ば、薔薇園はあちらの、橋を渡った先にあるので、ご自由に……」


 誘ってよラファエル殿下ぁ!


 会話中もまともに視線が合わず、けれどチラチラとこちらの様子を伺ってくるラファエル殿下に心のなかで叫ぶ。

 もうこっちとしては強引に腕を引っ張られて茂みに連れて行かれて、無理矢理に唇を奪われても全然問題ないくらい、お誘い待ちの状態だからっ!


 けれどラファエル殿下の頭のなかには、わたしを誘うという考えは全くないらしい。

 わたしはラファエル殿下の目の前にすっと手を差し出した。


「初めて向かう場所だから、迷ってしまいそうで不安ですわ。どうかわたしのお傍に居てくださいませんか、ラファエル殿下……」


 うるうる輝くペリドット色の瞳で上目遣いをし、困ったように小首を傾げれば。

 ラファエル殿下はこれ以上なく顔を赤らめ、唇を震わせた。


「……私などで、よろしければ……」


 ラファエル殿下は恐る恐る、わたしの手を取る。声も指先も震えていた。


「……ご案内いたします」

「まぁ、お優しいのですね。感謝いたしますわ」


 白々しくわたしが手を握り返すと、殿下の蒼い瞳が長い前髪の向こうで潤んだような気がした。





 薔薇園は生気に満ち溢れていた。

 何十種類もの色とりどりの薔薇が咲き、芳しい香りを漂わせている。蝶や蜜蜂が花々のあいだを飛び交い、どこからか野鳥の鳴く声が響いてくる。

 みんなはまだ第二王子に群がっているのか、人影も少ない。束の間の楽園のようだ。


 離れた場所から護衛の騎士に守られながら、立派な薔薇のアーチを潜って行く。

 葉や枝の間から差し込む陽光があたたかかった。


 ラファエル殿下はずっと口をつぐんだままだ。

 わたしはそれをいいことに、殿下の横顔をうっとりと堪能した。


 すべすべの陶器肌、薔薇のつぼみのような唇、すっと高い鼻梁、伏し目がちな目に長い金色のまつげ。

 まつげのあいだから見え隠れするサファイアの瞳は、時折こちらを盗み見しようとして……わたしと目が合うたびにボンッと音が鳴りそうなほど急激に赤面する。そしてオロオロと視線をさ迷わせ、またわたしの方をそっと伺って瞳をうるませるーーーこの繰り返しである。天使か。


 もうわたしにはラファエル殿下が天使にしか見えない。殿下の様子がいちいち愛らしくて、心のなかでずっと悶え苦しんでいる。なんなのこの生き物。お持ち帰りしたい。好き。大好き。結婚して。


 わたしは殿下と交流を深めようと口を開く。


「本当に立派な薔薇園ですね。一度にこれほどの種類の薔薇を見たのは初めてです」

「…………」

「まぁ、あそこに咲いている薔薇はとても不思議な紫色をしていますのね。なんという種類の薔薇なのか、ラファエル殿下はご存じですか?」

「………」

「ラファエル殿下?」

「……ブロッサム嬢」


 ラファエル殿下がようやく口を開いてくれたので、わたしは少し安堵する。

 薔薇を背景に立つラファエル殿下はまるで乙女ゲームのスチルみたいに美しかった。胸がキュンとする。


「あなたにご兄弟は……弟はいらっしゃいませんか?」

「え」


 突然の発言に驚きながらも、わたしは首を横に振る。

 もしかして家族の話で会話を広げようとしてくれているのかな? ラファエル殿下には異母弟のオークハルト殿下がいらっしゃるし。


「いいえ。おりませんわ。一人娘ですの」

「……そう、ですか。あの、今までになにか大きなご病気をされたことはありますか?」

「…一年ほど前に流行り病にかかったことがありますが」


 なんの質問だこれ? と思いつつも答えると。

 ラファエル殿下はなにかを納得したように頷いた。


「ブロッサム嬢、ブロッサム侯爵家は長年中立派を維持していたと思うのですが……」


 そしてラファエル殿下は困った顔をしながら、そんなことを言い出した。

 困り顔のラファエル殿下も素敵……ってそんな場合じゃないっ!

 なんかわたし、物凄く誤解されてる!?


「え、あの、」

「ブロッサム領の税収はずっと安定していますし、侯爵家にも借金などはなかったはず。ブロッサム侯爵にもお会いしたことはありますが、少なくとも、王宮の権力争いに積極的に関わるタイプだとは思っておりませんでした」

「違います……! いや、父は確かに権力争いに自ら首を突っ込むような人ではありませんが……!」


 わたしがラファエル殿下に近づいたのは父であるブロッサム侯爵の指示で、権力のために正妃になりたがっていると思われてる……!


 確かに貴族には政略結婚が付き物だ。

 イケメンと恋愛結婚したいなんて生ぬるい考えを持っているわたしは、令嬢失格なのだろう。

 でも、わたしがラファエル殿下に近づいたのは、ただ殿下に捧げた恋のためなのだ。誤解されるのは辛い。


「……私は酷く醜いでしょう?」


 ぽつりと、ラファエル殿下が呟く。


「そんなことありませんわ、殿下。絶対にそんなことはありませんっ」

「いいえ、世辞はいいのです。自分が影でなんと言われているかなんて知っていますから。化け物、シュバルツ王の再来、……異形の王子だと。

 母でさえ私を生んだことを後悔していますし、使用人たちですら私に触れるのを嫌がっています。

 ブロッサム嬢も先ほど見たでしょう? 私の姿を見て倒れた令嬢たちの姿を。あの会場には正妃派の家の子供たちも居たはずなのに、あなた以外は誰も私に近寄っては来なかった……」


 ラファエル殿下は、エスコートのために殿下の腕を掴んでいるわたしの手を見下ろす。


「あなたの望みは、次期国王の正妃ですか? それならそれで、いいのです」

「ちが……っ!」

「私に触れても微笑んでくれる女性がいるとは、夢にも思っていませんでしたから」

「わたしは殿下のお姿をとても好ましく感じていますわ!」

「あなたの慰めさえうれしい……」


 わたしの言葉をまったく信じてくれない。

 ラファエル殿下の抱える闇が深すぎる。

 それだけの扱いをずっと受けてきた人なのだ。


 ここでこのまま愛の告白をしようと、絶対に真に受けてはくれないだろう。

 出会ったばかりのわたしは、殿下にとって信用に足る人物なんかじゃないし、わたしも殿下のことを知らなすぎる。

 でも、こんな悲しい勘違いなんてされたくない。


 どうしたらこの人に、わたしの好意は届くのだろう?

 わたしは泣きそうだった。

 本当に傷付いているのはラファエル殿下なのに。


「ブロッサム嬢?」

「わ、わたし、わたしは……」


 なんて言葉を続けたらいいのかわからない。

 ただ唇を震わせ、うるうるとラファエル殿下を見つめれば。殿下は恥ずかしそうに視線をそらす。


 甘いような、苦いような沈黙が辺りに広がった時ーーー。


「兄君! 兄君っ! こちらに居たのだなっ!」


 金髪のキングオークこと、第二王子が一人の令嬢をエスコートしながら薔薇園に現れた。

 シリアスの真っ最中に、吹き出すかと思った。

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