熱を帯びない私の推し活
紗久間 馨
「推す」とは
「推す」とはどういうことだろう。
私にも「推し」はいる。しかし、その熱量が低すぎて「推し」と言えるのかは疑問である。
出演した番組は録画しておくものの、数ヶ月ほど放置してしまう。特典のために同じCDを買ったりはしないし、グッズも使用しなさそうなものは買わない。
推しが結婚しても「○○ロス」という状態に私はならないと思う。結婚後も変わらずに良いパフォーマンスをしてもらえればいい。でも、結婚を機に引退なんてことになったら悲しくなるだろう。
私の推す気持ちなんていうものは、その程度なのだ。
特典のために同じCDを何枚も買う人、カバンをたくさんのグッズで飾っている人、SNSで推しについて語ったりする人・・・・・・。そのような熱のある応援ができることを羨ましく思うことがある。今の私にはできそうにないことだから。
どうして私は熱くなれないのだろう。
「推し活」について考えるために過去を思い起こしてみたら、なんとなく理由が見つかった気がする。推しの応援を続ける中で、急に虚しい気持ちになるのである。
雑誌・DVD・グッズを購入したり、イベントのために遠征をしたり。私も熱狂的なファンだったことがある。しかし、急に冷めてしまうのだ。出演作品やイベントを追いかけるうちに疲れてしまうのだと思う。
「私は何をやっているのだろうか?」
「どうして好きだったのだろうか?」
そんな疑問が不意に湧いてくる。推している理由を私自身が見失ってしまう。推しのおかげで幸せな気持ちになっていたはずなのに、気がつけば苦しいと感じてしまっている。
持久力がないのならば、最初から熱くならないのがいい。だから、熱を帯びずにぬるま湯くらいのところで静かに推していくのが丁度いいと思うのだ。そんなふうに今の推しは長く応援していきたい。
「そんなの推してるって言わなくない?」
熱狂的に推し活をしている人はそう言うかもしれない。
適度に課金をし、無理のない範囲で応援していく。SNSで応援のコメントやいいねをしていく。それだって「推し活」だと思う。
「推す」とはどういうことなのか。熱くなくても誰か(あるいは何か)を好きで追いかけているのなら、推していると言ってもいいのではないか。これが私の答えである。
熱を帯びない私の推し活 紗久間 馨 @sakuma_kaoru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます