20

 尾行の正体を探るべく人通りの少ない道へと出た。夜が近いせいでかなり薄暗い。祭りの中心である繁華街からも遠く、あれだけ騒がしかった喧騒も小さく聞こえる。

 二人は大きな建物の角を曲がって路地裏へ入ると、物影から背後を覗き込んだ。


「どいつだよ」

「あれ……? 居ない?」


 リリアは首を傾げて呟いた。まばらに人が歩いているだけで、怪しい人影は無い。


「勘違いじゃない?」

「いや……、そうかなぁ」

「晩飯買って帰ろうぜ。腹減ったよ」

「……うん」


 そんな会話をしながら振り返ると、目の前に白髪混じりの男が立っていた。

 ごく普通の格好だった。腰に提げた刀も、護身用として持ち歩いている人も少なくない。しかし、その曇った瞳を見た瞬間、二人は咄嗟に身構えていた。

 鴉や狼とは違う。一欠片の殺気も無い。それどころか、目の前に立っているにもかかわらず、その男の気配のようなものを全く感じ取ることができなかったのだ。

 まるで、幽霊と対峙したかのような不気味な感覚。


「アキラ……と、蜘蛛の娘だな?」


 沈黙。遠くに聞こえる祭りの喧騒。

 男は提げていた刀の鯉口を切った。袖の隙間から九頭龍が顔を覗かせる。


ネズ公の情報通り」


 男は刀を抜いて正眼に構えると、一つ息を吐いた。


「我こそは」

「逃げるぞ!」

「お、おい! 待て! 聞け! この……!」


 いちいち聞いてやる義理は無い。名乗りを上げる男を待たず、二人は路地を走り出した。


◇◇◇


「んだよ、アイツは!」


 走りながら、彰は吐き捨てるように言った。

 見た目からして高齢なはずだ。それにもかかわらず、あの男は二人の脚についてきている。それどころか距離は少しずつ縮まってきていた。

 人通りの多い場所へ逃げられれば撒けるかもしれないが、繁華街から離れすぎてしまったせいで、それよりも早く追いつかれそうだ。


「たぶん蛇の一派……、だと思う」


 リリアが呟いた。


「蛇?」

「九頭龍にいる月島武者の一派」

「月島武者?」

「そ。三十年前の敗残兵」


 と言われてもピンと来ないが、とにかく九頭龍関連の人間らしい。それならば彰の命が取られることはないかもしれないが、リリアはどうだろうか。


 詳しくは聞いていないが、彼女は組織を裏切ったということだった。組織幹部の情報を握る彼女を九頭龍が生かしておくわけがない。


「ここは俺が……」


 言いかけると、リリアは彰を小突いた。


「そういうのは、剣をまともに振れるようになってから言いな」

「たまにはカッコつけさせろよ!」

「バカなの?」


 少し笑うと、リリアは短刀を抜いて立ち止まった。


「おい! リリア!」

「このまま逃げても追いつかれるでしょ!」


 男は躊躇なく刀を振るった。リリアは間一髪で避けると、喉元へ短刀を滑り込ませる。だが男は、まるで風に揺られる木の葉のように、ふわりとそれを躱した。


「俺も加勢を……」

「うっさい、バカ! さっさと逃げなよ!」


 一瞬の隙。茜色を映した白刃がリリアへ迫る。彰は咄嗟に彼女の首根っこを摑まえて引き寄せた。男の刀は彰の額を掠めていく。


「危ねーなァ! 俺が死んだらどうすんだ、ジジイ!」

「ちょっと、アキラ!」

「小言は後で聞くから! 二人で逃げるぞ!」


「逃げられると思うな」


 男は瞬きする間に二人の目の前へ回り込むと、逆袈裟に刀を振り上げる。


「待て」


 鋭い声がしたかと思うと、男の刀はリリアの首の寸前でピタリと止まった。


「師範代……」


 呟く彼の背後に、一人の老人が立っていた。小柄ではあるが異様な存在感。そして、手の甲には九頭龍の刺青。

 一目で彼が件の「蛇」だと分かった。


「子は世の宝だ」


 蛇は刀に手を置き、ゆっくりと下ろさせる。


「俺たちァ確かに人の道は外れたが、ガキに手をかけるほど落ちぶれてねェだろう?」

「だが、こいつは蜘蛛の娘。それに、もう子供という年でもない。生かしておく理由は無いでしょう」

「ハッ。俺から見れば、あン時の洟垂れと変わらねェな。それに、こいつが俺たちの何を知ってるってんだ? なァ、リリア」


 蛇は、なおも刀を納めない男を鋭く睨む。


「刀を納めろ」

「…………師範代。アンタは甘すぎる」


 次の瞬間、目の前で二振りの刀が火花を散らした。巻き起こった風が砂埃を巻き上げる。その剣速は、もはや目で追えるようなものではなかった。こんな化け物が襲ってきたとして、勝てるイメージが浮かばない。

 男は静かに尋ねる。


「九頭龍を裏切るのか?」

「裏切りはしねェ。目的が合致する限りはなァ」

「……」

「俺たちが刀を捧げた相手は『龍』か? 違ェだろう。俺たちのあるじは殿、ただ一人だ」


 それを聞いて、男は刀を納めた。どうやら敵対するつもりは無い様子だが安心はできない。リリアは静かに短刀を構える。


「見逃すの?」

「見逃す? それは違ェな。生かそうが殺そうが利害がねェ。無駄な殺生は月神の教えに逆らう行為だ」

「アタシが情報ばら撒くかもよ?」

「その程度で死ぬような奴は必要ねェ」


 蛇は冷たく言い放った。だが、その言葉に含まれていたのは単に冷酷さだけではない。確かな実力に裏付けられた、絶対の自信である。


「よう、若いの」


 蛇が刀を納めながら言った。


「ここで会ったことは忘れようじゃねェか。その方がお互い都合が良いだろう?」


 異論はない。彰は静かに頷く。


「それと、出発は明後日以降にしな」

「なんでだよ」

「月島へ行くんだろう?」

「どうしてそれを……」

「鼠はどこにでも居るもんさ。俺たちァ明日の朝、月島へ向けて発つんだ。かち会わねぇ方が良いだろう」


 そう言うと、老いた二人の男は静かに背を向けた。先ほどまでの覇気は完全に消え失せ、夕日に照らされた二人の背中はどこか物悲しさを帯びていた。

 去り際、蛇がちらりと振り返る。


「デカくなったなァ、リリア」


 そう呟く顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。


◇◇◇


 欠けた月が東の空に浮かんでいる。遠くに見下ろす主佐野市は、夜だというのに明るく浮かび上がっていた。


「お、おい! 早く殺してくれよ! いくら出したと思ってんだ!」


 小太りの男が馬車に身を隠しながら叫んだ。その近くには、共に行路隊を組んでいた仲間の死体が幾つも転がっている。その前に立ちはだかるのは、巨大な剣を持った二つの巨躯。

 しかし、その一方は剣を取り落として膝をついた。


「兄……者…………!」


 擦れた声で兄を呼ぶもう一人も、ボタボタと血を垂らしながら崩れ落ちた。それを黙って見下ろす男が一人。

 その男は、岩のような拳を握りしめると、ゆっくりと振りかぶった。


「待ちなさい、エナス」


 老人の言葉で、エナスと呼ばれた男はピタリと止まった。


「二人は殺さず、取っておきなさい。後で使うから」


 淡々と言うと、老人は革製の鞄をドスンと地面に置いた。それを見た小太りな男は、小さく「戦争屋……」と呟く。


「おや、私をご存じとは」

「お前を知らねぇ商人は居ねぇ! 人心を捨てて、金のために魂を売った……ッガ…………!」


 エナスが男の首を掴んで持ち上げる。彼がちらりと振り返ると、戦争屋は「それは構わん。潰せ」と答えた。すると、首の折れる音と同時に男は事切れた。

 血の池に死体が転がり、そこへ死肉を求めた羽虫が集まる。まさに地獄を絵にかいたような光景が広がっていた。


 そこへ呑気な声が聞こえてきた。


「やけに血生臭いなぁ……」


 木の根で荒れた山道から現れたのは、武器も何も持っていない一人の男。ノーワンである。

 彼は目の前に広がる光景を目にすると、「うわ」と小さく呟いて立ち止まった。そして、呆れたようにため息を吐く。


「君らは誰かを殺していないと死ぬのかい?」

「やぁ、ノーワン君。息災でなにより」


 戦争屋。そう呼ばれた老人は、ノーワンを見て小さく笑った。


「今回は長い旅路だったようだね」

「あぁ。北島からゆっくり南下していったんだ。ヨハンは見つからなかったけど」

「それは残念だ」

「ただ、いろんな人が居たよ。良い人も悪い人も」


 ノーワンは遠く、主佐野の街の明かりを見て言った。その目はどこか悲しげでありながら、その奥には強い決意が現れていた。それを見て、戦争屋は尋ねる。


「実際に回ってどうだった。この国は」


 ノーワンは東の空へ上った月を見上げて答えた。


「どの場所でも、どの時代でも変わらない。人間は皆同じなんだ」

「それで、君の意志は変わったのかい?」

「いや。皆同じだったからこそ変わらない」


 そこまで言うと、ノーワンは黙りこんだ。そして、自分に言い聞かせるように、力強い声で言った。


「この世界の人たちには、全員死んでもらおう」

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