21
「……さて、どうしようか」
街のベンチで彰は隣に座るリリアに尋ねた。リリアは「そうだねぇ……」と呟いたきり、通りを見つめて黙り込む。
二日酔いの街ではキジバトの間の抜けた鳴き声が響いていた。まだ太陽は東の空にある。旅の準備は昨日の間に済ませてしまった。本来ならば、もう街を出ている時間帯だ。
彰は呟いた。
「アイツら、もう行ったかな」
アイツら、というのは昨日遭遇した「蛇」という男である。出発が延期になったのも、その男のせいだ。
九頭龍ということで「敵討ちはいいのか」とリリアに聞くと、彼女は一言「あれには勝てない」とだけ答えた。確かに、あの男の強さは素人目にもよく分かった。下手に戦いを挑むよりも、おとなしく彼の寿命を待った方が早い気もする。
「午後からでも出発する?」
リリアが尋ねてきた。
行路隊の多くは野宿を避けるために早朝に出立することが多い。午後から街を出るとなると、二人で魔獣のいる旅路を進まなければならない。
「西側は魔獣も少ないって聞くし」
「そんなこといって襲われたら目も当てられないぞ」
「そうだねぇ……」
そう呟くと、再びリリアは黙り込んだ。とにかく明日の出発まではやることが無い。
彰は大きく伸びをすると、「屋台巡りでもするか」と立ち上がった。
◇◇◇
「三十年前。月島とマテラスで戦争があったらしいの」
隣を歩くリリアが言った。
「三十年前もあったのかよ。……なんかしょっちゅう戦争してんな」
「そんなもんじゃない? 月島には昔、月島武者っていう強い人たちが居たんだけど、結局はマテラスに併合されたんだ。で、『蛇』の一派はその時の敗残兵」
「つまり落ち武者ってことか」
国のために命を懸けた戦士が、巡り巡って暗殺稼業とは。昨日見た哀愁を漂わせた背中が脳裏をよぎる。
屋台の並ぶ通りへと出たが、昼前ということもあって人はまばらだった。昨日の「月島蕎麦」の屋台でも主人がプカプカと煙を吐いている。前を通ると、葉巻のニオイと一緒に懐かしい出汁の香りがした。
「あのさ」
彰はその暖簾を見て、ポツリと呟く。
「『日本』って知ってる?」
「え? ニホン?」
「そう。日本」
思った通り、リリアは首を傾げた。
「ニホンって何?」
「俺のいた国の名前」
「変な名前だね」
「…………」
マテラスで暮らしていても感じたことだが、特に月島に関しては日本との共通点が多すぎる。日本語はもちろんだが、蕎麦や醤油まで似たものが存在するとなると、もはや偶然では済まされない。
「マテラスの文化と似たところが多いんだよね。日本は島国なんだけど、近くにそんな島ない?」
「さぁ、聞いたことないね。マテラスも島国だし、偶然じゃない?」
これ以上尋ねても、リリアは首を傾げるだけだろう。彰は「そうかぁ」とだけ言うと、屋台の並ぶ通りに視線を戻した。
考えられることとすれば、かつて日本人が転移してきて文化を伝承した、というのが自然だろう。銃も無いほど昔であれば、転移者が神として、それこそ「竜神」として崇められても不思議ではない。
月島もそうだ。おそらく、マテラスでいうところの「竜神」のような存在が、過去に転移してきたのだろう。
「……あの」
その時だった。
二人の前に現れたのは、身長二メートルはあるかというほどの大男。腰には、一般的なものの倍はありそうな大きさの剣を提げている。しかし、彼の口から発せられる言葉は、その体格からは想像できないほど小さいものだった。
「……いん…………」
「え? なんて?」
「びょう…………うぅ」
顔色は青というより緑色に近く、左の上腕が妙に腫れあがっていた。彼は虚ろな目で二人を見下ろすと、フラフラと後ずさった。
「きみたち……、はなれて……………………」
「だ、大丈夫? いや、見るからに大丈夫じゃなさそうだけど……」
「違う! 違う…………! 嫌だ! いや、ちが……っぅぼェ」
口から血を吐いたかと思うと、彼は膝から崩れ落ちた。思わず駆け寄ろうとした彰を、リリアが慌てて止める。
その時リリアが感じたのは、あの山で邂逅した「トチガミ」から感じたものと同質のものだった。男ではない「何か」が彼の身体に居るような気配である。だが、その気配は「トチガミ」のような静かなものではなかった。彼の中に感じたのは荒れ狂う嵐のような獰猛で純粋な殺気。
男はうめき声をあげながら顔を上げる。その額には、血のように赤い結晶が浮き出てきていた。それを見て彰が思わず呟く。
「魔獣……」
あるいは「魔人」と呼ぶべきか。
憎悪に満ちた彼の赤い瞳は、以前遭遇した魔獣と同じものだった。体も心なしか肥大化しているようにも見える。
魔獣は突然変異によって産まれると聞いていたが、これほど急速なものなのだろうか。突然変異というよりも、何か別の外的要因によって変質したように思える。
まもなく周囲で悲鳴が上がった。混乱は伝播し、瞬く間に広がっていく。
その中心で、二人はただ茫然としながら不気味な魔人と対峙していた。
「おれ……じゃない」
「何?」
微かに聞こえた男の声に彰が反応すると、彼はおもむろに腰の剣を抜いた。そして、二人をじっと見据えて剣を構える。明らかに素人の構えではない。
それが何を意味するのか分かった時、リリアは彰の首根っこを引っ掴んで逃げ出した。だが強化された脚力の前では、容易に二人との距離など無いに等しい。
「やっば!」
咄嗟に身を屈めたリリアの頭上を、聞いたこともないような風切り音と共に大剣が走り抜けた。
投げ出された彰はゴロゴロと地面を転がると、剣の柄に手をかける。しかし、結局剣を抜くことなく、その場で思わず笑ってしまった。
「……これどうすんだよ」
男の姿はもはや見る影も無い。異常に肥大化した筋肉は皮膚を裂いて血に染まり、額の結晶は歪な角のように伸びている。充血した目は痙攣したように震え、食いしばった歯の間からくぐもったうめき声が漏れ出ていた。
地獄の鬼でも、もう少しマシな見た目をしているだろう。
その魔人は足元にいるリリアを見下ろすと、ゆっくりと剣を振り上げた。それと同時、通りに一発の銃声が響き渡る。
「そこの二人! 早く逃げなさい!」
女性の声に振り返ると、そこには
「リリア!」
彰はリリアの腕を掴むと、通りを横切るように走り出した。それを追おうとした魔人に対し、容赦なく銃弾が浴びせられる。
「なんなの、あれは!」
「知らねーよ! とにかく逃げるぞ!」
二人は路地裏に駆け込むと、振り返ることもなく走った。遠くから何発もの銃声と、幾つかの悲鳴が聞こえた。
◇◇◇
こういった際の情報は、尾ひれを伴って恐ろしい速度で伝播する。大通りに化け物が出て、人を片っ端から貪り食っているという話は、すぐさま主佐野市を覆った。
「こりゃ、通りへは行けないわな」
人で溢れた通りを眺めながら彰は呟いた。リリアはどこから取ってきたのか街の地図を取り出す。
「裏通りを進んでいけば街の外に避難できる。アタシについてきて」
「さすがっす、姐さん」
「誰が姐さんだ」
リリアは木箱から飛び降りると、裏通りを早足で歩きだした。
遠くで破壊音が聞こえる。まだ戦闘は続いているのだろう。人を相手にした戦いに慣れているのか、山で出会った魔獣とは異質な強さを持っていた。
しばらく進むと、少し広い通りに出た。もうすでに避難したのか、人の姿は見えない。
「この通りを西に向かえばいい」
「西ってどっち?」
「西って、あの塔が見える……」
「あに…………じゃ……」
くぐもった声が聞こえた。
「たすけ…………」
かろうじて言語と判別できる声。
二人が振り返ると、そこには大きな魔人が一人立っていた。
遠くからは、まだ銃撃戦の音がしている。この魔人は先程とは別の個体ということだ。
周囲には憲兵はおろか、通行人さえ居ない。数歩後ずさるリリアに対して、彰は静かに剣を抜いていた。
「……ちょっと! 何考えてんの!」
魔人を刺激しないように、リリアは小声で言った。
少なくとも、大通りの魔人は、銃を持った衛兵が束になって互角に戦えるような相手だった。彰程度では逆立ちしても勝てやしない。
リリアは彰の背中を引っ叩いて言った。
「勝てるわけないでしょ!」
「んなことは分かってるって!」
「なら、さっさと逃げるべきでしょ!」
「逆だ! コイツ、人並みに知性があるんだぞ! どうして襲ってこないか考えてみろ!」
確かに彰の言う通り、魔人は剣を握りしめたままジッと二人を見つめて動かない。
「コイツの目的は俺たちを食うことじゃない。それならとっくに食われてるからな。こいつらの目的は『殺人』だ」
魔獣の獰猛さは、目に入った動くもの全てに襲いかかるほどだ。しかし、その目的は捕食ではない。腹が減っていれば食べるだろうが、その多くは殺されたまま放置されている。
彼らの目的は、生物の殺害なのだ。
「コイツは俺たちが逃げた先にいる人たちを狙ってんだ」
最初の魔人に出会ったのは屋台の並ぶ大通り。祭りを楽しむ人々で溢れていた。だが、今は二人以外に人影は無い。
「じゃあどうすれば……」
「誘導する。憲兵のいる場所に」
「はぁ? 憲兵ってどこに居んのさ!」
彰は街の東に立ち上る黒い煙を指差した。銃声はもう止んでいる。
銃を持った兵がいるとなれば、他に思い当たる場所は無い。彼らにとっては連戦となるだろうが、今は頼るしか方法が思いつかなかった。
しかし、ここからはかなり距離がある。リリアは短剣を構えながら尋ねた。
「本気で言ってる?」
「他にどうす…………、来るぞ!」
逃げないと分かったのか、魔人は大剣を振りかぶった。こんなものを受け止めれば、頭から真っ二つにされそうだ。二人がその場を離れると同時、轟音を立てて大剣が振り下ろされる。
彰は粉々に砕けた石畳を見て呟いた。
「ごめん、やっぱ無理かも」
「今さら言わないでよ! やるって決めたならやるよ!」
リリアは彰の尻を蹴飛ばして走らせると、自分もその後から走り始めた。
しかし、相手は魔人。引き離すことはおろか、二人の脚力では時間稼ぎすらできない。
彰は剣を納めると、懐から何か取り出す。
「ちょっと! 爆弾!? どこから盗ってきたの!」
「落ちてたんだよ! 山の中に!」
彰はピンを引き抜くと、背後へ放り投げた。地面へ落ちたそれは、強烈な閃光と共に炸裂する。
「閃光爆弾!?」
「狼の落とし物だけど……、これ使えるな」
「……で、どうする? 逃げる?」
リリアが尋ねる。
魔人はまともに食らったらしく、頭を抱えてうずくまっていた。今ならば逃げられるかもしれない。
「いや」
彰は首を横に振った。
「いつか誰かがやらなくちゃいけないんだ。やれることはやってみようぜ」
「アンタって、すぐカッコつけるよね」
「男は皆そういうもんなの」
魔人は左右に首を振ると、二人を睨みつけた。
「かなり怒ってない?」
「さっさと逃げるぞ!」
二人は魔人の咆哮を背に走り出した。リリアは彰に尋ねる。
「それで、あと幾つあるの?」
「何が?」
「閃光爆弾。まだあるんでしょ?」
「え? あれで最後だけど……」
二人の間にふわりと銀糸が舞った。リリアがグローブをはめた右手を引くと、その糸は彰の首に絡みつく。
「ちょ、痛い痛い! 首締まってる!」
「締めてんの! アンタ、バカなの!? アレに殺される前にアタシが殺してやろうか!」
「ひでェ!」
「ひどいのはアンタの脳みそだよ! 閃光爆弾なしで、あの化け物からどうやって逃げるのさ!」
そう言っている間にも、魔人は剣を担いで迫ってくる。
「仕方ねーだろ! 無いものは無いんだ! 気合で逃げるぞ!」
「後で覚えときなよ!」
「後があればな!」
「この……!」
その瞬間、二人の髪の毛を斬撃の風圧が撫でた。それっきり二人は黙ると、一目散に裏通りを駆け抜けた。
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