19

 かつて、主佐野の見下ろす山の上に、九つの首を持つ龍「九頭龍」が住んでいた。九頭龍は気まぐれに人里へ下りてきては、田畑を飲み込み、民家を荒らして回っていた。

 それを聞きつけた初代マテラス国王は、自ら山へ趣き、九頭龍を討ち倒したという。


「――それがきっかけで、この『龍鎮祭』が始まったと言われているんだ」

「……」

「ただね、この龍っていうのは、実際はこの街を流れる川を指していたんじゃないかっていう説が……」

「っていうかさ」


 彰は隣で喋り続けるノーワンの言葉を遮った。


「よく無事だったな、ノーワンさん」


 ノーワンは頭を掻きながら「まぁね」と答える。


 龍鎮祭の二日目。

 夜に比べると街全体の人通りは少ない。とはいえ、屋台の並ぶ大通りだけは昼食を求める観光客で溢れかえっていた。

 せっかくだから、と旅の準備ついでにやってきた二人は、路地裏の軒下で眠るノーワンを偶然見つけたのである。


 人混みの中を歩きながら彰は尋ねる。


「ずっと隠れてたのか?」

「うん。ゲンコツで済んだよ」

「見つかってんじゃねーか」


 行路隊の荷馬車で出会ったノーワン。

 彼と顔を合わせたのは、到着直前に彼が樽に隠れて以来だ。他の荷物と一緒に運ばれていく樽が、どんな運命を辿ったのかは分からない。


「お二人は宿とれたかい?」


 ノーワンは立ち並ぶ屋台を眺めながら尋ねる。リリアが「なんとかね」と答えると、途端に彼の目が輝いた。


「お、それは良かった! 実は僕、今晩の宿が無いんだよね! よかったら一緒の部屋に」

「ダメ」


 リリアはノーワンを睨みつける。


「アンタ、人の物盗むじゃん。アタシ、泥棒と同じ部屋には泊まりたくないから」

「お前が言うか……」


 呆れて突っ込むが、彰はリリアの意見に賛成だった。無害を装っているが、ノーワンを信用できないのは確かだ。

 すると、彼は悪びれもなく「今日もどっか忍び込むかぁ」と呟いた。どうやら罪悪感というものが無いらしい。


「アンタ、普段どんな生活してんの?」


 リリアが尋ねた。ノーワンは少し悩んでから答える。


「見ての通りの生活さ。気の赴くまま、西へ東へ行ったり来たり。人生はすべて運命任せ」

「目的もなくフラフラと……。よく生きてこられたな」

「いや、目的はあるよ。僕はさ、この国で暮らす人に興味があるんだ。どんな人が、どんな気持ちで、どんな生活をしているのか。地域ごとにバラバラで面白いんだよね」


 嬉しそうに話していたノーワンは、突然何か思い出したのか「そういえば」と懐から紙を取り出して見せた。その紙には、眼鏡をかけた優しそうな男が描かれている。


「ついでに、この人を探してるんだ」

「誰?」

「僕の……、親父なんだ。もう二十年になるかな。家を出たきり帰ってなくてさ。見たことない?」


 白衣を着た初老の男性で、これといった特徴もない。見覚えはないが、たとえ見ていたとしても覚えてはいないだろう。

 二十年も前から消息不明となれば、あまり考えたくはないが亡くなっている可能性も低くはない。ノーワンも諦めているのか、二人が首を横に振ると慣れた様子で「そりゃザンネン」と似顔絵を懐にしまった。


 彼も父親に捨てられたのだろうか。彰は自然と、ノーワンと自分の境遇を重ねていた。少し暗い雰囲気になったのを察したのか、ノーワンは軽い調子で二人の背中を叩く。


「そんなことは置いておいてさ。二人とも、お腹空いてない?」

「まぁ、昼時だし。そろそろ何か食いたいな」

「実は僕もなんだ。せっかくのお祭りだし、一緒に屋台回るのはどうだい?」

「あぁ、別に良い…………」

「ちょっと待って」


 二人を呼び止めるリリアの手に握られていたのは上品な革製財布。それを見たノーワンが、慌てて懐を探りながら「いつの間に……」と呟いた。


「アンタ、もちろん自分の分は自分で払うんでしょうね?」

「え? えへへ?」


 リリアが容赦なく財布を開くと、その中には大判の銅貨が三枚転がっているだけだった。この中身では、屋台巡りには心許ない。


「せいぜい、かけ蕎麦一杯ってとこかな」

「や、やだなー! もちろん自分で払いますよー! かけ蕎麦食べたかったんだ!」


 ノーワンはリリアから財布を受け取ると、少し肩を落としながら歩き始めた。


◇◇◇


 祭りの屋台と言っても、現代日本の夏祭りで見るような、いわゆる出店でみせのような形ではない。厨房に直接車輪が付いたような移動式のものだ。


「まぁ、意外とイケますね」


 かけ蕎麦をすするノーワンが言った。いかつい顔をした屋台の主人は「意外と、は余計だ」と呟く。


「美味いじゃん」

「うん。美味しい」

「そうかい」


 主人は無愛想に言った。

 かけ蕎麦は魚介系の出汁がきいた、醤油ベースの味付けだった。和食の懐かしい風味がする。屋台には「月島蕎麦」の暖簾がかかっていた。

 三人が蕎麦をすすっていると、店の主人は椅子にドカッと腰を下ろしておもむろに葉巻を吸い始めた。この態度を現代日本でやられれば気になっただろうが、今ではもうあまり気にならない。この世界に来てから感覚がルーズになってきているようだ。


「あの……」


 蕎麦をすする三人の横で、不意にか細い声が聞こえてきた。見ると、一人の少年が小銭を握りしめて立っている。


「おそば、一つ……」

「へい、らっしゃ…………、うわ」


 主人は顔を上げると、あからさまに嫌そうな顔をした。

 その少年は破れたシャツを着ており、履いている靴にはポッカリと穴が開いている。彼は店主の顔を見て若干ひるむが、それでも小銭を差し出した。


「おそば、一つください」

「あぁ? お前に出す蕎麦はねぇよ。さっさと出ていきな」


 冷たく言い放つと、蕎麦屋の主人は灰色の煙を吐き出した。だが、それでも少年は動こうとしない。やがて痺れを切らした主人が声を荒げて言った。


「聞こえねぇのか? 出ていけっつったんだ」

「で、でも、お金足りてる……」

「分からねぇヤツだな! お前が居ると他の客が引いちまうだろうが! ほら、さっさと帰りな!」

「それは言い過ぎじゃ……」


 彰が止めに入るよりも早くノーワンの手が動いた。彼は少年の持っていた小銭を素早く奪い取ると、店主の前に叩きつける。


「なら、僕が買います」

「何言って」

「僕が買う。それで問題はないだろ?」


 一瞬、通りがシンと静まり返ったかのように思えた。普段の軽い笑顔とは違う、殺気の籠った眼差し。冷静な口調の裏にある彼の滾るような激情を、その場にいる誰もが感じた。少年に至っては、恐怖で唇が微かに震えている。


「わ、分かった。分かったから……、その、せめて店の脇で食ってくれ」


 店の主人は葉巻を置くと、重ねてあった丼を手に取る。それを見てノーワンは「良かったな」と優しく少年の肩を叩いた。だが、彼の表情はどこか失望したような暗い表情だった。


◇◇◇


「意外と正義感強いんだな」


 少年を見送った後、彰はノーワンに言った。


「意外と、って……。僕は正義の男だよ?」

「どの口が言ってんだか」


 ノーワンはどこから盗ってきたのか、串焼きを頬張っている。


「昔いろいろあってね」

「いろいろ?」

「ほら。いい男ってのは、暗い過去を抱えてるもんでしょ?」


 それを聞いて、リリアは「呆れた」と肩を落とした。ノーワンは優しく笑って二人の肩を叩く。


「君たちは良い人だ。僕みたいになっちゃダメだからね」

「言われなくても大丈夫だよ」

「それなら安心だ」


 彼は街をぐるりと見回すと、「じゃ、僕はそろそろおいとまするよ」と呟いた。


「お暇って、アンタ泊まるところもないんでしょ?」


 リリアが尋ねると、ノーワンはニヤリと笑った。


「知り合いから連絡があったんだ。泊まらせてくれるって」

「連絡? いつの間に?」

「心で通じてるからね。離れても会話ができるのさ」

「はぁ……。聞いたアタシがバカだった」

「じゃあね、君たち。また運命に導かれたら会うこともあるだろう」


 そう言うと、ノーワンは人混みの中に姿を消した。

 最後まで掴みどころのない男だった。人当たりのよさそうな性格はしているが、ある一定の距離に人を近づけない。あるいは無意識なのか分からないが、個人的な関係に至ることを避けているようだった。


 日が傾くにつれて人通りが多くなってきた。裏路地に目をやると、身なりの全く違う二人が、酒を片手に肩を組んで歌っていた。祭りは貧富の溝を曖昧にするらしい。

 彰は屋台を眺めながら、隣を歩くリリアに尋ねる。


「夕飯、何か食べたいものある?」

「……うん」

「いや、『うん』じゃなくてさ」

「……」

「リリア?」

「ちょっと」


 リリアは彰の袖を引いた。


「このまま足を止めちゃダメ。後ろも絶対振り向かないで」

「え、なんで?」


 呑気に聞き返す彰に、リリアは小さな声で返した。


「多分だけど……。アタシたち、けられてる」

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