第三章 魔人

18

 リリアは荷台の窓からぼんやりと外を眺めている。車輪が段差に乗り上げる度に、周りに積まれた荷物がガタガタと揺れた。一応サスペンションは付いているが、肝心のバネが錆びついているせいで全く機能していない。

 朝方に山を出た二人が向かったのは、西にある「主佐野すさの市」。かなり大きな街らしく、街道へ出てすぐに同じ目的地を目指す行路隊に出会った。


「……こんななら、歩いたほうが楽じゃない?」

「まだ言うか」

「こんなの乗ってたら、体ぶっ壊れるよ……」


 馬車に乗せてもらってから、リリアはずっとこの調子だ。出会った行路隊はかなりの大所帯で、二人が乗れるスペースは荷物が積まれた荷馬車の中しかなかったのだ。普段は歩きで旅をするリリアにとっては、余計に息苦しいのかもしれない。

 ただ、リリアが文句を言いたくなるのも分からなくもなかった。彰は軋むバネの音に顔をしかめながら腰をさする。


「おかげで今日中に着けるんだ。それに無料タダで乗せてもらってるしな」

「そうだけどさぁ……」


 リリアはちらりと荷物を見回した。その目線の運び方を見て、彰は事前に釘を刺す。


「盗むなよ?」

「なんで分かったの?」

「おい」


 彰はため息を吐くと、ガタンと荷馬車が揺れた。その拍子に大きめの樽が転がる。


 しばらく揺られていると、不意にリリアが「お、見えてきた」と声を上げた。横から彰も覗くと、畑沿いに続く街道の先に街が見えてきている。他の行路隊と合流したらしく、馬車の数もいつの間にか増えていた。

 彰は大きく伸びをすると、あくび交じりに呟く。


「着いたら宿探しだな。あーぁ、さっさと柔らかい布団で寝たいなぁ」

「あー……、体伸ばして寝たい…………」

「宿、空いてると良いですよねー」

「そうだな。お金はあるよな?」

「うん。結構たんまり貰ったか……ら…………」


 二人はそこで顔を見合わせた。それをきょとんとした顔で見つめる男が一人。


「どうかしました?」


 首を傾げる男を前に、二人は咄嗟に武器を抜いた。


「おいおいおい! なんだこのオッサン!」

「やだなー。『オッサン』じゃなくて『お兄さん』だよ」

「ど、どこに居たの?」


 リリアが尋ねると、彼はしたり顔で背後を指さした。その先に転がっていたのは空の樽。


「あんた、無断で……」


 彰が言いかけると、彼は黙って口元に人差し指を当てた。

 行路隊の人は「荷馬車には他の同乗者は居ない」と言っていた。つまり、この男は無断で荷馬車に潜り込んでいたということになる。


「移動費ケチってんのか」


 彰が言うと、彼は首を横に振った。


「いや、宿代が無くてさぁ。樽で寝てたら積まれちゃったんだよね。でも面白いから、そのまま乗ってきちゃった」

「普段どんな生活してんだ!」

「僕は『ノーワン』。さすらいの旅人さ」

「さすらいすぎだろ!」


 計画性の「け」の字もない。この厳しい世界で、よくこれまで無事に生きてこられたものだ。


 馬車に積まれて食料はどうしていたのだろうか、と彰が考えていると、彼は荷物の中から適当にハムを取り出してムシャムシャと食べ始めた。あまりに堂々としているせいで、二人とも注意するのも忘れて呆然とそれを眺める。


「それで、二人は今から宿を取るんだって?」


 二つ目のハムを取り出したノーワンが尋ねてきた。


「まぁ……、そのつもりだけど」

「うーん、それは難しいかなぁ」

「え?」

「だって、この時期の主佐野市だよ?」


 それを聞いてもピンと来ない二人を見て彼は笑う。


「あちゃー。二人とも、『龍鎮祭りゅうちんさい』知らないんだ」

「りゅうちんさい?」


 すると、リリアは「あ」と一言呟いて固まった。


「お、彼女は知ってるみたいだね。年に一回のお祭り。全国から人が来るんだ。この時期の宿は、すぐ埋まっちゃうからさ。今だと、もうほとんど埋まってるだろうねー」


 一日中馬車に揺られているせいで、既に体はボロボロだ。この上で街で野宿だなんて冗談じゃない。

 青ざめる二人を見て、ノーワンは楽しそうに笑った。


「二人とも、計画性ないねー」

「「お前が言うな!」」


◇◇◇


「部屋! 空いてますか!」

「二人です!」


 宿屋の扉を開けるなり、二人は受付に転がり込んだ。身を乗り出して迫る二人に、受付にいた店主は若干身を引きながら「空いてるよ」と答えた。それを聞いた二人は弱々しい歓声を上げてへたりこむ。


 街に入ってから、何軒の宿屋を回っただろうか。数えることすら諦めた頃、ようやく空きのある宿屋へと辿り着いたのだ。

 天井の隅には蜘蛛の巣、壁には空いた穴を塞いだのか板が貼られている。お世辞にも綺麗な宿とは言えないが、野宿よりはマシだ。


 窓の外では、夜空に華々しく花火が上がっていた。五日間続けて行われる龍鎮祭。今日はその初日である。

 通りでは、九本の頭を持つ龍を模した、獅子舞のような出し物が練り歩いている。その奥では、祭りの目玉の一つである、巨大な龍を乗せた山車が何台か出ていた。


「あぁ……、悪いんだが」


 店主が崩れ落ちた二人に声をかける。


「空いてるって言っても、部屋は一つしかないし、寝具は一つだよ」

「え? なんで?」

「なんで、も何も。一人用の部屋だからさ。それでも泊まるかい?」


 しばしの沈黙。リリアはチラリと彰を見上げる。彰は少し考えると、真っ直ぐな瞳で頷いた。


「はい大丈夫です」

「ちょっと待てや!」


 真っ赤になったリリアが彰の頭を叩く。


「アンタ、一緒に寝るつもり?」

「この前寝たじゃねーか」

「うっさい! あれは事故だから! おじさん! 寝具を真ん中から半分に切れませんか?」

「嬢ちゃん、無茶言うねぇ……」


 リリアは荷物を担いで立ち上がった。


「他の宿探そう」


 そのまま宿屋を出ようとする。しかし扉を少し開けると、通りを埋め尽くす人々の喧騒がドッと流れ込んできた。

 彼女はすぐに扉を閉めると、フラフラとした足取りで受付へ戻ってくる。そして金貨を取り出して受付へ置いた。


「…………部屋の鍵ください」


◇◇◇


 部屋に置かれていたのは、小さなテーブルと椅子が二つ、奥の方にベッドが一つだけだった。この時期限定の観光客のために、無理やり泊まれる部屋を一つ作ったようだった。

 ただ、初めこそ「ボロい宿」の印象だったが、市場も湯屋も近く居心地は悪くない。


 まだ少し湯気の立ち上る頭を拭きながら、彰は背もたれも肘掛けもない椅子に腰掛けた。


「お前、湯屋は大丈夫だったか?」

「包帯巻いて入ったから」


 リリアはベッドに腰掛ける。ギィ、と軋んだ音がした。

 夜風が冷たい季節になってきた。リリアは一つくしゃみをすると、建付けの悪い窓を閉める。


「アタシ、もう寝るけど……」


 気まずそうに言った。


「壁際寄るから、アキラはそっち半分で寝て」

「いや、俺はいいよ。椅子二つ繋げれば、まぁ寝られるだろうし、お前そっちで寝な」


 彰が椅子を並べ始めると、リリアは不満げな顔で「なにそれ」と言った。


「え?」

「なにそれ。なんかアタシが気ぃ遣わせてるみたいじゃん」

「まさに気を遣ってるんだけど?」

「…………」


 リリアは黙ってベッドに入ると、ぐっと壁際に寄って隣を手で叩いた。


「こっちで寝なさい」

「なんて?」

「風邪でもひかれたら、誰が看病すると思ってんの?」


 確かに部屋は風邪をひきそうなほど寒い。が、彼女の言動の根幹にあるものは、心配ではなく幼い対抗心だ。

 彰は「お前…………、かなりメンドクサイなぁ」と頭を掻いた。その呟きを聞き逃さずに、リリアは「なに?」と眉間にシワを寄せる。


「来るの? 来ないの?」

「行きます行きます。行かせていただきます」


 彰がベッドの脇に腰掛けると、リリアは背を向けて布団を被った。「明かり消すぞ」と尋ねると、小さな声で「うん」とだけ返ってくる。


 ランプの火を消すと、たちまち部屋は暗闇に飲み込まれた。窓の外からは、祭りの余韻に浸る人々の声が微かに聞こえてくる。

 彰が布団に潜ると、隣から「ねぇ」と声が聞こえてきた。


「起きてる?」

「この一瞬でどう寝るんだよ」

「あのさ…………」


 呟くと、リリアは何か迷うように黙り込む。彰は何も言わずにただ、隣にいる少女を見つめた。


「月島に行って帰る方法が分かったらさ、………………やっぱり帰っちゃうの?」


 小さな背中越しにポツリと聞こえた彼女の声は、彰の頭の中で残響のように繰り返し響いた。


「…………帰るよ、俺は」


 やや間を置いてから彰は答えた。


「そうだよね。……その方がいい」


 その声は消え入りそうなほど小さい声だった。小さく丸まった彼女の背中に彰は手を伸ばしかけたが、少し考えてその手を引いた。


「おやすみ、アキラ」


 彰は「おやすみ」とだけ返すと、静かに目を閉じた。

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