13

 道端に一人。物乞いがうずくまっている。物乞いと言っても、小さな少年だった。

 俺はこいつらを見ると、いつも無性に腹が立つのだ。


――しょうがない……、しょうがないんだよ…………


 そう呟く彼を、俺は力任せに蹴り飛ばした。

 みすぼらしい格好で頭を下げれば、助けてもらえると思ったのか? それほど世間は甘くない。甘いはずがない。

 本当に辛い時、手を差し伸べる人間は居ない。居たとしても、そいつが見ているのはその先にある利益だけだ。

 誰も俺を見ていない!

 いつだって自分の味方は自分だけだ。誰も信用してはいけない!


――その結果がこれか?


 振り返ると、一人の男が居た。上品な黒の上着。ツバ付き帽を目深に被った彼はゆっくりと歩み寄ってくる。

 ボタボタと滴る赤い血。彼の腹部には、拳ほどの穴がぽっかりと開いていた。

 ふと右手に重い感触がした。見なくても分かる。自分で開発した魔法式拳銃だ。


――お前には失望した



「待って……ッ! 父さん!」


 跳ね起きて、初めてそれが夢だと気付いた。落とされた右腕が痛む。よくもまぁ、これほど綺麗に斬ってくれたものだ。

 昔の夢を見たのも、体が弱っているせいか。


 根城にしている掘っ建て小屋は衛生的に良いとは言えないが、他に行く当てもない。幸いなことに、貯めていた食料もある。とにかく、しばらくは動くべきではないだろう。

 肩に巻いた包帯を見ると、じんわりと血が滲んでいた。替えるべきだろうがそんな気力は無い。

 俺はぐったりと壁にもたれると、錠の落ちた箱から一丁の拳銃を取り出した。


 完全魔法式拳銃。薬莢も火薬も必要としない、魔法のみで完結した拳銃である。

 その基礎を作ったのは紛れもない俺自身だ。しかし、それが賞賛の声を浴びたのは、一瞬の間だけしかなかった。

 天才が居たのだ。

 美しい赤毛の女性だった。別に憎んでいるわけではない。ただ、追いつこうと努力すればするほど、彼女との間にある溝がはっきりと見えた。

 自分はどうしようもなく凡人だったのだ。


 そして、俺は――――


「あぁ、クソッ!」


 幾つ目か分からない弾痕が壁に増えた。また木の板を張らなければ。

 吹き抜けた秋の風は乾いていた。雨はまだ降らないだろう。アキラの残した「跡」も、しばらくは消えないはずだ。跡追いは傷が癒えてからでも遅くはない。


「俺が失敗するはずないんだ……。この銃は絶対だ…………。世の奴らに見せてやれ……、この拳銃は凄ぇんだって………………」


 狼は一人、呪文のように呟くと、ゆっくりと瞼を閉じた。


◇◇◇


「昔々、とても大きな山の麓に、とても小さな村がありました。米や野菜がよく育つ、とても豊かな村でした。


 しかし、ある日。田畑に恵みをもたらしていた雨が、突然パタリと雨が止んでしまいました。

 雨が降らなければ、作物は育ちません。田圃は干上がり、畑の作物もすっかり枯れてしまいました。

 蓄えていた食べ物が無くなっても、まだ雨は降りません。困り果てた村人たちは、大きな山の神様に祈り続けました。


 すると。


『その願い、叶えてやろうか』


 山の方から声がしました。

 村人たちが顔を上げると、山から一匹のオオカミが歩いてくるのが見えました。しかし、ただのオオカミではありません。人間よりも大きく、白くて美しい毛並みをした狼でした。

 村人たちはオオカミの姿をひと目見て、ついに神様が現れたと思いました。


『あぁ、神様。どうか恵みの雨を降らせてください』

『よかろう。ただし、冬が一つ終わるごとに一人、私に若い生贄を捧げなさい。さすれば恵みの雨を降らせてやろう』


 村人たちは困りましたが、このままでは…………」

「『いけにえ』ってなぁにー?」

「あ?」


 彰のベッドに潜っていた男の子が不意に尋ねてきた。正確な年齢は分からないが、見たところ直哉と同じ小学校低学年くらいだろう。

 彰は絵本から顔を上げて窓の外を眺めると、「そりゃあ、なぁ……」と言葉を濁らせる。眠い頭に尋ねられても、咄嗟に答えが浮かばない。窓の外には、だいぶ太った月がぼんやりと浮かんでいた。


「その…………、あれだ。神様へのお供物として捧げられた生き物……、まぁ、今回の場合は人間だな」

「『いけにえ』は死んじゃうの?」


 今度は先程の子と反対側に潜り込んでいた子が尋ねてきた。


「うー……ん。まぁ大抵は……? 食べられたりとかするんじゃね? ガブッと」


 答えてから、子供には刺激が強いかと思い立つ。だがもう遅い。両脇の子供はピッタリと彰の体にひっついてきた。脇腹の傷などお構いなしだ。部屋を唯一照らしていた、ベッド脇のランプが揺れる。

 ジンジンとした脇腹の痛みに耐えながら、彰は再び絵本に目を落とした。


「それで…………

 困りましたが、このままでは村が貧しくなる一方です。仕方なく、村人たちはその取引を受け入れることにしました。

 それ以来、村では年に一度、密かに若者を一人生贄として山に捧げることになりました。オオカミは約束を守り、以前よりは少ないながらも村には雨が降るようになりました。


 それから数年後の春先。ある一人の旅人が村を訪れました。

 旅人が訪れることは珍しくありません。ところが、ちょうどその日は生贄を捧げる儀式の日だったのです。

 偶然、儀式を見つけてしまった旅人は怒りました。


『人を食らう神とは何たることか!』

『食らっているのではありません。生贄となるのです』

『どちらも同じことだ!』

『しかし旅の方。これは仕方のないこと。さもなければ、村は立ち行きませぬ』


 説得しますが、旅人は聞く耳を持ちません。

 そこへ白いオオカミが山から下りてきました。その姿を見るなり、旅人は腰の剣を持って立ち上がりました。


『やはり「トチガミ」か! 成敗してくれる!』


 旅人が剣を抜くと、その刃はたちまち白い光を放って輝きました。


『痴れ者が! 私に刃を向けようとは!』


 オオカミは一つ吠えると、雷のような速度で躍りかかりました。しかし、旅人は鋭い牙を光る刃で受けると、その身体を真っ二つに斬ってしまいました。


 慌てて駆け寄る村人に、旅の男は言いました。


『奴は「トチガミ」。山や海の生き物を依り代とし、人の弱みに付け込んで魂を食らう魔の者たちだ。心を強く持ち、見た目に騙されないことだな』


 すると、オオカミの身体から黒い煙が青空へと立ち上りました。それにつれて、オオカミの身体は他と同じ大きさまで縮み、白かった毛並みは黒と灰の混じった色へと変わっていきます。

 やがて、その煙が山の頂上まで覆いつくすと、ぽつぽつと雨が降り始めました。


『雨が降らなかったのは、このオオカミが雨雲を食らっていたせいだ。これからは、以前のように雨も降るだろう』


 その言葉の通り、村にはそれから三日三晩、雨が降り続きました。そして、村は以前のように緑あふれる豊かな土地になりましたとさ」


「アンタ、文字読めるんだ」


 ちょうど読み終えた頃、部屋に入ってきたリリアが声をかけてきた。風呂上りなのか、まだ頭から湯気が立っている。

 彼女の後から、子供たちが続いて入ってきた。彼女らは彰を見るなり「何読んでるの?」とベッドの周りに集まり始める。


「文字読めるんだって、そりゃ…………」


 文字は普通読めるだろ、と言いかけて、彰は「前の世界で習ったんだ」と答えた。

 この世界に義務教育など無く、識字率は高くない。現に、アクレスも大人になってからソフィアに習ったと言っていたし、システィアは読めないと言っていた。


 しかし、この孤児院の子供たちはというと、なぜか全員が文字を読めていた。その理由はここを運営する一人の女性である。


「あら、面倒見ててくれたのね。ありがとう」


 リリアの後ろから、橙色に揺らめくランプを持った女性が現れた。年齢は三十代前半らしいが、いつも表情が明るいせいで実年齢よりも若々しく見える。

 彼女はミコト・ウルヴァレノ。この孤児院を一人で切り盛りしており、子供たちからは「ミコさん」という呼び名で慕われている女性だ。


「ごめんなさいね、怪我人なのに」

「いやいや、ほとんど治りましたよ。こちらこそ泊めていただいて、ありがとうございます」

「これはご丁寧に、どうも」


 彼女は微笑む。聖母を描くとしたら、そのモデルとして彼女以上に適任は居ない。そう思えるほど、優しい笑顔の似合う女性だった。


「『トチガミ』様のお話でしょう? その絵本、この前描き終えたばかりなの。この地域にある実際の伝承を基にして描いたのよ」


 ミコトが言った。

 孤児院にある絵本は、全て彼女が一人で描いたものだ。これらの本を通して、彼女は子供たちに文字を教えているという。


「すっごい上手でしょ」


 なぜか自慢げにリリアが言う。ただ、上手いのは彼女の言う通りだ。

 神秘的で鮮やかな色使いと臨場感あふれる構図。読んでいるうちに、気付けば彰も物語の中に引き込まれていた。


 ミコトは「あら、ありがとう」と少し照れながら、彰のベッドの脇に椅子を持ってくる。そして彰の持っていた本を覗き込んで指さした。


「その『トチガミ』、実際に私が山で見たオオカミをもとにして描いたのよ」

「白いオオカミが?」

「そう。そこの山でね」


 そう言うと、彼女は真面目な顔で続けた。


「だから、あの山は絶対に近づかないこと。良いわね?」

「絶対に?」

「絶対に」


 白毛のオオカミ。アルビノだろうか。

 彰は小さく笑う。


「…………そう言われると見に行きたくなるな」

「もう!」

「冗談! 冗談ですって」


 ミコトはため息を吐くと、細い指を立てた。


「あの山には入らないこと。良いわね?」


 まっすぐに見つめられた彰は少し照れながら目線を落とすと、小さな声で「わ、分かりました」と答えた。

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